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呆然と立ち尽くしてる由紀子を他所に節子の嬉しそうな声が、ただ、ぼんやりと聞こえてくる。
「来れないと言っていたのに、急にどうしたの?」
節子は、慎一郎に手を取られてゆっくりとソファに腰を下ろした。
「大事な女性二人をほったらかしにするのが忍びなくて、
仕事をやりくりして来ました」
「ほんと、婚約者をこんなところに一人で寄こして知らんぷりだなんて、
愛想を尽かされるわよ。ねぇ、ユキちゃん」
慎一郎が、その呼び名をおかしそうに復唱した。
「ユキチャン?」
「えぇ、来てすぐにそう呼んでほしいと言ってくれてね。
私も《由紀子さん》と呼ぶより、こっちの方が彼女にピッタリだと思うわ」
慎一郎は皮肉っぽい笑いを口元に浮かべているが、 節子はもちろん気付かない。
「ふ~ん、そうなんだ。それで、俺は愛想を尽かされたのかな?」
由紀子は、まだ、この事態に対応できていなくて、慎一郎の皮肉には気付いていたが、何も言い返せないまま、 唇をギュッと噛みしめていた。
「叔母さん、来たばかりなんだけど、彼女と少し出かけてきていいかな?」
「出かけるの?」
「あぁ。俺が来るのを言っていなかったし、きっと何か話したい事があるだろうしね。
いいかな?」
聞くなり、節子叔母は嬉しそうに手をパチンと叩いた。
「そうね、私ったら気が利かなくてごめんなさい。
久しぶりに会えたんですもの。誰にも邪魔されずに2人になりたいわよね。
大丈夫よ。どうぞ、私に遠慮しないで二人で出掛けていらっしゃい」
節子は、顔を二人に向けてにっこり笑っている。
由紀子は、まだ、動揺を隠すことができず、震える声を発する。
「いえ、そんな・・・・お一人では危ないし・・・」
しどろもどろに話す由紀子を無視して、慎一郎が節子に話しかける。
「すぐに戻ってくるつもりだけど、大丈夫?」
「えぇ、もちろんよ。私は平気よ。」
「それじゃあ、行こうか」
慎一郎の嫌に優しい声が、かえって怖い。
叔母はそんな事は少しも思っていないのだろう。
明るく「大丈夫」と繰り返し、その弾んだ声も慎一郎を後押しする。
「でも、何があるか・・・」
「ほんとに大丈夫よ。私の事は気にしなくていいのよ。ほら、早く行きなさい。」
「ありがとう。じゃあ、ちょっと出てくるよ。すぐに戻るからね」
これ以上、何を言っても無駄だと思った。
それに、こうやって、国枝慎一郎と顔を合わせた以上、
たとえ、今は避けては通れても、すぐにこの局面に立ち向かわないといけない。
由紀子は覚悟を決めた。
「それじゃ、戸締りしていきますから、気をつけて下さいね」
「二人で、ゆっくりしていらっしゃい。
遅くなっても構わないわよ。晩御飯でも食べてきたら?
何なら、今日は帰って来なくてもいいわよ」
節子の大胆な発言に由紀子はギョッとしたが、慎一郎は平気な顔で、聞き流している。
色めいた笑顔を浮かべた節子の嬉しそうな声に後押しされるように、
由紀子は上着を手にした。
慎一郎が自分に掌を差し出した。
まさか手を出せと言ってるのだろうか?
そのおおきな手をじっと見つめた。
「鍵」
『返せ』と言わんばかりの言い捨てるようなその一声に、由紀子は新たに緊張して、
その手に鍵をポトンと落とし、彼の後を重い足取りでついていった。




