二十六 密談
愛桜達が山を下りると、迎えの車が二台来ていた。
愛桜は研究所に向かう車に乗り、灯、梗香、灰鳴、炎の四人は病院で怪我の治療をしろという指示があった。
ウェンディゴを研究所に移すのに愛桜以外の四人は必要ないと言われたが、もしもの時に戦力はあった方がいいはずだ。あれほどウェンディゴが外に出て、自分たちに被害が出ることを恐れていた本部の連中なら、尚更戦力を集めておきたいはずだ。大した怪我でもないのに、ここで病院送りは明らかにおかしい。(大した怪我ではないのはハンターにとっての話で、一般人なら数日入院する程度の怪我ではあるのだが。)
まるで愛桜の味方をする仲間を追い払うみたいだ。
そう思いながらも、各々大人しく従う。
愛桜は、ウェンディゴと同化したせいでまた仲間を傷つける可能性がある以上、離れていた方が気が楽だった。
他の四人は、言い合いの後で愛桜に声をかけづらかったから、愛桜に直接一緒に行くとも言えないし、一緒に行かせてくれと本部に抗議できるわけでもなくて、一人別の車に乗る愛桜の背中を見ていることしかできなかった。
******
一方その頃。
「これを、どうしろと?」
狩猟団体本部の会議室の片隅で、特別班の海沼は差し出された小瓶を前に眉をひそめた。
小瓶を差し出したのは、幹部の一人である老人だ。曲がった腰に、長い白髪で隠れる顔、杖で体を支えるその人物は、見た目では幹部とは分からない。昼間に見れば年老いた老人、夜に見れば幽霊のように見える。
その老人が、研究所に向かおうとする海沼を捉まえて密談というわけだ。
「分かっているだろう」
海沼の質問に答えない老人は、しゃがれた声でゆっくりと話す。
「研究所に、ウェンディゴに憑依された者が入るらしいではないか」
「そのようですね」
「ウェンディゴをその者から引き離すのに、君が立ち会うのだろう?」
「はい」
淡々と答える海沼は、老人の言いたいことに予想がついていた。
それはつまり、ウェンディゴを憑依させた愛桜をこの小瓶に入っている液体で殺せと言うわけだ。
「百蝙を駆除し、山鶴を駆除した、危険な者だそうではないか」
(この人は、何を言っているのだろう)
ディールを駆除するのは、狩猟団体の仕事だ。駆除をした人を危険な者だと言ってしまえば、全国各地に散らばる狩猟団体員全員が危険な者となってしまう。
「仕事をしたまでだと思いますが」
海沼が半ば呆れて言うと、老人は鋭い目つきをする。
「その者、一緒にいた仲間を斬ったそうではないか」
海沼は、少し驚く。そのことを初めて知ったのだ。
「……へぇ、初耳です」
そこに付け入るように、老人は重く言う。
「危険な者だ」
「そうかもしれませんね」
海沼は、誰かを贔屓することはしない。客観的に危険だと思えば、それが誰であってもその考えは変わらない。愛桜は思った以上に支配されているようだと、この時は思った。
その反応に満足した老人は頷き、
「人を斬るなんて恐ろしい」
と、大袈裟に身震いする仕草をする。
しかし、目の前の老人がどう思おうが、海沼はそれほど恐ろしいとは思わなかった。いつ死んでもおかしくない現場に行かせるだけ行かせておいて、憑依されただけで怖くなったからと愛桜を殺そうとする幹部の方がよほど恐ろしい。
そういう人間は、自分の手を汚さずに誰かを死なせて、責任も取らない。嫌な大人の方が、よほど質が悪くて、それが許されてしまうから恐ろしい。
それにしてもこの会話、海沼はいい加減、時間の無駄に思えてきた。
「回りくどく誘導しようとせず、はっきり言ったらいかがですか? ウェンディゴに憑依されている、狩猟団体員愛桜を殺せと」
きっぱり言うと、老人は一瞬息を呑み、ゆっくりと口を開く。
「……そうは言っていない」
「殺害の指示を出した事、知られたくありませんか。この毒を渡した事実も隠したいと」
「そうではない」
「ではなぜ、呼び止めたのでしょう」
海沼がそんな馬鹿げた口車に乗ると思っていたのだろうか。海沼の言う事を全て否定する老人は、うまい言い訳でも考えるように沈黙する。
口車に乗せたいのなら、あらかじめもっともらしい口実を考えてきて欲しかった。そうすれば、まんまと口車に乗って、これほど時間を浪費せずに済んだかもしれない。
十数秒の沈黙の後、老人が捻りだした答えは、あまりにも嘘っぽいものだった。
「……ただ、気を付けろと言いたかったのだ。いざとなればこれで身を守れるのではないだろうかと」
その嘘っぽい答えを、身を案ずるように言うから笑えてくる。
海沼は、嘘っぽい言葉が、実際に嘘であることは分かり切っている。
だって、
「顔が、笑っていますよ」
いくらそれっぽく言ったとしても、五感に優れたハンターを誤魔化せるはずがない。
「ほほっ。おっと、これは油断した。顔が隠れていなかったのかな?」
長い白髪で隠れた顔に触れる老人。バレてしまえば隠す気はないらしい。
「見なくても分かります。声音も纏う空気もどこか嬉しそうですから」
「そうかそうか。私もまだまだのようだ。背筋を伸ばさねばな」
そう言うと、本当に老人の背筋が伸びる。比喩ではなく、曲げた腰を伸ばして頭の位置がぐっと高くなる。いらなくなった杖は折りたたんで鞄に仕舞い、老人の面影は無くなり、青年のような佇まいになる。
その変わり様に、海沼は切れ長の目を見開いた。
この老人のような幹部。老人のフリをしていたことになるが、それだけではない。
長かった白髪が、短くなっていく。まるで、髪の毛が生き物のようにうねり、頭部に吸い寄せられていくような動きを見せる。
そして、長髪から短髪になったことで見える老人の顔は、皴一つない、麗しいものだった。
「これは……」
「機密事項だ。ここでの出来事は、なかったことにしてくれ」
機密事項……そう言われてしまうと何も追求できない。
ディールによって壊れた世界だ。異能の類は聞いたことがあるし、並外れた身体能力を持つ子供自体が何らかの異能によるもの、あるいは遺伝子変異によるもの、あるいは人間の進化でないかという説まである。この老人は、一体何にあたるのだろうか。
幹部であるなら狩猟団体の上層部しか知らない事だろう。それを海沼の前で明かした理由は分からないが、機密事項ならこれ以上何も知り得ない。
知り得ないなら憶測の域を出ることはない。
今は割り切って、考えることは止め、差し出された小瓶だけもらうことにする。
「分かりました。でもこれはありがたく貰っておきます」
「ほう」
小瓶を受け取る海沼に、幹部は目を丸くした。
「何でしょう。意外ですか?」
「意外だね」
そちらがそう仕向けたのだからそんな顔しないで欲しいが、これまでの会話の流れで愛桜の殺害は諦めていたのだろう。幹部はニヤリと嫌な笑顔を見せた。
「使えると思っただけです。一応確認しておきますが、これ、何ですか」
「それに触れてみたまえ」
言われて、海沼は小瓶の中に入っている液体を数滴手に垂らす。
「……あぁ、なるほど」
液体に触れた箇所の異常で、大体分かった。
「全くハンターというのは恐ろしいな。顔色一つ変えないとは」
幹部は楽しそうに言った。
(嫌な性格をしている……)
海沼がどんな反応をするか見たくてやらせたことなのだろう。本当に、楽しそうにしている。
海沼は、触れただけで死ぬことはないと思っていたから言うとおりにしたのだが、この効果があると思ってはいなかった。
手に走った、激痛。
何かと思えば、ただの痛みだった。
そんなもの、今更何とも思わない。
「現場に出れば、誰でもこうなります。長く生き残った分余計に」
痛みに慣れてしまった愛桜達のように海沼も痛みに慣れていて、普通なら激痛なのだろうとは思うが、実際にそれほどの痛みは感じない。
「そうかそうか。君たちのことも一度隅々まで調べたいものだが」
笑う幹部は、嫌な目をしている。向けられる異常な興味に、不快感を覚えた。
この幹部は、ディールの研究をしてきたのだろう。もしかすると人体実験も。老人から青年への変貌はその成果なのかもしれない。逆に隠すことが無ければ機密にはならないため、非人道的行為を行った結果の可能性が高い。
「それで誰かを救えるなら喜んで。ただ、あなた方のおもちゃになる気はありませんよ」
冷淡に言う海沼に、嘘はない。
海沼の存在意義はディール殺し。それで誰かを救えるならと力を尽くしてきた。だから人体実験の対象にされようと、どんなに非人道的な方法で体を調べられようと、それが人の役に立つなら喜んで受け入れる。
「……面白い。実に面白い。長生きはしてみるものだな」
幹部は、そんな海沼に興味を持った。終始驚きはしても顔色を変えず、社交辞令のような嘘は一切なく、事実しか言わない。それでいて心が冷たいわけでもない。
面白い。
幹部は、はっはっはっと、笑いながら部屋を出て行く。
その背を眺めながら、海沼は呟く。
「全く……分からないお方だ」
愛桜を殺すよう仕向ける冷酷さに、確実に殺害はできない毒、機密事項を明かす行動、海沼に示すに気持ち悪いほどの興味。よく分からないのは、最後に背を向けた一瞬に見せた人を慈しむような顔だ。
どれも矛盾しているような人だった。
老人の姿の幹部には何度か会ったことがあるが、こんなに話したのは初めてで――。
海沼も少しだけ、あの幹部に興味が湧いた。




