(一)物忌
城の者に手配された宿は、またもや二階の個室だった。
源九郎としては、八重を引き渡したらすぐにでも帰途に就きたかったのだが、城を出た時点で宿場の木戸は閉ざされており、おとなしく泊まっていくことにしたのだ。
開け放ったままの窓からは十三夜の名月が臨めたが、冴え冴えとした月光はただただ薄ら寒いばかり。源九郎は視線を今回の任務の戦利品――太刀と短刀に移した。
太刀はもちろん小狐丸だ。
外装はすり替えに使った刀と寸分たがわぬ程に瓜二つだが、刀身まで同様かは分からない。見分しようと抜刀を試みたが、まるで何かがみっちり詰まっているかのようにびくともせず、そのまま諦めていたのだ。ひょっとすると、相当に状態が悪いのかも知れないが……まぁ、知ったことではない。あれだけ厳重な封印の中にあったのだ。腐っても本物だろう。
そしてもう一方の短刀は、八重から貰った守り刀である。
暇潰しがてら銘を確認したが、作刀者は分からなかった。もっとも、名工の作品であれ貴人への献上品には銘を切らないし、何よりこの出来栄えならば逸品とみて間違いない。
ともかく、それほどの品を自分への礼にしてしまうのだから、まったくあの娘は子供としかいいようがない。無邪気で、率直で、生意気で、臆病で。彼女といた間中が、まるで妹と暮らしていた頃のようだった。
(それを、この手で踏みにじる羽目になるとはな……)
源九郎は大きくかぶりを振った。
もうよそう。こんな感傷は一時的なもののはずだ。そう、今はもう少し明るいことを考えるべきなのだ。先の展望は明るい。遠からず安住の地も手に入るだろう。長年追い求めて来た願いがいよいよ叶う。こんなに喜ばしいことはないはずだ。
けれど――源九郎には何の感慨も湧かなかった。
自分はおかしくなってしまったのだろうか?
「くくっ」
そんな自問をしたことに失笑してしまう。今更、何を言っているのか。おかしいも何も、妹を喪ったあの日から全ては狂ったままだというのに。
そこで思考を打ち切った。
何者かが階段を登って来る。二階に他の客はおらず、宿の者には用事の際、まず階下から声をかけるよう申し付けてある。よって、これから来る者が招かれざる客である可能性は高い。
ゆっくりと身を起こし、襖を開けた際に死角となる位置に移動。いざという時の為、刀を腰だめに構えて待つ。
(さて、鬼が出るか蛇が出るか)
やがて何者かの気配は、部屋の前で足を止めた。
――所変わって祇園城内。
八重は一人寝付けずにいた。
静か過ぎて、あまりに落ち着かない部屋だった。そう遠くない場所には他の建物もあるのだが、全くといってひとけが感じられない。おかげで室内は耳鳴りがするほどの静寂に満たされ、自分の呼吸と心音だけがいやに大きく感じられるのだ。
(こんなのって、いつ以来のことだろう)
源九郎と別れてから、旅の穢れを落とすべく物忌みに入らねばならなかった。
まずは風呂場で沐浴。着替えは待望の清浄な白衣だったが、袖を通すと妙に冷たい気がしてならなかった。古着と着心地を比べてみたかったが、既に処分されていて叶わなかった。
それから離れの建物に移動して、特別に用意したという祭壇の前で祈祷。
祈祷。祈祷。ひたすら祈祷。日が落ちる前には夕餉が届いた。いつものことだが、別火で調理したものを一人黙々と食すのは、実に味気ないものに思えた。その後は再び祈祷に戻り、頃合をみて就寝――そして現在に至る。
物忌みとは、要するに穢れを防ぐ為の隔離である。
身の回りの世話をする者は、できるだけ姿を晒さぬように努め、接触が避けられぬときも、ほとんど口を利かずに済ますのだ。波風一つ立たない平穏の日々、といえば聴こえはよいが、実質は蟄居謹慎と同然かそれ以下だろう。
こんな生活が鹿島に引き取られて以来およそ十年続き、既に彼女は疲れ切っていた。世間的には非日常とされる物忌みこそが日常で、それを忌むという皮肉な状況だった。
だが日常は、ここ小山にあっても変わりなく訪れる。
そう、決して変わりはしない。これは子々孫々に至るまで続く宿業なのだから。
この数日間は例外中の例外。あんなに騒がしい日々は二度と再びありえまい。
八重はふっと笑みを零した。
(まったく……我ながら呆れたものだ)
ここ数日のことを思い返しているうちに、いつの間にかまどろんでいたのだろう。
「八重」と、自分を呼ぶ声を聴いた気がしたのだ。毎日が騒がしかったせいで、幻聴でも聞こえるようになったのだろうか。昨晩のようなことは、もう起こりうるはずないというのに。
「八重……起きろ」
飛び起きた。夢でも幻聴でもなく、確かに自分を呼ぶ声がしたのだ。
「……源九郎か?」
おそるおそる誰何すると、「そうだ」と返ってきた。
「馬鹿な!」
つい大声を出してしまい、慌てて口元を抑える。周囲に誰もいないとはいえ、定期的に巡回が来ているはずなのだ。
すると、源九郎は落ち着くようにとこんな説明をした。
小声での会話であれば問題ない。建物の内にも外にも誰も潜んでいないのは確認した。時々、巡回が気配を潜めて近づいてくるが、自分にはそれを事前に知ることができる。
そこで、八重は声を潜めて、
「そなた――ここで何をしているのだ?」
ごとり、と重い物を置く音がして、厳かな声で源九郎は言った。
「こいつを返しに来たんだよ」
「返しに……何をだ?」
合理的に考えれば、別れ際に渡した短刀だろうか。
そんなことで、夜中に忍んで来る意味はない気もするが、そこは直接手渡ししたかったとか、もう一度会っておきたかったとか、きっとそんなところに違いない。
だが、答えは予想外なものだった。
「小狐丸だ」
「なっ――?」
まるで意味が分からない。一体、何が、どうなって、こんな事態になっているのだ?
「いいか、よく聞け。俺は木箱を開けてこいつを盗み取った。だが、色々考え直して返しに来たんだ」
「――馬鹿な。そんなこと……あるはずがない」
震え声で否定するが、自分でも確信していない。それでも、そう言わずにおれなかった。
だが、そんなささやかな抵抗すら、源九郎は容赦なく打ち砕く。
「お前の秘密を知ったからだ。お前に課せられた役目をな」
「さっきから――何を訳の分からぬことを! そもそも木箱の封印は、そなたに開けられるようなものではない。それに私の役目は小狐丸の清め。それだけだ! まったく……これは何かの悪い冗談か?」
「わざわざ冗談を言う為に、城に忍び込みはしないだろ?」
もちろん、そちらの方がよほど悪い冗談だ。
そんなことは分かっている。分かっているが、ここは否定するしかないのだ。
「小狐丸を失うことは、お前の命に係わるんだろう? なぜなら――」
「黙れ!」
「――お前は小狐丸を清める為に、旅に同行したわけじゃない」
「よせ。それ以上言うな!」
「――実際はその逆だ。お前を清める為に小狐丸が必要なんだ」
「ああ……なんてことだ」
やはりこの男は、全てを知ってしまったのだ。
こめかみに爪を立て、大きくため息をつく。そして八重は、目の前の現実を受け入れた。
「その話……そなた一体どこで知った?」
「あの女芸人が話してくれたのさ」
●補足、及び元ネタなどの解説
・鹿島神宮には物忌職という特別な地位を占める巫女がいた。
卜占によって選ばれた六・七歳から十二・三歳の童女は、その後の一生を男子禁制の物忌館で過ごしたという。
同様の存在として、伊勢神宮や石上神宮にも斎宮がいたとされるが、ここまでの厳格さを保ったまま、明治期まで存続したという点で鹿島は特殊である。
本作の巫女の位置づけは同様の扱いを受ける客人であり、鹿島の物忌職そのものではない。




