無常
暮れなずむ空の下、墓地には読経の声が響いていた。
真新しい墓の前には、経を唱える厳めしい顔付きの老僧と遺族の青年が佇むのみ。
墓標に記された名はアヤコ――青年の妹の名だった。
彼女が不慮の死を遂げたのは、任務で遠方へと出張っている間のこと。青年が戻った時には既に埋葬も終わり、亡骸を見ることすら叶わなかった。
「どうして、こんな事になったんだ……」
あまりにも現実感の無い眼前の光景に、虚ろな顔で呟く青年。ややあって、読経を終えた老僧が返事をした。
「奥山に薬師如来を祀る祠がある。その付近の湧水は、万病を癒すとされる霊験あらたかなものでな。あの娘はそこへ、来る日も来る日も通い詰めておったのよ」
その帰りに、岩場で足を滑らせ頭を打ったのだ。
外傷はほとんど無かったが打ち所が悪かったらしい。彼女はそのまま目を覚ますことなく、翌日に息を引き取ったという。
「何が……万病を癒すだ」
青年は目頭を押さえた。
「不憫な子だ。そんな迷信に捕らわれて、こんな事になっちまって。神も仏もありゃしない。あんなに信心深い妹が……どうしてこんな目に」
嗚咽を漏らす青年を、老僧は憐れむような目で見ていたが、やがて嘆息すると苦々しげに口を開いた。
「おぬしは何も分かっておらんのか。あの娘が本当に願っていたのは、自分の目を治すことなどではないというのに」
じゃりっ、と数珠が鳴る。骨張った老僧の手は、固く握り締められていた。
「全ては――おぬしの為を思えばこそだ。あの娘は寺でも日がな一日、御仏に祈りを捧げておった。何故そう熱心なのかと訊ねれば、兄の罪を赦免してもらう為だと言う」
どういうことだ? と、青年は声を荒げた。
自分と違って妹は依然として罪業を恐れていた。ゆえに、忍びとしての活動は知られないようにしていたのだ。
「俺が何をやっているか、あいつは知らないはずだぞ? まさかあんた、余計なことを吹き込んだんじゃなかろうな」
この老僧は以前から、青年の〝仕事〟について快く思っていなかった。
生き方を改めるように、との説教は耳にタコができるほど聞かされている。妹を抱き込んで、説得しようとしてもおかしくはない。
だが、老人は静かに首を振ると、
「あれは勘のいい娘だ。おぬしの嘘など、とうに見破っておったのよ。実際、何をしていたのかまでは分かっておらなんだろうが……まっとうな稼ぎでないことくらいは、気付いておったろう」
ぐっと黙り込む青年に、諭すように語り続ける。
「あの娘は嘆いておった。兄がそうせざるを得ないのは、私がこんな身体だからだ、とな。兄に危険で罪深い行いを重ねさせている原因は自分にある。だから何とかしなければ――そう思い悩む日々を送っていた。それゆえ奇跡に縋ってまで、目が見えるようになりたかったのだ」
いつも自分を笑顔で出迎えてくれた妹が、まさかそんなことを考えていたとは。
全く気付かなかったことに、青年は愕然とした。そして思い出す。一頃、アヤコが瞽女になりたがっていたことを。
妹を預けていた寺には、しばしば旅人の来訪があった。そんな中に瞽女といって、三味線と唄を生業とする盲目の女達がいたのである。自らと同じ境遇でありながら立派に自活している者もいる。そうと知った妹は、自分もかくありたいと願い出たのだ。
もちろん、兄としてそんな願いを受け入れられるわけがない。
大切な家族を苦界などに送れるものか。そもそも自分が命懸けで働いているのは、そうした事態を防ぐ為。だというのに、どうしてそんなことが言えるのか。
当時は腹立たしいばかりだったが――今にして思えば、あれは妹なりに望まぬ状況を打開すべく起こした行動だったのかもしれない。
もしもあの時、そうと気付いていれば……。
「分かったか? あの娘の為を想うなら、もう怪しげな仕事には手を出すな。これを機におぬしは生き方を改めるのだ」
もう限界だった。この事について、これ以上考えてはいけない。考えるべきではない。この爺さんと話していては、きっとまずいことになる。
踵を返しその場を立ち去ろうとする青年の肩を、老僧の骨張った手が掴んで放さない。
「待て、どこへ行くつもりだ。話はまだ終わっておらんぞ」
「もう仕事に戻らなければ」
「おぬしは――この期に及んで!」
肩を掴む力が増した。
「このうつけめが! あの娘が何の為に通い詰めたか分からんのか? あの娘を安心させてやりたいと思わんのか? ささやかな暮らしに満足し、あの子の菩提を弔って生きようとは思わんのか?」
「っ――黙れェ!」
そんなことできるわけがない。
故郷を取り戻すという宿願のため、自分は汚れ仕事に手を染め、妹は不安で孤独な日々を過ごすことを余儀なくされたのだ。それをここで投げ出したら、これまでやってきたことは何だったというのか――
老僧の手を振り払い、青年は走り出した。




