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由紀子は、数歩先を歩いていく男、国枝慎一郎の後ろ姿に
じっと視線をとめたまま、彼の本当の婚約者である『由紀子』を名乗って
この場にいる事になった経緯をどのように説明すべきか、
考えが全くまとまらないまま、後をついていく。
だんだんと頭が痛くなってきた気さえ、してきた。
こんなはずじゃなかったのに・・・・・。
そんな事、言ってなかったのに。
思わずコメカミに指を当て、あの時を思い出す。
半年前だった。
ルームシェアをしている3歳下の従妹の由紀子が踊るように帰って来た。
「聞いて、祐季。とうとう出会ったのよ」
祐季は、図書館で借りてきた本から頭を上げ、髪を耳にかけながら、
由紀子に問いかけるようなまなざしを向ける。
いつになく、上機嫌でパーティから帰ってきた由紀子は、いつもより
念入りに化粧をしていた。
ぱっちりと二重の大きな瞳は、つけまつげ、アイライン、アイシャドーと
アイメイクにより手をかけて、その瞳はいつもの1.5倍は煌めいて見える。
きめ細やかな白い肌は、何もつけていないかのような見事な仕事ぶりで、
薄化粧風に仕上がっている。
少し薄めの唇は、きつめのパールレッドのリップが滲むことも落ちることもなく、
口角を上げて形作られており、艶あでやかな雰囲気を醸し出している。
完璧だと思った。
テレビの向こうの女優よりはるかに綺麗だった。
その上、由紀子はプロポーションも抜群だ。
背中が腰のあたりまで大きく開いたバーガンディ色のドレスがピッタリと
体に張り付いて、彼女の形のいい胸と細いウェストを強調している。
祐季は、5cmのヒールでさえすぐに足が痛くなるのに、
由紀子は、よりスタイルよく見せるため、12㎝のピンヒールをいとも簡単に
履きこなし、ドレスの後ろセンターに、きわどく入ったスリットが
真っすぐな脚線美を惜しげもなく見せている。
さぞかし、パーティでは、視線を集めただろう。
今日のパーティは、由紀子にとって余程、重要な集まりだった事が、
装いからもわかる。
いつになく、気合いが入っていた。
「誰と出会ったの?」
「未来の旦那様よ」
「旦那様?結婚するの?」
「そうなるかもしれないわね。ううん、そうしてみせるわ」
由紀子はフフンとハミングをしながら嬉しそうにしているが、
それ以上は話すつもりはないようだ。
このことでも、今回の出会いをかなり真剣に考えている事がわかる。
そんな由紀子をみて、祐季の心の奥でかすかな希望の音が鳴った。
祐季は、中学生の時、両親を事故で一度に失い、突然の親を亡くした悲しみと、
1人になった現実にうちのめされたまま
アパレル会社を経営している叔父家族に引き取られた。
住み慣れた家と生まれ育った土地、親しい友達とも離れ、
感情が麻痺したまま追い立てられるように新しい生活を余儀なくされた。
それまで、活発だった祐季は自然と叔父夫婦や由紀子の顔色をうかがう様になり、
学年途中からの転校であったため、親しい友達もできず、家でも学校でも
息をひそめるように、毎日が過ぎていく日々だった。
叔父夫婦は、一人娘の由紀子をとにかく溺愛していて、何につけ、
由紀子中心で家の中が回っていた。
食事一つにしても、由紀子の好きなメニュー、都合の良い時間になっていて、
祐季がいなくても食事が始まっていることも日常茶飯事だった。
叔父の家での生活の思い出と言えば、布団にもぐって声を殺して
泣いていた記憶しかない。
誰に頼ることなく、誰に甘えることなくただ、声も体もできるだけ潜めて、
時間が過ぎて行くのをじっと待った。
兄夫婦が残した子供を預かっていると殊勝な夫婦で通していた叔父夫婦からは、
両親の死亡保険金で入った大学入学後も、由紀子の家庭教師として当てにされ、
時間を決められた。
卒業後、在学中に取得した司書の資格をいかして隣の県の図書館に勤めた時に、
やっと伯父の家から離れることが出来た。
叔父の家を出て、一人暮らしを始めた時は、手足が爪の先まで伸びた気持ちで、
深呼吸ができた感じだった。
カーテンとベッドがあるだけのワンルームに引っ越したその日は、誰に遠慮することなく
1日中大の字になっていた。
誰に気兼ねする事のない生活は、叔父の贅沢な作りの家より、ずっと天国だった。
仕事も楽しかった。
優しい穏やかな人たちに囲まれ、たっぷりと本を読める環境にいられるのは、
祐季にとって何よりだった。
仕事にも慣れ、だんだんと責任のある仕事を任されだした、そんな時だった。
この3年間連絡を取り会っていなかった叔父に呼び出されたのは、
由紀子が大学の卒業旅行から帰って来た肌寒い春の日だった。




