(四)荒御霊
開け放たれる部屋の板戸。無遠慮な提灯の光を両手で遮りながら、八重は憤懣やるかたないとばかりに抗議する。
「何事か? この離れには誰も立ち入ってはならぬというのに」
「すいませんねぇ。こちらに賊が侵入した疑いがありまして」
男の武士とは思えぬ飄々とした物言いは、言いようのない不安を感じさせた。
「何かの間違いではないか? 私は何も知らぬぞ」
「とにかく検めさせていただきましょう。私だけでもお願いしますよ」
言いながら、男は手槍を片手にずかずかと室内に入ってくる。
灯火に照らし出された室内は、一見して誰もいないのが明らかだった。部屋の奥にある祭壇も、人を隠せる場所はない。
「ふーむ、誰もおりませんな」
「当たり前ではないか。分かったら早く出てゆけ!」
だが、男は祭壇の方に歩み寄ると、脇に置いてあった太鼓の胴をかつかつと指で叩き、
「おい、そっちから見てどうだ?」
一体誰への問いかけなのか? 外に居る者には聴こえまいが、独り言にしては少々奇妙だ。ひょっとすると、幽世の存在と交信しているのだろうか。八重がそんなことを考えていると、
「こちらから見る限り、逃げた様子はございませんな」
どこからともなく何者かのくぐもった声がした。驚き辺りを見回す八重。くくっと男が愉快そうに笑う。
「不思議だろ? なにしろ秘伝の伝声術だ」
言いつつ男は、ぱんぱんと太鼓の胴を手で叩く。
「この部屋に入った時、不思議に思わなかったか? なんで壊れた太鼓をそのままにしておくんだ、ってな」
男の言う通り、八重は不思議でならなかった。
神の器の寝所として、祭壇を設けるまでは理解できる。だが、特に祭祀を行うわけでもないのに、どうして大太鼓など置いておくのか。それも、片面の無い壊れたものを。
「もちろん、ちゃあんと理由はある」
ごつんと槍の石突で天井を叩くと、部屋を歩きながら男は得意気に講釈を垂れる。
曰く、この太鼓は壊れているわけではない。反対面にはちゃんと皮が張ってあって、そこに糸がついている。それを壁の穴を通して真っ直ぐに母屋の番所まで運び、対になる太鼓と繋いでピンと張ると、不思議なことに太鼓同士で声がやりとりできるのだ。
「ってなわけで、ここでの会話は全部筒抜けだったのさ。雨で糸がたわまなきゃ、もう少し聞いておきかったんだが」
ここで男は槍の穂先を天井へ向け、祭壇の真上に狙いを定めた。
ズバン、と槍が突き刺さるのとほぼ同時、天井裏から飛び出した源九朗が祭壇上に着地する。そこへすかさず男は槍を突きつけ動きを封じた。
「カッハッハッ、鼠一匹顔出し候」
喉元で光る刃を、源九朗はほぞを噛む思いで見つめていた。
城兵が来るのに気付きながら、どうにかやり過ごせまいかと祭壇から天井裏へ隠れたものの、これは明らかに悪手だった。
もっとも、あの時点では知りもしなかったのだ。
「まさか、この場に居ずして盗み聞きする手段があるとはな」
「人聞きが悪いねぇ。何も盗み聞きしたかったわけじゃないぜ。この娘は小狐丸共々重要な警護対象で、本来なら傍で見張っていなきゃならんのよ。それが、清浄を保つため人を近付けちゃならんってことで、様子を知るために一工夫しておいただけのこと。のんきに話し込んでたのはあんた方の勝手だわ」
油断なく槍を構えながら、男は楽しそうに話し続ける。
「しかしあれだな。いくら小狐丸を清めるためとはいえ、巫女一人に大層な気の使いようと思っちゃいたが……なるほど、大層な秘密があったんだねえ。十種神宝だったか? 関白の欲っする力とは、なかなか面白いじゃないの」
「そなたの他に話を聞いた者はいるか?」
感情の無い声で訊ねる八重に、男はどうでもよさそうに答える。
「そりゃ、手下の何人かはな。んなことより、すり替えたという小狐丸はどこだ? ひょっとして、小僧の背負っているやつが――」
突如、雄叫びを上げて八重が男に飛び掛かる。無論、それが通じる相手でもなく足払いで無様に転ばされるが、一瞬の隙を作るには十分だった。
暗転――源九朗が提灯めがけ祭壇のかわらけを投げたのだ。
「ちいっ、この野郎!」
怒声と共に槍が壁に突き刺さる。だが、源九朗は祭壇を跳んでかわすと、そのまま男の顔を蹴った。
当たりやよし。どたどたと派手に男が床を転がってゆく。
「よし、逃げるぞ!」
言いつつ俸禄玉に着火、外へ放る。
爆発音と悲鳴を合図に、八重の手を引き部屋を飛び出すと、追っ手を振り切り西へ向かって全速力。行き当たりの土塁を登り、城壁の前で立ち止まった。
「ここを越えるぞ」
あとは岸を下れば川となる。少し下った先の岸辺では、傀儡女が待っているはずだ。
だが、八重は大きくかぶりを振った。
「そなた一人で行け。私は泳げぬ」
「抱えて泳ぐから心配するな」
「心中する気か? 無茶を言うな。それに、私は秘密を知った者達の口を封じねばならぬ」
「何言ってんだ! それこそ無茶だろう」
「いいや――できるのだ。この身に宿る御霊の力をもってすれば、その程度のことはな」
そうこうする間に追っ手が迫り、幾人かの男達が土塁を登ってきた。
「さっきはいい蹴りをありがとよ。きっちり礼をさせてもらうぜ」
べっ、と唾を吐き先頭の男が刀を抜いた。応すべく柄に手をかけ、源九郎は足を一歩踏み出す。
ぐちゃり。
泥を踏み抜く感触と共に、じわじわと水が湧き上がってくる。いつの間にか地面が相当にぬかるんでいたようだ。
滑る斜面に手こずって、追っ手達も土塁を登りきれないでいる。時間が稼げて好都合だが、明らかに違和感のある状況だった。なにせさっきまで普通に走ることのできた一帯が、今や干潟のような有様なのだ。小雨が短時間降った程度で、こんなことになるはずないのだが……。
にわかに土塁の下が騒がしくなった。見れば大勢の男達が、口を抑えもがき苦しんでいるではないか。
「一体、何が起きているんだ?」
その疑問に答えたのは、一人だけ無事に立っている男だった。
「水がな、口から鼻から勝手に入ってくるのよ。こいつは地味だがなかなかたまらんぞぉ。おかげでみぃんな溺れちまいやがったのさ」
「……何を言ってるんだ?」
「だから、巫女ちゃんがそういう術をかけてんだっての」
振り返れば、八重は合掌の姿勢でじっと瞑目していた。本当にこの娘が何かしているというのだろうか。
「にしてもこいつは――たまらん! 大の男が揃いもそろって釣り上げた魚みてえによ。くはっ、ぐははっ、かっ、カハハハハッ!」
腹を抱えて馬鹿笑いすると、男は億劫そうに刀を地に突き立て、
「でもま、そんな小手先の術じゃ俺には通じんぜ」
お前らいい加減起きろ、と周囲の者をどついて回る。すると、苦しんでいた男達が一人また一人と立ち上がった。
「てなわけで、俺を笑い殺すのは諦めな。やるなら、もっと強烈なのでこい」
応じるように、八重は大きく柏手を打った。
直後、大きな揺れとともに土塁の一部が轟音を上げて崩落。その場にあった城壁が跡形もなく消え失せて、ざわざわと不気味な音が迫ってくる。
「くっ、今度は何なんだ!」
急速に足元の水位が増していった。崩落箇所から大量の水が入り込んでいるのだ。
水中では何か得体の知れぬモノが蠢く気配がある。ざぶり、ざぶり。音を立て近付いて来るそれが、掴み所の無い存在であるだろうことを、なぜか源九郎は直感していた。
水面が大きく揺らぎ、二人を腰までずぶ濡れにした。今まさに、得体の知れぬ何かがこの場に到達したようだ。
八重がすっと片手を前に突き出して――叫ぶ。
「疾っ!」
水中で何かが奔った。それはうねる波となって件の男へと一直線。
水が爆ぜる。
どっと叩きつけるような音とともに、舞い上がった水飛沫が一面に降り注ぐ。
もはや疑う余地も無い。八重の持つ力はまさに神懸かりだ。
眼前の光景に驚嘆しつつも、これで窮地を脱したと源九郎は合理的に考える。あの鉄砲水をまともにくらって、無事で居られる人間がいるわけがない。
だが――水煙が収まると更なる驚異に目を見張ることになる。
「今のはなかなかよかったぜ。だが、俺を殺るにはちと足りないな」
響く高笑い。それは八重にも予想外だったらしい。
「……信じられぬ。そなた一体何者だ?」
「しがない剣士でございますよ。なぁ巫女ちゃん、あんただけが特別なわけじゃない。本物の妖術を使う奴ってのは、存外いるもんだぜ?」
「だが、私の力に勝っているとは思えぬ」
「その通り! なにせご大層な神宝の力、こんなもんじゃいかんでしょ? 分かってるなら出し惜しみせず、とっとと全力できなさいな」
そうしよう、と言って、八重はゆっくりと大きく呼吸を繰り返す。瞑想するかのような所作は、緊迫した状況に不釣合いなものだった。
それが突然乱れ始める。
「うっ――ぐぐっ、ぅぅううううぅぅうううう」
重荷を背負うかのように前屈みで苦悶の表情を浮かべる八重。上目遣いに男を睨む様には鬼気迫るものがあった。
「ほーぉ、顕現したか。水霊、いや大蛇かねぇ――」
言われてみれば、源九郎にも八重の背に何かが居るように感じられた。思い描く姿は異形、うねうねと蠢く巨大な白蛇が絡みつく姿だった。
「さすがに関白殺しを企むだけのことはある。邪心満ち満ちて蛇神と成れりか? カッハッハ、面白ぇ!」
「勘違いも甚だしいな。だが、あえて否定はせぬよ。ゆえに、其の方らはここで果てるのだ」
ぜぇぜぇと荒い息をはきながら、八重は両腕を前に突き出した。
すると、丸太ほどもある水柱がゆっくりと立ち上がる。
「思川の水神にかしこみかしこみ申す。願わくは我が腕となりて敵を討ち滅ぼし給え!」
水柱が変形、男に狙いを定める。その姿はまさに鎌首をもたげる大蛇。追っ手達は恐怖のあまりみな腰を抜かしたようだ。
「ハーッハハァ、こいつはすっげえ!」
歓喜を浮かべる男を大蛇が一飲みにした。
間近で大瀑布を見るような、凄まじい轟音と巻き起こる水煙。
今度こそ決まりだろう。これで無事なら、もはや相手は人間ではなく――
「化け物だ」
源九郎が呻くのを聞いて、男は心外とばかりに鼻を鳴らす。
「そりゃ巫女ちゃんのことだろが。俺はれっきとした人間様さ。この世ならざる存在にゃ敵うはずもない儚き存在、だからこそ頭を使うのさ」
と、紐で吊るした瓢箪を振り子のようにぷらぷら揺らす。
「瓢箪は古来より水難を避けるもの。だから残念、どうあがいても通じません」
おおっ、と周囲の者達がどよめき喝采を送る。だが、それがどうしたとばかりに八重は新たな大蛇を出現させた。
「まったく、分からんやつだ」
再び襲来する大蛇の頭へ男が瓢箪を投げつけると、やはり大蛇は形を保てず霧散してしまう。
だが、今度は寸前で頭部以下が分離していた。残部が地を這うように突撃。瓢箪は未だ上空にあって、紐こそ握っているものの引き戻す暇が無い。
「ちったあ頭を使ったか? だが、それでも足りんのよなぁ」
この攻撃も通じなかった。男が刀を横薙ぎに払っただけで、水の大蛇は倒れたのだ。
が――その時、水煙の中で影が動いた。
それは刀を振りかぶった源九郎。大蛇が倒れ生じた濃霧に紛れ、男を仕留めるつもりなのだ。剣閃が白い帯を引いて弧を描く。意表を突かれた男は対応が僅かに遅れている。
鋼と鋼がぶつかり合い、峻烈な火花を散らす。
(くそっ、しくじった!)
再び水煙の中に身を隠し、源九郎は内心で毒付いた。あの化け物じみた男だけは、何としても倒したかったのに、あと一歩というところで取り逃がしてしまうとは。
さて、こうなると厄介だ。濃霧が立ち込めている現状でも、八方眼によって周囲の状況は把握できるが、大勢の中から特定の一人を探し当てるとなると話が違う。先ほどは声を頼りに判別したが、あの男も警戒したのか一言も発しないのだ。手当たり次第に斬ってはみたが、いずれも別の男達だ。
徐々に霧も収まりつつある。そろそろ切り上げ時だろう。
そう思っていた矢先――何という偶然か、霧の合間から男が顔を覗かせたのだ。それも、あさっての方向を向いた絶好機とあっては逃すわけにいかない。
気配を絶って接近。間合いに入るや渾身の力で叩き斬る。
(もらった!)
朱い飛沫が舞い散って、頭部を欠いた身体がゆっくりと崩れ落ちる。ようやく仕留めたかと、源九郎が胸をなでおろしていると、
「おぅおぅ、やってくれるぜ」
聞き覚えのある声とともに、霧の中から死んだはずの男が現れた。となると、今しがたのは別人か。
「ちっ!」
苛立ちついでに舌打ち、反響音で現状を把握。どうやら囲まれているらしい。周囲にあと三人が潜んでいる。
「どうした? 食いついた餌が針付きだったのか?」
からからと笑いながら男は奇妙なことを口にした。まるで、源九郎が誤認すると分かっていたと言わんばかりだ。
「なんでかなぁ? ほんっと、なんでなんだろうなぁ?」
嘲り声を上げながら、男は包囲の輪を縮めてくる。いよいよ霧も晴れ、もはや逃げ場はどこにもない。
と、愉悦を浮かべていた男の顔が醜く歪んだ。
振り返ってみれば、八重が必死の形相で再び大蛇を出現させているではないか。
「馬鹿の一つ覚えかぁ? 何度も何度も……いい加減にしろよ。やっぱ駄目だな、戦いの素人じゃあ」
苛立つ男を無視して解き放たれた大蛇は、前回と同じ流れで頭に瓢箪を受け砕け散る。分離した頭部以下を男が斬ろうとするのもまた同様。だが今回、刀は空を斬ることになった。
大蛇が男に向かわず、源九郎を呑み込んだからだ。
「さらばだ……源九郎」
肩で息をしながら八重は独りごちた。
さきほどの大蛇は攻撃の為に出したのではない。源九郎を水流に乗せ、崖下の川へと運ぶのが狙いだったのだ。
「こりゃしてやられたぜ。まんまと小狐丸を取り逃がしちまったよぉ」
この耳障りな声はあの男のものだ。何がおかしいのか腹を抱えて笑っているが、
(とにかく後顧の憂いは絶った。あとはあやつらを倒すだけ――)
がくり、と糸の切れた人形のように八重は膝を着いた。気力体力ともに消耗が著しく、立っているのもままならなかった。
にわかに強い風が吹き、まばらだった雨が激しさを増してゆく。
どうやら意図せずして周辺の霊気を活性化させたらしい。これは御霊の力が、自身の制御下から離れつつあるということだ。本来、小狐丸と併用すべき力を単独で行使しているのだから、こうなるのも時間の問題ではあったが、
「――あまりにも早過ぎる」
八重は唇を噛んだ。これでは戦闘の継続は困難。それどころか、このまま水霊の暴走が続けば、川が洪水となって源九郎を溺死させてしまうかもしれない。
やむなく、八重は最後の力を振り絞って魂鎮めに努めた。その甲斐あってか、次第に風雨は収まっていったが、自らはすっかり取り囲まれてしまっていた。
「おいおい巫女ちゃんよ。この気枯れっぷりはどうしたことだ? 今にも死んじまいそうじゃないか。せっかく面白くなってきたのに、何もかも台無しじゃあないか」
男の嘲弄に返事をする余力は無かった。もはや精も根も尽き果てた。今はただ泥のように眠りたい。
「さぁて、どうしたものかねぇ」
ここで八重の意識はふっつり途絶れるのだった。




