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「ただいま」
「お帰りなさい」
節子の嬉しげな声に迎えられる。
慎一郎と二人きりじゃないというだけでホッとする。
「節子叔母様、大丈夫でした?」
祐季は慎一郎の脇を小走りで駆け抜け、ソファに座っている節子の隣に腰をかけ、手を握る。
「大袈裟ね!ほんの少し留守にしただけじゃない。ありがとう。ユキちゃん。何にもなかったわよ?
慎君とは久しぶりだったでしょ。もっとゆっくりしてくればよかったのに。いろいろ話せた?」
「・・・えぇ・・・」
「慎君は、いつまでいれるの?」
節子が幼子のように屈託なく慎一郎に問いかける。
「あぁ、少し静かなところで、本を読み込みたいから、しばらくは、ここに居させてもらうよ」
「え!」
初めて聞く話に祐季は息が止まるほどびっくりした。
何とか今日をやり過ごせば、後は静かにこの生活を楽しめると思っていたのに、慎一郎がこの別荘にいるとなると、おのずと自分と顔を合わす事になる。
どうして?
由紀子の話では、新しい企画が立ち上がり、忙しくて訪れる事は無理だと言っていたはずだ。
それが、急に来たばかりか、その上、ここに滞在するなんて。
彼の態度が軟化したからといって、祐季の事を信用したわけではないのだろう。
祐季を見張るつもりなのだろうか?
祐季の大声に節子はカラカラと笑い声を上げている。
「ユキちゃん知らなかったの?慎君も言ってなかったの?」
「あぁ、驚かそうと思ってね」
「まんまと慎君にやられたわね。でも、嬉しいわね。
慎君はただでさえ忙しいのに、向こうにいると余計、あれこれ仕事が舞い込んでくるのよ。
ここだと、訪れる人も少ないし、連絡手段も限られているしね。
婚約期間、充分に楽しめるわね」
節子の楽しそうな声も祐季には、霞の向こうから聞こえてくるようだ。
「ユキちゃん?どうかした?」
「えぇ・・・・」
何を言えばこの会話に加われるか祐季は、分からなかった。
でも、何か言わなければと焦った。
「ユキは突然の事に、びっくりして、声も出ないみたいだ。
こんなにゆっくりと二人の時間・・・・・が持てるのは、初めてなので、お互いが解りあう時になればと思ってるんですがね・・・」
「わかり合うって、婚約してるのに何言ってるの」
カラカラと笑う節子を横目に見ながら、慎一郎を睨む。
一瞬、助けてくれたのかと思ったが、慎一郎の皮肉ともとれる言葉に腹が立つ。
だが、それよりも自分を『ユキ』と呼んだ事にどうすればいいのかわからなかった。
身代わりの『由紀子』ではなく『ユキ』と・・・・。
「そうですね。うまく解りあえればいいですけど・・・」
嘘をつきたくなくて、取り繕うように出てきた皮肉っぽい言葉に慎一郎が、瞳をひときわ鋭くし、祐季を睨みつけた。
そして、その後の節子との会話で一層眉間にしわがより、見るからに、不機嫌になった。
「あらあら、一番甘い婚約期間だというのに、えらく現実的ね。
そうだ。浩二君がさっき尋ねてきたわよ。
用件を聞いたんだけど、ユキちゃんが外に行ったと教えたら、急いで、後を追いかけて出て行ったんだけど、会えた?」
「えぇ、会えました」
「何の用事だったの?大事な用?」
「野菜を持ってきてくれたんです」
「そう、それなら、置いていけばいいのに。
どうしてもユキちゃんに渡したかったのかしら?」
「どうしてもって………そんなワケではないかと思いますが・・・・」
節子は、不意に思い出したのか、手をパチンと合わせて声を上げた。
「そういえば、ユキちゃんはどんな婚約指輪をもらったの?」
祐季は、急に指輪の事を聞かれて、すぐに答えられなかった。
「え・・・?あぁ・・・。その・・・・どんなって…」
節子が今までその話題に触れてこなかったから、指輪の話をした事はなかった。
今になって、それを尋ねてくるなんて・・・。
「ここではめていた?私触ったことなかったわ」
慎一郎が何とか助け船を出してくれないだろうか?
そう願いつつ、彼へと視線を這わせた。
「そう言えば、指輪をしていないよな。どうした?」
彼の言葉に返って自分が窮地に立たされた。
どうして、こんなに意地悪なんだろう?
「持ってきていないのか?」
「・・・・」
だんだんと腹が立ってきた。
自分の気持ちなんて、この男は少しもわかろうとしてくれない。
祐季は、カッとなって言い返してしまった。
「持ってきています。トランクの中ですけど!」
由紀子が念のために持って行けとトランクに無理やり入れていたのが、役に立つだなんて・・・・。
「じゃぁ、今からははめてくれ」
「そんな、家事には邪魔です・・・・」
「その都度外せばいい」
「失くしてしまうわ」
「君がこの結婚の事を大事に考えていれば、失くすはずないだろう。
それに、あの指輪は、君が俺の婚約者だという印だ。
はめていれば、忘れないだろう」
なぜ、慎一郎がこんなことに拘るかわからなかった。
自分はあくまでも、由紀子の身代わりであって、
あの指輪は、彼と由紀子の結婚の約束の証なのに、別の人にはめさせるなんて、何を考えているのだろう。
押し黙っている祐季に、最後通告のように睨むような視線で、突き付けた。
「俺の婚約者でいる間は、あの指輪をはめるんだ」
節子は二人の喧嘩腰の会話に終止符を打たなければと思ったのか、とりなすように会話に入った。
「慎君。ユキちゃんは、指輪をはめていなくてもあなたの婚約者よ。
忘れるはずないじゃない。
ユキちゃん。私の世話が大変だったから、外してくれたのよね。
でも、今からは、気にせずがめてね」
由紀子と指輪のサイズが同じだったのが、悔やまれる。
祐季は、節子の言葉に頷くしかなく、指輪が役に立つどころか、枷になってしまった。
明日からは、左手が重いだろうと覚悟した。




