28
翌朝、早い時間に浩二は苺を持ってきてくれた。
「おはようございます」
「あら、おはよう。浩二君、早いわね」
「えぇ、少しでも新鮮な方がいいかと思って」
節子は浩二の早い訪問に驚く。
「ユキちゃん!おはよう」
「え?おはようございます。もう持ってきてくれたんですか?」
「そうだよ。今から作る?」
「そうですね。砂糖を振りかけている間に、レモンを買いに行けば、
今日中に出来ますからね」
夕紀は時計で今の時間を確認し、スーパーへ行くバスの時刻表をスマホで検索し始めた。
「買い物に行くなら、僕が車でのせていくよ」
「え?お仕事は?」
「仕事なら、昨日でひと段落ついたから、今日は暇なんだよね。それに、バスは便数も少ないし、荷物を持ってじゃ大変だよ」
「でも、わざわざ車出してもらうなんて、申し訳ないです」
「僕も買い物したいから、ついでさ」
「そうですか?それならお言葉に甘えて、乗せて行ってもらおうかな」
翌日であれば、宅配もしてもらえるが、
すぐに必要なものは、バスに乗って、最寄りの大型スーパーへ足を運ぶ。
バスの本数が少ないので、浩二の提案は嬉しい限りだ。
浩二の好意に甘える事にした。
浩二はにっこり笑って言う
「お安いご用です」
「じゃ、用意をしてくるので、それまでコーヒーでも飲んで
待ってて下さいね」
「お!朝からユキちゃんのコーヒーが飲めるなんてラッキーだな」
「嬉しい事を言ってくれますね。でも、これ以上は何も出ませんよ」
「コーヒーだけで十分だよ。ユキちゃんが入れてくれるコーヒーは、
本当に優しい味がして美味しいんだよね」
「豆がいいだけですって」
二人の間で言葉のキャッチボールが軽やかに交わされている。
その言葉のニュアンスの間に、友情以外の感情が入り込んでいないか、
節子は耳から入る情報を聞き逃すまいと神経をとがらせる。
ユキの事は信用している。
だが、浩二の紳士的な優しさとユキの柔らかさが、万が一溶け合うような事が起こってしまったら・・・・・。
節子は取り越し苦労であることを、祈るばかりだ。
甥の慎一郎は不器用な男だ。
優しさは人一倍持っているくせに、出し惜しみをしているかのように
一部の人間にしか、示そうとしない。
慎一郎の周りにはいつもきらびやかな女性がどこからか湧いてくるように集まってくる。
節子は、その女性たちの中から、彼の心に巣食っている闇を和らげてくれる女性がいつか現れてくれないかとずっと願っていた。
彼が生まれながら持っているバックグラウンドだけでも羨ましがられるのに、それに加えその容姿と恵まれた体格、そして、溢れ出る才能まで、慎一郎には、備わっている。
映画監督の道を歩み始めてからも、挫折という言葉を蹴散らすように、数々の成功を収めていくが、成功すればするほど、慎一郎の周りには、私利私欲にまみれた人が絶えず寄ってきているようだ。
慎一郎は、学生の時からモテていたと聞いている。
その頃から今まで、成功すればするほど、その交友関係は、節子の願いからかけ離れていくようだった。
節子は、慎一郎が、順調だといえば言うほど、彼の私生活は安らぎや暖かさとは程遠いものだと思っている。
マスコミの取り上げる事が、すべて事実だとは思っていないが、
これまで有名女優やモデルと幾つも浮名を流れて、芸能にさほど興味のない節子の耳にさえ届いてきた。
その噂を聞くたびに、二人の間で幾度となく交わされる会話があった。
「今度の彼女とは結婚するの?」
「誰の事?」
「ほら、女優の、今、連ドラに出ている・・・・」
「叔母さん。テレビなんて見ないだろ?」
「それでも、ラジオとかで知っているわよ」
慎一郎はヤレヤレと言った口調だったが無視する事はなかった。
「彼女とは、つきあっていないよ」
「もう終わったの?」
「違う。そんな付き合いじゃなかっただけだ」
節子はここでやめるべきかと思ったが、止まらなかった。
「慎君、そろそろ家庭を持つべきよ。
慎君の事を大事に思って支えてくれる人があなたには必要よ」
「いい仕事、いい仲間に囲まれているさ」
「それだけじゃ、寂しいでしょ?」
「何が?」
「あなたを一番に思って、そして一番に思える存在がいない事が」
慎一郎がその言葉を鼻で笑った様に感じた。
「大丈夫さ。俺には必要ない」
節子のお小言を慎一郎は、いつも簡単に受け流していた。
きっと、一生誰とも結婚せず、こうやって人生をななめに見ながら過ごしていくのだろう。
ほんの一握りの親しい友人だけに心を許し、
他の人とは一線を画してつき合っていくのだろう。
節子は、慎一郎が持っている心の中の負の大きさに、自分の事も少しは関係しているのかと思うといたたまれなかった。
それなのに、高崎が入院したことを、どこからか聞きつけて、節子が不自由をしないようにと婚約した女性を寄こすと、あの日突然、電話で言われた。
寝耳に水の話だ。
節子は、とうとう願っていた人に慎一郎が巡り会えたのだと心の中が嬉しさで満たされた。
なのに、彼女の事を問うと、『美人』の一言だけ。
その口調には、何の熱情や愛しさも感じられなかった。
ただ、必要事項を伝える、そう、節子はとらえらた。
やはり、甥は、慎一郎には、その心に響く女性には出会えなかったのだ。
目先の煩わしさを逃れるために便宜上、結婚するのだろうと、節子は、諦めた。
そんな事もあり、節子も婚約者に対して、全く期待していなかった。
2.3日で逃げ帰るか、表面だけの付き合いに終始するかそんな女性に違いないと思っていた。
ところが節子の元に訪れたのは、予想から大いに外れた女性だった。




