(一)魂鎮め
この日、小山城下は朝から異様な熱気に包まれていた。
昨晩、城内に忍び込んだ賊を捕縛すべく、城下の出入りには厳重な取り調べが課されていたからだ。人相改めはともかく荷物の検分が徹底していた為、商人達はいつまで経っても町を出られず各所で不平不満を爆発させた。役人達の言うことには、捕まった仲間の命を助けたくばすぐに出頭せよ、とのことであるが、そんな馬鹿がいるか、と皆大いに呆れたものである。
「けど、それが何を意味するか私達には分かってしまう」
「……八重の命が危ないってことか」
傀儡女の報告に、思わず源九郎は床から身を起こす。途端、身体の節々がずきずきと痛み苦痛に顔をしかめることに。
昨夜、八重の大蛇によって川へと落とされた衝撃は強烈だった。水流の中にいたため擦り傷はほぼないが、川に突入の際などは意識が飛びそうになったものだ。岸辺に辿り着いたときは体力の限界で、傀儡女の助けなしには隠れ家に辿り着くこともできなかっただろう。
「旦那の言う通り、あの娘が御霊の力を使ったのだとすればね。御霊はあらゆる魂に活力を与えるけれど、宿主だけは気枯れ――つまり消耗する。それも小狐丸の助力無しとくれば、相当まずいことになってるだろうさ」
煙管を片手で弄びながら、傀儡女は苛立たしげに言った。
「問題は、御霊がわずかながらも常に活性化を続けていること。これが弱った宿主にとって命取りになりかねない。ちゃんと魂鎮めをすれば防げるけどね」
「やり方は分かるか?」
「小狐丸で御霊を斬ってやればいいのさ。それで御霊の力は弱まるし、あの娘も本来の優れた回復力で生気を取り戻すはず」
「よし。それなら、俺が小狐丸を持っていこう」
源九郎の言葉に、傀儡女は目を剥いた。
「本気かい?」
わざわざ死地に出向かずとも、人づてに小狐丸を引き渡せば八重の窮地は凌げるだろう。傀儡女が期待したのもその程度のことに過ぎない。だが、八重をあらゆる呪縛から解放し共に旅を続けるなら、ここで逃げるわけにいかないのだ。
「奴らに渡りをつけてくれ。安全の保障される場でなら魂鎮めをしよう、とな」
「多分、交渉自体はすんなりまとまるよ。けどね――」
「分かってる。死にに行くつもりはない」
やれやれ、と声に出して言うと傀儡女は立ち上がった。
「ま、旦那の人生だ。したいようにしたらいいさ。小狐丸があの娘の元に戻るのを、私が止める理由はないしね」
朱に染まった荒野にて、源九郎は再び件の男と対峙していた。
交渉の結果、一対一で会うことになったのだ。場所は北条領外にあたる小山からやや北の地。焼失した寺院の跡地らしく、生い茂る雑草に混じって炭化した木材やら瓦やらが散らばっている。この場所を選んだ傀儡女によれば、兵を連れて行くことが難しく見通しもそれなりによいので、万一の場合でも逃げ切れる可能性はあるとのことだ。
「臆さずよく来たな」
と、男が傍らの荷車を手で叩いた。
「ほれ、この通り。娘は連れてきたぞ。さあ、とっととどうにかしてみせろ」
そう言い残し、源九郎の視界から逸れることなく三十間ばかり距離を置く。ひとまず魂鎮めの邪魔をする気は無いらしい。
男の言う通り、荷車には八重が横になっていた。ついでに例の木箱も置いてあるが、これは傀儡女が持ってくるよう取りつけたのだろう。八重の容体は思った以上に悪いようで、あの白磁のような肌が無惨な土気色に変じていた。
「おい、大丈夫か!」
呼びかけに反応は無いが、小刻みに震えているところを見ると、まだ息はあるようだ。
すぐにでも魂鎮めを始めねば。
逸る気持ちを抑えて、慎重に刀袋から小狐丸を取り出すと、左手で鞘、右手で柄をしっかりと握り締める。以前に抜刀を試みた際、まるでうまくいかなかったことが気掛かりだが、傀儡女によれば必要な時には抜ける、とのことだ。
それが今であることを願いつつ、ゆっくりと刀を引く。
(――抜ける)
途端、鞘からまばゆい光が溢れ出す。あまりの眩しさに目を瞑りたくなるがどうにか堪え、そのまま腕を引いて鞘から刀身を解き放つ。
「これが……小狐丸か」
思わず感嘆の声を漏らす。刀身に一点の曇りも無し。夕陽を反射して黄金色に輝く神々しさたるや畏怖を感じさせるほどで、すり替えに用いた写しとは明らかに別格だった。
これなら穢れとやらも祓うことができるだろう。
八重に向き直り小狐丸を真っ直ぐ構えた。そして瞑目し、彼女の身の内に巣食う御霊の姿を想像する。これは不可視の存在を斬るにあたって、具体的な姿を思い描く必要があるからだ。
(そいつはきっと、巨大な蛇の姿をしているだろう)
己の正体も知らず、人の内に括られている白蛇。
普段は幾重もの縄で縛られ、身動きが取れずにいるに違いない。こうして暴れていられるのは、縄が緩んでしまったからだ。再び縛り直すには、ひとまず大人しくしてもらうほかないだろう。
おっと、気付かれたようだ。
白蛇が鎌首をもたげ、こちらに飛びかかってくる。
(今だ!)
小狐丸を横薙ぎに払う。
ふつ、と風切り音がして黄金の帯がたなびいた。
傍目には単なる素振りでしかないだろう。だが源九郎の脳裏において、白蛇は地に伏して動かなくなっている。
これで魂鎮めは成った。確信とともに納刀し、ゆっくりと目を開く。
そこにあったのは期待通りの光景――
八重は見る見るうちに生気を取り戻していった。異様な震えはすっかり治まり、土気色だった肌も徐々に赤みが差してゆく。
源九郎の口元がふっと緩んだ。八重が不思議そうにこちらを見つめていたからだ。
「う……源九郎か? 私は一体……」
彼女はぼんやりとした様子で目を瞬かせていたが、やがてはっと顔を上げ、
「――いや待て! どうしてそなたがいる。あの時、確かに逃がしたはずなのに」
「お前さんを助けに来たんだ」
すると、八重はおおよその状況を把握したらしい。
「魂鎮めのため、か。愚かな……私のことなど放っておけばよいものを」
「馬鹿言え、放ってなんかおけるかよ。なにせ、お前さんは俺と旅に出るんだからな」
「まだそんな事を。その気はないと言ったろう」
「そう言うだろうと思ったよ。まぁ無理もない。なにせ実の親に裏切られたんだ。なおさら赤の他人なんて信じられないよな」
「そうだ。私は二度と同じ過ちを――」
「けど、それが誤解だとしたら?」
唐突なひと言に、八重は怪訝な顔をする。
「誤解……とは何のことだ」
「お前さんの両親は、娘を見捨てたわけじゃないってことさ」
あまりのことに八重は言葉もないようだ。顔を強張らせたまま次の言葉を待っている。
儀式を続けるふりをしつつ、源九郎は話を続けた。
「傀儡女に色々と訊いたんだ。お前さんが両親と別れることになった前後のことをな」
これは主観を交えず検証することで、八重を説き伏せる糸口を掴みたかったからだ。幸いなことに、この件には傀儡女の師匠が深く関わっていたとかで、詳細を知ることができた。
「まず一家の生活ぶりだが、困窮していたのは確からしい。その原因の一つは、お前さんが病気がちだったことだが――これは霊媒としての資質が高いがゆえの霊障によるものだ」
小狐丸を荷台に置くと、源九郎は懐から八重に貰った短刀を取り出した。
「本来そうした事態は起こらないはずだった。お前さんの母がこいつを持っていたからな。これは『千曳の霊刀』なる、いずれ神の器となるべき娘に与えられる守り刀。微力ながら小狐丸と同様の力があり、悪霊の類を寄せ付けないんだとか。だが、お前さんに寄ってくる霊は強大なものが多く、防ぎきれぬこともままあったとか。そんな幼子が生き延びるには、雑多な霊の寄り付かぬ神域が必要だった」
一呼吸置いて、源九郎は自論を展開する。
「おそらく両親は悩んだだろう。娘の命が大事なら一族の元に帰るべきだ。しかし、それでは娘が御霊の依代にされてしまう。どうすべきかを巡って口論したかもな。その様子を、幼い娘はどう感じただろう。ひょっとしたら、不仲なのかと誤解したかもしれない」
数え五つにして両親と別れた八重が、当時の状況を正確に理解できていたとは思えない。むしろ、寂しかった怖かったといった、漠然とした印象が強く残ったことだろう。
「ともあれ、お前さんの身柄は一族に引き渡された。巫女として養育されるにあたり、『亡心の術』なる呪いで記憶を封じられてな。ちなみにこの呪い、術中に落とすにはなかなか面倒な条件が必要らしいんだが――何だか分かるか?」
問いかけに返事が無いので、速やかに答えを明かすことにする。
「一つは改名。旧き名を封じて新たな名を付けること。そしていま一つは、当人が忘れたいと心底望むこと、だとさ」
すると、八重は身体をびくりと震わせた。
「お前さんは両親との別れ際、酷な事を言われたんだったな。それがもとで、両親と過ごした日々の全てに否定的な印象を抱いてしまった、ということはないか? そんな思い出なら、忘れた方がましと思えるくらいにな。だが、それが『亡心の術』の仕込みだったとしたら」
「あれは両親の本意でなかったと、そう言うのか?」
そんな話信じられるものかと、八重はかぶりを振る。
だが、心中穏やかでないことは傍目にも明らかだった。それもそのはず。何であれ絶望の闇に差した一筋の光明に、目を背けることなどできようはずもないのだ。
「その後、お前さんの封じられた記憶は突然回復した。だが――大切な封印が勝手に解けてしまうなんて、いくらなんでもおかしい。必ず何か理由があるはずだ。すると、お前さんに御霊が宿った時期が一年前。丁度、記憶回復の少し前って話じゃないか。これが無関係とは思えない。なにしろ、御霊はあらゆる霊的力を増幅するという。それは物に込められた思念であろうと例外じゃない。となれば、お前さんの周囲に『記憶を取り戻せ』との想いを込められた物があれば、全ての辻褄が合うことになる」
「それは有り得ない。私の身の回りの物は全て清められている。念の籠った物など――って、そなた何をしている!」
八重は思わず声を荒げた。それも当然で、源九郎が唐突に『千曳の霊刀』の解体を始めたのだ。目釘を抜き柄を外すと、彼は両手で捧げ持った刀身を八重の眼前に差し出して、
「茎をごらん」
訝りながらも目を細めた八重は、すぐに目を剥くことになる。そこには、はっきりと『初音』の文字が刻んであったのだ。
「っ――これは!」
「お前さん本来の名と同じだろう? 通常、刀に刻まれるべきは作刀者の名か、刀の号である『千曳』となる。『初音』なんて女の名であるはずがない。となると、この細工を施したのはお前さんの両親ということだ。理由は――分かるだろう? 『初音』という人格を守るべく念を込めたのさ。いずれ御霊を宿した際に、解呪の力を発揮するだろうと期待してだ。なにせ『千曳の霊刀』は先祖伝来の守り刀。守護の霊験あらたかな上、没収されることもないからな」
話が聞こえているのかどうか。八重は初音の名に見入ったまま、ぴくりとも動かない。
「どうだ分かったか? お前さんは決して見捨てられた訳じゃない。全ては我が子を守る為に已む無くしたことで、だからこそ成長した暁には記憶を取り戻せるよう仕掛けも施した。何の為に? 少なくとも因縁とやらを絶って欲しかったわけじゃあるまい。きっと、人生を自分の意志で全うして欲しかったんじゃないか」
と、源九郎の手の平に熱い雫が滴り落ちる。
八重は――俯いたまま泣いていた。とめどなく溢れる涙が、守り刀と源九郎の手を濡らしていく。どうやら、もう説得の必要はなさそうだ。
「ここで改めて提案だ。俺と一緒に旅しないか?」
無言のまま、八重はこくりと頷いた。
「……そいつは良かった」
満足気に微笑んで、源九郎は守り刀を八重に手渡した。視線を上げれば、取引相手が待ちくたびれたような顔つきで手招きをしている。この様子では、とうに魂鎮めが終わっていると知れているのだろう。
「それじゃ――ここで待ってな。今からけじめをつけてくる」
一応事前の取り決めでは、八重の快復が確認されれば、源九郎の処遇について善処するとのことになっている。だが、そもそもそんな約束が守られるとは思っていないし、なにより今しがた交わした約束は、強硬手段をもってしか叶えられないものだ。
そのことは八重も理解しているため引き留めたりはしない。ただ一言、
「そなたを信じているぞ」




