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反復

十二月二十二日の夜ミヤとレイは〈シズク〉の船室にいた。


ミヤはクロイスでカグラに会ってから波音号の船尾を見送って港を出た。北東に向かって五日間航海した先、太平洋の中央付近にいる。レイは漂泊団の補給船に紛れてここまで来ている。具体的な経路は訊かない。レイの伝手のことはレイのまま預けている。レイも漂泊団の補給船で過ごした十日間のことは語らない。


外は夜だ。船室の小さな窓から見える海は黒い。月は薄い雲の向こうにある。波の音が船底の下で低く揺れている。十二月の中央太平洋は嵐の季節を過ぎている。海は静かだ。沈黙海域の境界の外側では海はまだ静かでいられる。


船室には小さな油灯がついている。光は弱く、机の上の紙の表面を辛うじて照らす程度だ。光の外側、船室の隅は薄い影に沈んでいる。機関は最小限の燃料消費に絞ってあり、船全体が低い唸りを立てている。


船室の中央の小さな机に四つの資料が並んでいる。


ハヤの手稿(タチバナから受け取った原本とミヤが書き写した解読中の部分)。

ミヤの父の観測ノート(ミヤが十年間引き継いできた記録)。

フユから書き取った七十年前の証言の要約(ミヤが小屋を出る前に書き留めた)。

そしてもう一つ、別の書類がある。


「これは」


ミヤは別の書類を指す。


「クガから」


レイは短く答える。


「ハリスを離れる前にクガが第三者を通じて漂泊団のネットワークに託したものだ。三日前に俺のところに届いた」


書類の表紙には印が押されている。深淵核管理庁の正式な印だ。中身は深淵核の初期記録の写しだ。クガが管理庁を裏切る時に机から内ポケットに移したと思われる書類だ。表紙の隅に小さくクガの筆跡で何か書かれている。「これがすべてではない」とだけある。署名はない。クガがハリスを離れる時これ以上は持ち出せなかったということだ。


ミヤはその書類のページを開く。旧文明語が並ぶ。タチバナが解読できる範囲を超える専門的な記述だ。しかしいくつかの数字と図式は読める。深淵核の所在地の座標が並んでいる。深さの記録もある。観測された頻度の表もある。


「徐々に深くなっている」


ミヤは図式を指で示す。


「百年前の記録と五十年前の記録と現在の記録を比べると、深さが少しずつ増している」


レイは図式を見る。


「フユが言ったことと同じだ」


レイは言う。


「七十年前は今より浅い場所にあった」


ミヤは別の資料を手元に引き寄せる。父の観測ノートだ。古い革表紙が手に馴染んでいる。ミヤがこの十年間、毎日触れてきた表紙だ。父の指先がついていた場所とミヤの指先がついている場所はおそらくほとんど重なっている。


ノートを開く。父の几帳面な筆跡が並ぶ。ミヤは父のノートと机の上のクガの書類の数字を見比べる。父が書き残した数字とクガの書類に書かれた管理庁の数字を並べる。二つの観測の主体は違うが数字はほぼ一致する。父も管理庁も同じ装置を観測している。


---


ハヤの手稿の解読された部分はまだ一行と少しだ。


「お前たちは選べる」


それがタチバナが四十年かけて解読した一行だ。


ミヤはタチバナから追加で受け取った紙片を出す。タチバナが手稿を二人に渡した後にさらに解読を進めた断片だ。漂泊団のネットワークを使って五日前に届いた。


紙片には二つの新しい単語の翻訳が書かれている。


「反復」と「対」だ。


タチバナの注釈はこう書いている。


「ハヤの手稿のこの段落は『反復する者は二人で来る。観測する者と聴く者の対だ。彼らは選べる』と読める。残りの解読には時間が要る。しかしこの一段落だけで、お前たちが何者かは分かる」


ミヤは紙片を読み終わってからレイを見る。


レイは紙片を読まない。レイの目はミヤの後ろの窓を見ている。窓の外の夜の海を見ている。


「俺たちのことだ」


レイは言う。


---


ミヤは机の上の資料を順に確認する。


父の観測ノートの最後の数ページを開く。父が記録した沈黙海域の最初の徴候は四十年前のシナの消失の余波と一致する。父はシナの痕跡を追っていた。父が知っていたのは「四十年前に何かが起きた」ということまでだ。その先まで観測する時間がなかった。


フユの証言を確認する。七十年前にフユが共鳴覚醒する。フユの相棒(名前を呼ばない聴く男)が深淵核に呑まれる。装置は当時より浅い場所にある。フユは「私の前にも二人いた。私の後にも二人いた」と言う。


シナとカゲの痕跡を確認する。四十年前にシナが観測する女としてカゲが聴く男として発現する。二人で深淵核に向かう。二人とも呑まれる。タチバナはシナの師だ。


クガの書類の図式を確認する。装置は深さを増しながら活性化の周期が短くなっている。最近三十年で活性化の頻度が三倍に達している。


そしてハヤの手稿の解読がある。「反復する者は二人で来る。観測する者と聴く者の対だ。彼らは選べる」


ミヤは机を見渡す。


「フユの前にも二人いた」


ミヤは確認する。


「フユの世代は三人目だ」


レイは頷く。


「シナとカゲは四人目だ」


「俺たちは五人目だ」


レイの声は静かだが揺るぎない。


---


ミヤは父の観測ノートをもう一度開く。父が記録した沈黙海域の境界の拡張速度の図表がある。


「父は四十年前の徴候から観測を始めた。父が観測した三十年間で、装置の活性化の周期は半分以下になっている」


ミヤは図表を指でなぞる。父の几帳面な数字の列が並んでいる。父の最後のページの白紙の手前まで数字は規則的に続いている。


父はその先を観測する時間がなかった。父が観測しようとしていた数字を十年遅れでミヤが引き継いだ。ミヤの数字は父の数字の延長線上にある。延長線は加速している。父が予測しなかった速さで加速している。


「次の継承者はいない」


レイは言う。


ミヤはレイを見る。


「俺たちが失敗すれば、装置は次の世代を待たない」


レイは続ける。


「装置は完全活性化する。沈黙海域は太平洋全域に広がる。漁業は完全に死ぬ。海上都市の半分以上が食料不足で崩壊する」


ミヤはクロイスの市場で見た子供を思い出す。栄養が足りない歩き方をしていた、あの子供のことだ。同じ子供が太平洋全域に何百万人といることになる。


「大反復」


ミヤは小さく呟く。


タチバナの紙片の中に「大反復」の語の説明も書かれていた。ハヤの手稿の用語だ。「三千年前の旧文明崩壊が第一大反復だ。次に起きるなら第二大反復だ」


地上が海に沈んだあの三千年前の出来事の規模を再び迎えるということだ。


ミヤは想像してみる。漂泊団の船団が一つずつ食料を失い、海上都市の港に流れ込む。どの港にも食料はない。商人は売る物を失い、住民は買う物を失う。深海ステーションの住民は閉ざされた空間で先に飢える。海上都市の住民は外に出ても海に魚はいない。沈黙海域は太平洋全域を覆う。船の航路は通信が途絶え、二度と戻らない船が増えていく。


それが第二大反復だ。


ミヤはレイの顔を見る。レイも同じことを想像しているのが表情で分かる。


---


ミヤは机の上の四つの資料を見渡す。


机の上にはハヤの手稿の写しと父の観測ノート、フユの証言の要約とクガの書類が並んでいる。四つすべてが同じ一つの構造を指している。


ミヤはペンを取る。


ミヤの観測ノートの新しいページに簡潔な図式を書く。


七十年前にフユと名前のない聴く男の対がいた。一人だけ生き残った。

四十年前にシナとカゲの対がいた。二人とも消えた。

現代にミヤとレイの対がいる。


ミヤはペンを置く。


レイは机の脇に立ったままだ。レイは図式を読む。三行の短い記録を上から下までゆっくりと目で追う。


ミヤは図式を見つめてからレイを見上げる。


「私たちは、五人目だ」


ミヤはそう言った。


レイは頷く。レイの目は図式の中の「現代のミヤとレイ」の一行に固定されている。そこに自分たちの名前があることをレイは今、確認している。


船室の窓の外で夜の海が黒く広がっている。月の薄い光が水面に届かない。波の音だけが船底の下から確かに伝わっている。


ミヤはノートの図式の下に、もう一行を書き加える。


次は、ない。


それは観測員としての記録ではなく、決意の一行だった。同じ机の前で、シナも四十年前に何かを書いたかもしれない。フユも七十年前に何かを書いたかもしれない。彼女たちが書いたものは残らなかった。ミヤの一行が残るかどうかも、まだ分からない。


ただ、書いた。

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