二十三 正体
『山鶴』とは、山に現れるディールで、見た目は鶴に似ている。
山鶴は捕食対象を見つけた際、対象を足止めする習性があり、人間を見つけると嘴で地面をつついて周囲に振動を起こす。そして、振動で身動きが取れなくなった人間を嘴で刺し殺し、捕食する。
山鶴を見たら見つかる前に逃げろ、というのが狩猟団体が市民に向けて知らせている注意喚起で、今のところ一般人が山鶴に見つかった時の生存率はゼロだ。
山鶴はかなり大きい振動を起こすことができると言われていて、山全体を揺らすこともできる。その揺れによって、人は動けなくなるか、動けても思うように行動できない。対して、山鶴は揺れの中でも自由に動けるため、人間を容易く喰うことができる。
振動を起こされると厄介な相手だから、愛桜達は山鶴に見つからないように行動することを最優先とした。
血の匂いを辿るほど、山鶴の気配が近くなる。
山鶴に人が襲われたのか、あるいは山鶴が死んだのか。
それとも、ただの獣の血か。
「なに……あれ」
血の匂いがかなり強くなってきたところで、梗香は、その光景が見えて足を止めた。
血の匂いの元にようやく辿り着いて、何があったのかと思えば、予想外の状況が待ち受けていた。
足を止めたのは、梗香だけではない。
「食べてる、のか?」
動揺を隠せない灰鳴が、声を震わせる。
あれは、山鶴が捕食されている――?
「共食い?」
見たままを言った炎は、あまりの不気味さに身を引いている。
ディール同士の殺し合いや、共食いは見たことも聞いたこともない。
山鶴に見つからないよう慎重に行動していたため、その現場までは距離がある。
だから、四人には山鶴の特徴である嘴しか判別できていない。
山鶴以外の何かが、抵抗のない山鶴を喰っているように見えるのだが、それは僅かに見える動き方で予想しているだけだ。
しかし、灯だけは分かる。
「でも、あれって……」
常人よりも視力が飛び抜けていいから、この距離でもよく見える。
「人間?」
その言葉に、四人の視線はゆっくりと山鶴から灯に向かう。
『本当なのか?』『どういう状況なのか?』視線で訴えかけてくる四人の驚きと疑問を、灯は一身に受け、しかしはっきりとは声に出せない。
――あれは、人間が山鶴を食べている。
見えたものは、灯自身も目を疑うような惨状だった。
(こんなこと、あるのかな? 見間違いかも……)
そう思って目を擦ってみても、見えるものは変わらない。
「ど、どうするの?」
灯はその場から目を逸らして愛桜を見る。
灯と目が合った愛桜は、冷静に状況を確認する。
「灯、山鶴を人間が食べている、確かか?」
その静かな声を聞いて、灯は、余計な思考は必要ないと振り払い、落ち着いて答える。
見たままを、その通りに。
「うん、間違いないよ」
「そうか」
愛桜は少し考え、山鶴の方に目を向けて、そして、決める。
「放っておこう」
愛桜が出した答え。それは、見なかったことにしてこの場を去ることだ。
その答えに、四人は沈黙する。
愛桜の判断はいつも正しく、信頼もしているが、今回に限ってはすぐに分かったと言える状況ではない。
「愛桜、いいのね?」
「できれば理由を聞きたいところだな」
「あれを放置するのは、俺は反対」
「愛桜、くん?」
梗香、灰鳴、炎、灯がゆっくりと愛桜の目を見た。
疑心と不安が入り混じり、次々と放たれる声に、愛桜は額に手を当てて少し考える。
放っておきたいところだが、不安が募る中、このまま理由も言わず強引に意見を通しても仲間達の不信を買うだけだ。ここにいる四人は、基本的に経験豊富な愛桜の意見に従うが、納得いかなければ自己判断で動く。自分の命は、最終的には自分で守るしかないと身に染みているから、いくら愛桜の事を信頼していても全て従うわけではない。
自己判断で動いて、あの人間に手を出されることは避けたい。
「ディールの近くにいる人……これって、もしかしてこの前の……」
逡巡する中、小さく呟いた灯の声が聞こえた。
その声に、灰鳴と梗香、炎もハッと息を吞む。
全員、正体に辿り着いたようだ。
「……俺も、そう思う」
愛桜も小さく呟き、特に不安が滲み出ている灯を見て、大丈夫、と伝えるように頷く。
山鶴を喰う人間には心当たりがある。灯が人間だと言った時、その顔がすぐに思い浮かんだ。
その正体を全員に知られてからの愛桜の決断は早い。
山鶴を殺して喰っているあの人間は、放っておいても人に危害は加えない。しかし、状況が特殊だ。放っておいても問題ないという確証がない以上、仲間が愛桜の言う通りにしてくれないだろう。
愛桜を無視して仲間達があの人間に接触するより、あの人間を知っている愛桜が動いた方が傷つく人は少なくできる。それなら、愛桜が動くしかない。
「俺が行くよ」
「でも愛桜くん……」
「大丈夫、任せろ」
灯の声を振り切り、前に出る愛桜。その腕を灰鳴が掴んで引き止める。
「愛桜、信じているけど、危なくなったら加勢するからな」
「あぁ、俺が助けを求めたら、頼む」
それを聞いた灰鳴は手を離す。
愛桜の判断はいつだって最善だから、愛桜が行くと言うなら、こんな状況でも信じるしかなかった。
******
肉がちぎれる音が、血の滴る音が、荒い息遣いが聞こえる。
「また会ったな」
愛桜は、山鶴を喰う人間に近づいて声を掛けた。
「っ⁉」
人間はビクッと肩を震わせて、山鶴の肉をちぎる手を止める。
「ごめんなさい」
そう言って目の前の亡骸を見下ろして、立ち尽くす。
「何が?」
問うと、山鶴を喰っていた人間――その少女は、こちらを見た。何か恐れているように顔を歪ませて。
(やっぱり、あの時の子か)
愛桜は、少女の顔を見て確信する。
ワーム駆除の時にいた少女だ。
「私は人間よ。食べてないよ。いや、食べたんだけど、そうじゃなくて。お腹空いてたの。ほら、虫とかも食べるよね? いや、豚とか牛とか、食べるから、それと同じで! 本当は食べたくないの! ただ、しょうがなくて。あの、人間だから! 本当に! 人だよ。あの、そう、乱暴はしないから! だから、その……ッ」
愛桜は何も言っていないのに、弁明するように捲し立てた少女は、言葉を詰まらせて、ギュッと拳を握って俯く。
「ごめんなさい」
愛桜には、少女が何を伝えたかったのか、なんとなく分かる。
自分は人間で、人に害を成さない。だから、殺さないで。
しかし、少女は伝えることを止め、最終的に謝罪をした。
少女は、数日前に会った時とは別人に思えるほど疲弊していた。
泥にまみれた髪はパサついていて、肌には擦り傷や切り傷が無数にある。数日前に見た時よりやせ細り、顔がこけ、目の下に隈がある。
愛桜はただ声を掛けただけで、それ以外何も言わず、何の感情も向けていないのに、そんな少女が必死に弁明して、謝罪した。
「何が?」
もう一度聞くと、少女は諦めたように笑った。
そして、何か言おうと口を開ける。しかし、愛桜は言わせない。
その諦めたような寂しい笑い方が気に食わなくて、悔しくて、何も言わせない。
出てくる言葉はきっと、諦めのような一言だろうから。そんなこと、言わせてたまるか。
「何も悪くないのに」
「へ…………?」
少女にとって、愛桜の言葉はよほど想定外だったのだろう。きょとん、として動かない。
普通なら、ディールを食べるなんておぞましく、考えもしない。
ディールは、ただの生物ではないのだから。
未知の生物、それも人間を好んで喰う習性を持っていて、行動心理も分からない。『角』によって力を得る、生物と言えるのかすら怪しい、そんな存在。
そうでなくても、人間が生き物の死体をその場で食い荒らすなど、頭がどうかしているとしか思われない。
普通なら、近づこうとは思わない。嫌悪の目を向け、狂っていると言い、近づくことさえしない。
少なくとも、愛桜がこれまで会った人は、みんなそうだった。
少女がこれまで会った人もそうだったのだろう。
しかし、愛桜は違う。
嫌悪しないし、理解できないと離れるわけでもない。
真っ直ぐに少女を見る愛桜は――、
「大丈夫。俺も、喰ったことあるから」
と、息をするように、まるで何ともないように、言葉を放った。
当たり前のことを、当たり前に言ったように笑うから、少女の頭は一瞬真っ白になる。
「……は? ……なに、を?」
「ディオディール。俺も、食べたことある人はいないと思ってた」
ハハッと笑って見せる愛桜。
少女は、その目を見て、急に悲しくなった。
目の前に現れた少年。
その少年は、ディールを食い荒らしているところを見ても嫌悪や拒絶をしなかった。
少年は、何も悪くないと言った。自分も喰ったことがあるのだと、笑った。
その少年の目に、光はなかった。
生きている人にあるはずの、光がない。
まるで、死人の目だ。
見覚えのある目だ。
(……この目、知ってる……あぁ、そっか)
――この人はもう、人を、やめてるんだ。
気づいてしまったら、心臓を締め付けられるような感覚がした。
その辛さを知っているから、とても、悲しくなった。
「無理して笑っても、誤魔化せないよ……」
「……っ」
愛桜は、笑顔の裏に隠した暗い感情を言い当てられた気がして、息を詰まらせた。
「そうだな。これは笑って誤魔化せるものじゃなかったな。君の前で、誤魔化す必要もなさそうだ」
愛桜は話しながら、一歩一歩、少女との距離を縮める。
「できれば誰にも知られたくない。だって、神の使いとか、神そのものだとか崇める人もいるんだ。言語を話して、意志疎通できるディールもいる。そうじゃなくても未知の存在を食べるなんて、他の人には恐ろしく見えるかもな。気持ち悪く見えるかも。良いことだとは言わないだろうな。みんな、そんなこと止めろと言うに決まってる。知れば……恐れて、嫌悪して、みんな離れてく」
愛桜が少女の目の前まで近づくと、愛桜より背の低い少女は、愛桜の顔を見上げる。
「あなたも、食べるの?」
震える声に、揺らぐ瞳。
それを聞くことは、少女にとって、とても勇気のいることだったはずだ。抱く不安が声で伝わってくる。どういう不安を抱いているのかまでは分からないが、沢山の不安を抱えながら目を逸らさないでいてくれる。
向き合ってくれる少女に応えようと、愛桜は『俺は敵じゃない』と言うように、優しい声音で答える。
「昔、食べたことがある。だから、今も食べてる君とは違うのかもしれない。それでも、俺たちは他の人より少し、分かり合えると思う」
そう言ったところで、少女の不安は拭えない。まるで、ずっと怯えているようだ。
「私を、どうするの?」
聞かれて、愛桜は戸惑う。とにかく、少女を誰にも接触させずに逃がしたいと思って飛び出てきただけで、こんなに呑気に話ができるとは思わなかった。
「さぁ、どうしたいのかな。とりあえず、ここから離れた方がいい。それを、伝えに来た」
「何もしないの?」
愛桜はてっきり、少女はワームの時のように逃げると思っていた。話もできないと思っていたため、何かするという事は全く考えていなかった。
自分以外の誰かが少女に接触して、傷つけて欲しくなかったというだけのことだ。
他に、愛桜が接触した理由があるとすれば、それは――。
「君は、誰かを傷つけることはしないから。……本当はただ、もう一度君と話してみたかったのかも」
愛桜は、少女が誰も傷つけないこと、放っておいても大丈夫なことは、顔を見て分かっていた。しかし、仲間に説明できるほどの確信はない。言うなれば、ただの直感だ。その直感を確かなものにするために、彼女を知るために、話したかったのかもしれない。自分と同類かもしれない人間のことを知りたかったのだ。
「そう」
少女の目は、少し穏やかになった気がした。信じてもらえたのだろうか。
そう思ったがそれは一瞬で、すぐに不信感で満ちたものに変わる。
簡単にはいかないか、と思い直した愛桜は、そこで、近くのディールの気配に気づく。
少女から目を離し、気配のする方を見ると――、
木の上に、山鶴がいた。
少女に気を取られて、もう一体山鶴が潜んでいることに今まで気づかなかった。山鶴は気配を消して様子を見ていたのだろう。人間を見たら振動を起こす山鶴でも、ディールが人間に喰われる光景を見て、すぐに手出ししなかったようだ。人間を喰らいたい欲望に抗い、状況を観察できるということは、知性の高い個体だ。
愛桜が木の上の山鶴に気づいた、その瞬間。
山鶴と目が合った。
直後、山鶴は飛ぶ。
愛桜がディールの気配を目で辿ったことがいけなかった。
愛桜に気づかれた山鶴は、逃げるという考えや相手の出方を見るという考えがなく、標的めがけて一直線に飛ぶ。
殺される前に殺すという覚悟を決めて。
その嘴で、人間二人を串刺しにするために。




