二十一 不安の種
「はぁー」
灯の手を掴んで起き上がった愛桜は、ため息を吐いた。
「どうしたの?」
隣の灯が心配そうに愛桜を見くるから、少し反応に困る。愛桜からすれば、それほど心配されるようなことは何もない。ため息だけで心配させてしまったことに、少し罪悪感を覚えた。
「んー。安堵と……気が進まないなと思って」
それだけ言うと、灯は察しくれたようで、静かに呟く。
「そっか……これ、あの人にも報告しないといけないもんね……」
「いっそ、このままみんな死んだことにしてどこかへ逃げようか?」
冗談で言うと、灯は口元を手で隠し、控え目に笑い飛ばす。
「ふふっ。できないって分かってるくせに」
「まぁ、そうだよな」
愛桜は、ため息交じりに言って、灯はその顔を見上げて笑う。
「他の誰よりも愛桜君が一番逃げないと思うよ」
「まさか」
「自覚ないんだね。ふふっ」
灯はどこか楽しそうに微笑んで、愛桜の手を引きながら百蝙の死体の上を歩き始める。
こんな状況でも、灯はずっと穏やかで落ち着いている。死体の上を歩いているとは思えないほど、纏う空気は静かで清らかだ。
「灯はいつも通りだな」
手を引かれる愛桜は、灯りの穏やかさに釣られて、絶え間なくウェンディゴに荒らされる心が少しマシになった。
「うん。いつも通り」
そう言った灯の声を聞くと、どこか落ち着いて、ウェンディゴの声が遠ざかったようにさえ感じる。
******
愛桜たちが死ぬと思っていた監督官は、仕事完了の報告を受けて舌打ちをした。
仕事は終わったのだから本部に向いたいと言うが、それは無理な話だ。上層部にウェンディゴの受け入れを申請したが、愛桜が死ぬと確信していたようで、まだ準備は何もできていない。
――『殺し屋』はそのまま山で隔離でもされているのがお似合いだ。
――あの子らは心のない殺し屋だ。人の皮をかぶった化け物だ。
――いっそ、このまま死んでくれれば話が楽なものを。
上層部がそう言っているのを聞いて、監督官はただ黙り込んでいた。
本当は、『殺し屋』の監督官になどなりたくはなかったのだ。
両親も友達も、大切な人がみんなディールに喰われたのに、どうしてそんなものに立ち向かえるのか理解できない。恐怖に足が竦んで、動けなくなるのが普通ではないのか。少なくとも自分はそうで、それでもディールと戦う人の助けになりたいと狩猟団体の補佐になった。
補佐になって分かったことは、どんなに歴戦のハンターでもディールと対峙するのに恐怖を抱くということだ。死を恐れているということだ。命を奪うことは、簡単ではないという事だ。
それがどうだ。あの少年たちは、容易く命を奪い、命を奪われることにも恐怖を抱かない。殺し続けることができるあの少年たちを見ていると、こちらがおかしくなりそうだ。
人の心なんてとうに捨てたような少年達。彼らには、『殺し屋』ほどよく似合う蔑称はないだろう。
******
愛桜は灰鳴に怪我の手当てしてもらった後、監督官に報告を上げた。
電波が届いてしまったため電話で報告を上げたが、できることなら狼煙か、電波が繋がらない事を理由に下山してしまいたかった。
報告をして監督官との通話を切ると、電話を持った手に力が入る。
「準備はまだ万全ではない。山にいろ。他の人の安全のために下りて来るな」
それが、監督官から告げられた答えだった。まだ下山の許可は出ないことは分かっていたが、苛立ちでどうにかなりそうだ。
しかし、百蝙相手に生きていると知って、本部は今頃大慌てだろう。愛桜はそれを想像して、少しでも留飲を下げることにする。
それに、さっさと下山したいとはいえ、すぐにウェンディゴを捕獲できる環境がないなら、ウェンディゴが何をしでかすか愛桜自身分からない。閉じ込め続けるのは精神力も体力もいるし、永遠に、というわけにはいかない。
愛桜は人間離れした能力があるが、一応、人として生まれている。だからディールに劣るところもあるし、必ずどこかでウェンディゴに主導権を握られる時が来る。
「この山にいるしかないか……」
状況を踏まえて愛桜は仕方なく、山に留まる選択をした。
******
山にいるなら、野宿することになると思ったが、山小屋があるらしい。監督官が教えてくれたことだが、そんな親切な情報、裏があるとしか思えない。
警戒しながらも教えられた場所に来てみると、案の定、泊まりたいと思えるような代物ではなかった。もっとも、監督官がこの惨状を分かっていたのかどうかは分からないが。
罠が仕掛けられている様子はないから、愛桜達がどこにいるか把握するために山小屋に誘導しただけだろう。
山小屋の前で、予想はしていたその有様に、愛桜たち五人はため息を吐く。
「この子屋ねぇ」
「崩れは……しないよな?」
「隙間風が……」
「夜は流石に寒いな」
「……」
梗香、炎、灯、灰鳴の順で不満を漏らし、何も言わない愛桜はものすごいしかめっ面をしている。
これは小屋というより倉庫だ。壁は薄いし、建付けも悪い。風が吹けばガタガタ音がして、隙間風が冷たく入り込む。
普段は野宿が多いことを考えると、風で飛ばされそうな小屋でも、贅沢な方ではあるのだが。
「非常用に食料は置いてあるけど、暖炉くらい欲しいよなー」
渋々といった様子で炎は狭い小屋に入って、ぐるっと一周見回して言った。
狩猟団体が管理しているようで、最低限のものは置いてあるが、季節を考慮したものは置いていない。秋の今は夜が寒いため、毛布だけでなく部屋全体を温めるものが欲しい。
「ま、これも風情だと思いましょ」
梗香はなんとかいい点もあると思いたくて適当なことを言ったが、
「小屋がこんな現代的じゃなかったら頷けたかも」
と、零れた灰鳴の声に頷くしかなくて肩を落とす。
「せめて木造だったらいいのに……」
木造なら山小屋らしくなるが、目の前にあるのは板一枚のプレハブ小屋だ。
仕事の最中ならまだ耐えられるが、仕事後のこの扱いは不服だ。
帰りたい。ベッドで休みたい。
そんな四人の様子を見て、愛桜に罪悪感が押し寄せる。
「ウェンディゴがいるせいだ。俺の作戦のせいで、ごめん」
「愛桜のせいじゃないだろ。むしろ一番の功労者だろ」
灰鳴は、すぐに言葉を返し、百蝙に噛みつかれた傷が所々ある愛桜に目を向ける。
「首は?」
「あぁ、大丈夫。回復力だけはいいから」
「ねぇ、やっぱりウェンディゴのせいだよね。首なんて、そんな命に直結するようなところに傷を作るなんて……」
灯は、愛桜の首に巻かれた包帯を見て言った。
傷がもう少し深ければ、その場で治療しきれず死んでいた。それにも関わらず、愛桜は何ともないようにしている。
「どうだろうな。確かに集中力は削がれていたけど」
ウェンディゴの所為だと断言しないのは、仲間に心配をかけないためだ。
しかし、愛桜はすぐに言い直す。
「……いや、悪い。ウェンディゴがいなければ怪我なんてしなかったかもな。予想以上に、うるさくて」
生き残るためには気遣いは不要だ。事実をそのまま伝え、状況を正しく理解しておく必要がある。そして、全員が共通意識の下で最悪を想定しておかなければ、いざという時に最善の選択ができない。
ウェンディゴがいる今の状態で、愛桜の強がりや誤魔化しは許されないのだ。
愛桜は、拳を強く握る。
なぜ、今誤魔化そうとしたのか分からない。心配はかけたくないが、状況を偽るなんてどうかしている。ここにいるのは何年もハンターをやっている精鋭で、頼もしい味方しかいないのに。
『本当にそう思っているのか? それなら偽る必要はないはずだ。お前、本当は分かっているんだろう。頼れる仲間。信頼できる仲間。そんなものいない。頼られるばかりで、従えるばかりで、お前が頼ることはない』
(そうなのかも、な)
愛桜は、ウェンディゴの方が心をよく理解している、と思ってしまった。
暗い顔をする愛桜を見て、炎は何を感じ取ったのか、
「もう休め休め! 見張りは俺たちに任せなさい!」
そう言って愛桜の後ろから肩を掴んで、小屋の中央に押し進ませた。
それをきっかけに、とにかく休息を、と全員が動き始める。
そんな中、小屋にある非常食を漁り出した灰鳴が、ふと疑問を口に出す。
「でも、相性っていってもおかしな話だよな。そんな話聞いたこともないし」
ウェンディゴと愛桜の相性のことだ。ディールについて分かっていないことの方が多いが、相性の話なんて誰も聞いたことがなかった。当の愛桜でさえよく分かっていないことで、今考えても答えは出ないだろう。しかし、気になるのだ。
灯と寝床の準備を始めた梗香は、うんうん、と頷く。
「ディールを引き寄せる体質も今じゃ慣れ切ってるけど、初めは信じられなかったし。他にも、『感覚止血』とかどうやればできんのよって話よね」
梗香が話題を広げ始めると、炎はムッとした様子で、愛桜の肩に手を乗せる
「愛桜のビックリ体質は本人にも分かってないんだから、あんまり言ってやるなよ。愛桜、もう寝て休んで」
「炎が珍しく気を使っている……」
梗香は、そう言いながら炎の珍しい気遣いに目を丸くした。
しかし、違った。
「だって羨ましいんだもん! 俺だってみんなができないようなことしたい!」
縋るように必死に話す炎。
どうやら、手に入らない能力の話は嫌だっただけのようだ。
「気を使うのは、らしくないよな……」
「え、そう思われてるのもどうなの、俺……」
愛桜はいつも通りの炎にどこか安堵して呟き、炎は苦い顔で反応した。
******
夜は、愛桜以外の四人で、交代で見張りをすることになった。
炎、梗香、灯、灰鳴の順で二時間交代の見張りだ。
四人が眠りに入った静かな夜、炎は外で腰を下ろし見張りをしている。
山は元々静かだが、夜はほとんどの生き物が活動しないから特に静かだ。
だから、思い出す。
――百蝙の中に、狩りの攻撃で死んだとは思えない亡骸が転がっていたことを。
そして考えてしまう。
百蝙は、愛桜の短刀、炎の刀、梗香と灰鳴が投げた杭や石、灯の矢で殺したはずだ。だが、どう見てもそれ以外で死んだような亡骸があった。
何が原因でそうなったのか分からない上に、自分たちしかその場におらず、他からの攻撃も考えられない。それに、ディールの生態はまだ解明されていない以上、そういうこともありうる。そもそも血の海に大量に転がる亡骸だ。見間違いという事もある。
――内側から爆ぜて死んだような亡骸。
そんなものが、あるはずない。
他に気づいた人はいたのだろうか。それとも誰もが気づいていて、口にはしなかったのだろうか。愛桜の、「ディールが他にいるかもしれない」という言葉もあって、どこからか見えない攻撃を受けたとも考えられる。
「灯は、気づいてないはず、ないんだけどなぁ」
木に覆われて見えない夜空を眺めながら、声が零れた。
視力が良く、観察眼が優れている灯が、異様な亡骸に気づかないはずがない。
百蝙を倒すことしか考えていなかった炎が気づいたのだ。他の人が気づかないのもおかしい。
みんな気づいていて、揃って口にしないのだろうか。だとしたら、それが一番不気味だ。
状況把握は正しくされなければならない。それは経験上身に染みて分かっている。しかし、なぜか口にはできない。口にすれば、何かに綻びが生じる気がして、何かが壊れてしまう気がして、だから言ってはいけない気がするのだ。
無視できればいいのだが、見たものがあまりにも異様だったから、ずっと引っかかっている。
「あぁ、くそっ! それこそ俺らしくないっての」
炎は頭を掻きむしり、思考を中断する。考えることは性に合わない。気になってどうしようもなくなったら、愛桜に聞いてみよう。愛桜はディールに詳しいから、知っている気がする。
そう思って、炎はハッとした。
そうだ――。
知っているから、聞けないのだ。
愛桜が知っていることを知ってしまったら、何かが壊れそうな、漠然とした不安があるのだ。
「それでも、聞かないといけない時が来たら、聞くしかないけど」
どうしようもない不安の種。
それはしばらく抱えたままになりそうだ。
「ま、そのうち分かるかもしれないし」
楽観的に捉えているわけではないが、今は目先のことに集中しなければ明日も生きられないかもしれないのだ。炎は軽く呟き、不安の種は向き合うべき時に向き合おうと、今は考えないことにする。
ただ――。
今夜は少し、一人が怖い。




