二十五 思うこと
愛桜達の目的は、ウェンディゴを研究所に渡すことであって、山鶴の狩猟ではない。だから面倒な報告はしたくはないのだが、そうも言ってはいられない。山鶴の死骸をこのままにしておくと、周囲の環境や生態系に影響を及ぼす可能性があるし、何より、死骸でも貴重な研究材料だ。愛桜は山鶴の死骸を前に、その場で監督官に電話した。
山鶴の駆除をしたと報告すると、
『思ったより余裕そうだな。化け物が』
という監督官の激励を受けた。それに対し愛桜は、
「そうですね、俺達に心労が掛からないよう山鶴の存在をわざわざ隠していた本部は、思いもよらない成果にさぞかし喜んでいることでしょうね」
と皮肉を返した。
監督官は何も言い返せずに口ごもっていたが、愛桜は次の言葉を待つほど声が聞きたいわけでもないため「それでは」と通話を切る。今は、監督官よりも仲間と向き合わなくてはならない。
さて、これからどうするか。
山を下りて研究所まで行くことは変わらないが、仲間に刃を向けてしまった愛桜は、どう振る舞えばいいのか決めかねていた。いきなりいつも通りに戻ることはできそうにないし、弁明するにしても、言えないことが多すぎる。
考えていると、離れた場所にいた梗香、灯、灰鳴、炎が近づいてきた。
「理由を、話してくれるのよね。愛桜」
報告を終えた愛桜が何もせずにその場に留まることに、梗香は痺れを切らして言った。
「彼女は、人間だ。敵じゃないし、人間を喰うことはない。だから、攻撃しなくても問題ない」
「人間? 姿を変えられるのが、人間だと言えるの? まるで……」
梗香は口を噤んだが、その先に言おうとした言葉は分かる。
まるで、ディールみたい。
愛桜は、それだけは否定するために一片の迷いもなく告げる。
「人間だ」
「愛桜。悪いが、いくら愛桜がそう言っても、俺も人に見えなかった」
灰鳴が梗香と同じことを思い、そう言った。きっと、炎も灯も、同じことを思っている。もしそう思っていなかったら、彼女に攻撃はしなかっただろう。
「でも人なんだ。絶対」
説明できない根拠。どう話せばいいのかも分からず、言う覚悟もできていないその根拠は、愛桜の中にだけ留まる。
――俺もディールを喰ったことがある。人間離れした力がある。彼女もそうだ。
――俺を人と見てくれるなら、彼女も人だ。
――俺の人間離れした体質と、彼女の姿が変わること、どちらも人間の枠から出ているという点で変わらない。
――だから、人なんだ。
そんな、人であって欲しいという願いにも似た想いを呑み込み、行き場を失った想いはどこにも行けず、力となって握った拳に表れる。
「……人間だとして、何で逃がした? 人間なら保護すべきだろ。それを、こんな方法で」
炎は、足元に投げられた愛桜の短刀を拾っていたようで、それを愛桜の足元に投げ返した。
愛桜はゆっくりと刀を拾い鞘に納め、その間に言う言葉を考える。
少女を逃がすため仲間に刃を向けた結果、仲間を傷つけた。それについては悪いと思っているし、まずは謝るべきだ。しかし何を言おうか考えたところで言い訳のようなことしか出てこない。
「見ただろ。あの姿……。分かるだろ? あれを知ったら、何をされるか。姿が変わるだけで、ディールのような扱いを受けるに決まってる」
「分かるわ。分かるけど、あの子が人間だと、愛桜も、誰も、証明できないじゃない」
梗香が困ったような顔をして言った。
冷静でいるようで、愛桜の行動にはかなり動揺している梗香は、愛桜を信じたいがそうできない自分と葛藤していた。あれを人と見るのは危険で、自分の判断を信じるべきだと、どうしても考えてしまうのだ。
「そうだ。だから、彼女を追わせないために、こんな方法しか思いつかなかった。ごめん」
ここにいる四人は、自分の目で見たものを信じるから、愛桜が言葉で言っても納得のいかないことはすぐに分かってくれないし、最終的には自己判断で行動する。そして、これまでは各々冷静に状況判断して、優先順位をつけて行動することで多数を守ってきた。だから、人かディールかも分からないモノを放っておく選択はしないと、愛桜は確信していた。
まずは捕獲、それが最優先事項になるのだと。
その判断は間違っていない。しかし、あの少女を傷つけたくなかったと、愛桜は愛桜で、複雑な心境でいる。
「……私は、愛桜君の言っていること、理解できるよ。あの子はきっと、人だよ。だから守ろうとしたんだって、分かる」
灯は、いつもと変わらない様子で、穏やかにそう言った。その言葉に一番に反応したのは梗香で、言い合わないでと言われているように感じて、無意識に名前を呼ぶ。
「灯……」
呼ばれた灯は、梗香を見て微笑む。
その顔が、誰も悪くない、誰も間違っていない、と言っているような、そんな顔だった。
灯は愛桜に向き直り、声のトーンを少し低くする。
「でもね、愛桜君。私たちは、それなりに長く一緒にいて、死ぬかもしれない状況でも生き残ってきた。私たちを嫌う大人たちに悪意を向けられた時も、助けた人に殺し屋だと石を投げられた時も、私は一人だったらきっと耐えられなかった。みんなは割り切っているけど、私は、いつも、辛いし、悲しい。でも、みんながいたから。心の内を話さなくても、みんながいて、笑っていられたから。だからね――」
ぐっと涙を堪えるように、しかし強い意志を宿して言う。
「愛桜君、そんな顔、しないでよ」
灯は、強く強く祈るように、とても悲しそうに、それでも穏やかな顔をして続ける。
「絶望した? もう私たちのことは信じられない? 私たちも他の人と同じに見える?」
言われて、愛桜は何も返せない。
全て、灯の言うとおりだからだ。愛桜には、目の前にいる四人が、自分達の死を願う大人たちや、殺し屋だと言って冷ややかな目で見てくる人達と、今は同じに見える。しかし、それを言ってしまえば、仲間達はもっと傷つくのではないかと思って、言えない。絶望しても、信じられなくなっても、たとえ人を傷つけることを良しとする人間と同じだとしても、愛桜は仲間達を傷つけたくないと思ってしまったから。
そう思っているが、やはり、人の心はみんな同じように思えてしまったのは変わらない。
「そんな冷めた目、しないで」
灯にそう言われた瞬間、ドクン、と愛桜は本心を言い当てられて心臓が波打った。
「私たちは、愛桜君が言う事なら、理解しようと努力する。話してくれたら、考える。愛桜君、隠していること、たくさんあるでしょ? 私たちが、それを聞かないでいたのは、愛桜君の判断を信じていたから。私たちの事を見限るのは、ちゃんと話した後にして」
愛桜は、灯にそう諭されるように、普段とは違うはっきりとした口調で言われて、少し頭を整理する。灯の言うことはもっともだ。しかし、これまで隠してきたことを話すのには抵抗がある。どこから話せばいいのかも分からない。
しかし、何も伝えないままこんな感情でいるのは嫌だし、それは仲間達も同じだろう。
「……分かった。少し、考えさせてくれ」
それが、愛桜が今言えることだった。
愛桜の言葉を待っていた灯は、
「うん。今は、仕事が優先だし、ゆっくりはできないよね。帰ったらちゃんと、話してね」
そう、優しく言った。
梗香と炎と灰鳴は、二人の会話を黙って聞いていたが、まだ不満があり顔を顰めている。
会話を聞く中で言いたいことを言うのも、愛桜の話を聞くのも、今ではなく後にした方がいいというのは、確かにそうだと思った。お互い、冷静とは言い難い。時間を空けた方が相手の言葉に耳を傾けることができそうだ。
灯は快く待つみたいだが、三人は頭を冷やす時間と考えて今は口から出かかる言葉を呑み込むのだ。
そうして五人の意見が一致して、誰が言うでもなく、山を下りるために歩き出す。
お互いの距離は一定に、離れるでも近づくでもなく、同じ速さで。
「……ちゃんと、帰ってきてね。殺されないで」
そう独りごちた灯の声を聞いて、愛桜はフッと笑った。




