(二)石上の秘宝
城へ忍び込む直前。宿を訪れたのは件の傀儡女だった。
それを予期していた源九郎は、部屋に通し話を聞いたのだ。
「で……何しに来た?」
「あら、つれないねぇ。偶然、宿に入るのを見かけたから、わざわざ会いに来たってのに。見たところ今は一人でしょう? 今夜こそ遊んでおくれよ」
白々しい女の態度に、源九郎は苛立ちを隠さなかった。
「つまらん小芝居はよせ。あんたが例の木箱を狙って、俺の後を付け回していたのは分かってるんだ」
「おや、気付いてたのかい」
「知ってるか? 今、木箱は祇園城にあるんだぞ」
「そうだね。まさか、そんなことになるとは思わなかったけれど」
「それを知りながら、どうして俺の所へ来たんだ?」
もちろん、理由など決まっている。この女はどうしてか、小狐丸が源九郎の手にあることに気付いたのだ。ならばすべきことは一つ。背後関係を吐かせて、さっさと始末することだ。
すると、不穏な空気を察したらしく傀儡女は慌てた様子で、
「待った待った! 誤解しないでおくれよ。私は小狐丸が欲しいわけじゃないんだよ!」
「だったら何が目的だ?」
「神宝を護ることさ」
「神宝だと?」
「そうさ、私は諸国の神宝を護る者。なんとしても十種神宝を護りたいんだ」
それは確か木箱の封印の鍵となった、八重が話していた神宝のことだ。
「だから頼むよ。小狐丸をあの娘に返してくれないかい?」
「……うん?」
これは想定外。自分に寄越せと言うなら分かるが、八重に返せときた。
(これは話を聞いておいて、損はないかもしれないな)
そんな心境の変化を見透かすかのように、女はにっこり微笑んで居住まいを正す。
「それじゃ手短に説明を。大和国の石上神宮は知っているかい? 神武の帝が東征の際に用いた神剣を祀るべく創建されたお社さ。古より数多の武具を収蔵したことでも有名で、その規模たるや〝朝廷の武器庫〟と称されるほどだったとか」
源九郎の反応を伺いつつ、女は歯切れ良く話を進めてゆく。
「さて、今を遡ること十六年前。織田信長の軍勢が、石上神宮を襲撃するという暴挙に及んだ。社殿は悉く破却され大勢の人々が亡くなった。その際、石上に収蔵されてきた宝物の多くも奪われてしまったのさ」
癖になっているのか、芝居がかった身振り手振りで女は悲劇性を強調する。
「しかし、からくも難を逃れた者達の努力の甲斐あって、最も重要な宝物は守られた。それが小狐丸さ。けれど宝物に対する追跡は執拗で、小狐丸は各地を転々とした末、石上と縁浅からぬ鹿島へと秘蔵されることになった、というわけ」
「ほう。小狐丸は石上神宮の宝刀だったのか」
「けどね、今度は関白が小狐丸の回収に乗り出したのさ。その実行役が通称〝刀狩衆〟って連中だ」
この説明には納得がいく。
源九郎は元々、刀狩衆と関白は無関係と思っていた。いかな権力者であれ、名刀の収集程度のことなら、真っ当な手段を選ぶだろうからだ。
だが、石上での一件が事実とすれば、手段など考慮の埒外なのかもしれない。
「しかし、そこまで小狐丸に拘る理由は何だ? いかに伝説の名刀とはいえ、労力に見合うほどの価値があるとは思えないがな」
「小狐丸をそこいらのお宝と一緒にしちゃあいけないよ。あれは平安の世を保つ為、神が現世に遣わしたって代物なんだ」
と、傀儡女は唐突に何やら吟じ始めた。
「それ漢王三尺の剱。居ながら秦の乱れを治め。また煬帝がけいの剱。周室の光を奪へり。其後玄宗皇帝の鍾馗大臣も。剱の徳に魂魄は。君辺に仕へ奉り。魍魎鬼神に至るまで。剱の刃の光に恐れて。其寇をなす事を得ず――」
「今のは小狐丸の誕生譚――能楽〝小鍛冶〟の一節で、稲荷明神の使いが刀匠に剣の威徳を語る場面さ。古来、剣は悪鬼を祓い荒ぶる神々をも鎮めた。お前の作る刀も、きっとそうなるだろう――ってね。つまり、小狐丸の真価とは〝魂鎮め〟の力にあるんだ」
「ふん……それで?」
「小狐丸が石上に奉納されたのは、とある御霊を鎮めるためなのさ。それも人の身に宿った強力なやつをね。そして、それこそがあの娘に関わる因縁だ」
「八重の因縁?」
「あの娘は先祖代々、石上に仕える依巫の末裔なんだ。つまり――」
依巫とはその身に神を降ろす為、器となる存在。つまり人の依代だ。
それが何を意味するのかなど、もう分かり切った話である。
「御霊は……八重の内に宿っていると?」
御明察、とばかりに女は大きく頷いた。
「つまり、八重こそがお前さんの守るべき神宝なわけか。しかし十種神宝ってのは確か、鏡が二つ、剣が一つ、玉が四つ、比礼が三つ、なんて代物じゃなかったか?」
「実体のある物じゃないからね。細かいことは気にしちゃいけない」
「まぁ、何でもいいが」
「そして本題。関白らが欲しているのは、神宝の持つ力なんだ」
「ほう?」
「あの娘に宿る御霊には比類なき〝魂振り〟の力がある。これを〝鎮魂法〟に用いれば、あらゆる穢れが祓われ――つまり厄払いや延年益寿に繋がるのさ。古往今来、天下人が最後に求めるものは老いや死から逃れる術。手に入れようとやっきになるのも不思議じゃないだろう?」
「確かにな」
関白は嫡子が生まれたばかりと聞く。幼い我が子の無病息災を祈って、あるいはその成長を見守る為、できることがあれば何だってするだろう。あの八重に、そんな力があるとは思えないが……仮にそれが事実だったとして、
「一つ訊きたい。小狐丸が無かったら、一体どういう事態になる?」
「あの娘が宿している御霊は荒神なのさ。つまり魂鎮めをしてやらなければ災厄をもたらす存在、ってことは分かるかい?」
「祇園信仰みたいなものか」
「そうそう。ここ小山にも祇園社があるけど、あれだって祀られているのは疫病神だからね。毎年、御霊会で魂鎮めして疫病の蔓延を防いでいるってわけ。けれども十種神宝の場合、必要なのは祭りじゃなくて小狐丸なのさ。それが無いという事は――」
どう説明したものか、と女は小首を傾げて、
「そうだねぇ、火にかけた鍋を想像してごらん。かまどの炎が荒神で、鍋に満たされた水が巫女の生気さ。お湯が出来た後も、そのまま火を落とさないでいたらどうなるか?」
源九朗は言われた通りの状況を想像した。内側から吹き出す蒸気で、蓋がガタガタと音を立てる。やがて限界に達すれば、どっと吹き零れてしまうだろう。
「分かるかい? あの娘はそういう危険な状況にいるのさ。そんな状態で魂振りなんてすれば、大惨事になるのは間違いない。その場の誰一人生き残れやしないね」
つまり、八重も関白も死ぬということか。
すっと背筋が寒くなる。これまで自分の任務は、単に貴重な宝刀を盗んでくるだけのものと思っていたが、傀儡女の言う事が正しければ、真の狙いは関白の暗殺ということになる。
考えてみれば――元々、この任務には釈然としない点があった。
どうしてすり替えをするのか? それも、単独でやらねばならない理由は何なのか?
あえて追及せずにいたが、これも暗殺の実行役など少ないに越したことはないからでは? 無論、いざという時は容易に始末できるよう……。
馬鹿馬鹿しい、と源九郎はかぶりを振った。
「そんな与太話を聞いたところで、小狐丸は手放せないな」
「だろうねぇ。なら、こういうのはどうだい? あの娘に小狐丸を返すだけじゃなく、城から連れ出してほしい。これなら、真田家から恩賞を出してもらえるんだけど」
「……何だと?」
「昔、私が歩き巫女として各地を巡っていた頃は、武田家の間諜を務めていてね。遺臣である真田家とは関わりが深いのさ」
「だが、どうして真田家が恩賞を出すんだ? いや待てよ……そういえば」
木箱を巡る戦いの最中、小狐丸には関八州と同等の価値があるという話を聞いた。これが冗談でも何でもないとすれば、小狐丸には関八州、すなわち北条家の命運を左右するだけの価値があるということだ。
「真田家と北条家には、沼田領を巡って争いがあったな。結局、関白の裁定で真田が割を食った形だが……それ絡みの話か?」
「そうさ。関白は沼田領の大半を北条家のものとした。代償として北条家は当主が上洛し、関白に臣従を誓わねばならない。これが、巷で噂される北条家と豊臣家の交渉の内容だね」
「だが、いつまで経っても上洛がなく、破談になるかもしれないんだろう? 臣従派に対する抗戦派の抵抗は、思いの外激しいようだな」
「それには訳があるのさ。実は世間には知られていない条件があってね」
「上洛の際に、小狐丸を献上せよ――ってとこか?」
すると、傀儡女はにっこり微笑んで、懐から煙管を取り出した。
「旦那もやるかい?」
どうやら正解のようだが、煙草は嗜まないので遠慮する。女は窓辺に移動して、月を眺め一服しながら、
「いかに伝説の名刀とはいえ……刀一本で本領安堵なら安いもの、と思うだろう? ところが、事はそう簡単じゃないのさ」
傀儡女によると、問題は二つあるという。
第一に――そもそも小狐丸が石上神宮の宝物であること。これは単純な話で、預かっているだけの鹿島家が、勝手に処分するのは道理に反している。
第二に――今でこそ鹿島家は北条家の支配下にあるが、ごく最近まで両家は対立関係にあったことだ。主命だからといって素直に従うわけもなく、無理を通せば離反を招く恐れがある。
源九郎が考えるに、特に重要なのは後者だろう。
北条家は関八州にも及ぶ広大な領域を支配しているが、その大半は鹿島と同様、近年になって組み込まれたものだ。理不尽な命令を断行し離反者を出してしまえば、蟻の穴から堤が崩れるがごとくに離反の連鎖が起こりかねない。抗戦派からすれば、そんな事態を招きかねぬ条件など到底受け入れられないだろう。
「分かったかい? 小狐丸は関白が欲するお宝であり北条家の泣き所。十種神宝の話を度外視しても、その価値は旦那が思っていた以上に大きいのさ」
「小狐丸を奪われでもすれば、交渉が御破算になる可能性も高い。真田家にとっては、領地を取り戻す絶好の機、というわけか」
女は無言で頷き、紫煙をくゆらせた。
「臣従交渉の条件は、正確には小狐丸と巫女を引き渡すことなんだ。つまり、あの娘を城から連れ出せば交渉は不成立で、真田家から恩賞を引き出せることになるね」
「なら、八重と小狐丸はどうするんだ?」
「ひとまず、どこかに匿うさ。私の目的は神宝の保全であって、世俗の権力におもねるつもりはないからね」
この申し出は、源九郎にとって検討に値するものだった。
なにしろ本来の任務を達成したところで、何ら満たされるものはなかったのだ。それに、十種神宝の話が事実だとすれば、関白殺しに加担することになってしまう。口封じに消される危険性を抱えるのは御免である。
一方、傀儡女の提案に乗ったところで、褒美は真田家から貰うことができる。その上、八重の大切な物を奪わずに済み、暗殺劇も回避できる。もちろん、城から八重をさらって来なければならないので、一手間増えはするのだが。
結論はさほど悩むことなく出た。
「いいだろう。その提案を受けよう」
●補足、及び元ネタなどの解説
・『和州布留大明神御縁記』によれば、白河院が石上神宮に寄進した宝物の中に、三条宗近作とされる『小狐の太刀』があったとの記述が存在する。
・石上神宮の御神体である布都御魂剣は、タケミカヅチの神が神武天皇の東征を助けるべく与えたものとされる。タケミカヅチ自身が祀られている鹿島神宮にも布都御魂剣とされる巨大な直刀が伝わっているが、これは返ってこなかった剣の代わりに作られたものと考えられている。
・甲斐の武田信玄は情報収集能力に非常に長けており、足長坊主などと異名されるほどだった。その諜報役を担ったとされるのが、ノノウと呼ばれる歩き巫女達である。巫女達は望月千代女という甲賀氏の女性によって、組織的に育成されたようだ。
作中では、諜報活動は単なる収入源という扱い。




