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オクリ音  作者: 桐谷綾
11/12

『優しいあの子』

今日は朝から気分が良い。

アラームよりも早く目覚めたし、カーテンを開けると清々しい青空が広がっていた。

普段はシリアルで済ませてしまいがちな朝食も、パンを焼いてお気に入りの珈琲と共に頂く。

飼い猫のピースと少しだけ遊んでから職場へと向かった。



駅に向かう道の端に残る雪は残り僅かで春が近付いている事を告げている。

大学を卒業するまで埼玉に住んでいたからかもしれないが、今までこんなに春が来るのを待ち遠しく思った事は無かった。

北国の春は、今まで特に気にしたことの無かった生命の煌めきを感じさせてくれる。

そのくらい、北海道の冬はとても長いのだ。


駅までの間に2つある信号はどちらも青で、ホームでは着いたばかりの電車にタイミング良く乗車する事が出来た。

普段よりも1本早い電車に乗るだけで乗客の顔ぶれがまるで違うのが面白い。

いつもはサラリーマンばかりの車両だが、今日は学生の姿が目立つ。それもあってか車内が賑やかなのも楽しかった。



蓮華斎場につくと事務局長の佐藤里奈が電話を受けた所だった。

ここにかかってくる電話はそのほとんどが葬儀依頼や病院関係であり、受話器をとっての第一声で「お電話ありがとうございます」だとか「いつもお世話になっております」などという応対はしない。

声のトーンを少し落としつつ丁寧だけれど哀しみを交えたような声色を必要とされるのが最初はうまく出来ず、少し明るすぎたり妙に哀しみすぎてしまったりとその調整がなかなか難しかった。

里奈の電話応対はその辺りも絶妙で、まさにプロフェッショナル。横でそのやり取りを聞く度に感心してしまう。


そんな里奈が受けた電話は新たな葬儀依頼だった。

どんなに朝から気分が良くても、私は毎日こうして人の死と向かい合って過ごしていくのだなと現実に戻され気持ちが萎んでいく。

里奈は即座に従業員のシフトを調べ、仮の担当者を決めてから葬儀部に依頼を出した。

依頼を受けた仮担当者は葬儀部内に依頼主と関係の深いスタッフがいるかなどを確認し、特に該当者がいなければそのままその人が担当するという流れになっている。

今回の葬儀は仮担当と変わらず主任の佐藤千秋に決まり、ゆきは千秋とペアを組む事になった。

オプションの"お別れビデオ"の作成依頼もあった為、朝のミーティングを終えるとすぐに2人で遺族の元へと出向く事になった。


 ***


青い屋根の大きな家。

駐車場横のスペースにはまだ家庭用の小型除雪機が置いてある。

二世帯住宅になっている為玄関が2つあり、それぞれ桜木・田村と表札が並ぶ。

厚みのある木材に楷行書で書かれたものと、ステンレス製の材質にローマ字で書かれたもの。

打ち合わせが行われるのは田村宅で、そこでは田村夫妻と祖父母にあたる桜木夫妻が揃って迎えてくれた。

居間に飾られているいくつもの写真、柱に貼ってある身長を記したシール、ソファーに置かれた可愛らしい熊のぬいぐるみ。

部屋の雰囲気からしても温かな家族なんだろうと感じるが、残念な事に1人娘のちなつちゃんの姿はない。


数日前、ちなつちゃんは近所のスーパーにお菓子を買いに行くと1人で出掛けた時に交通事故にあってしまった。

地面に少しだけ残っている雪が凍るほど早朝の冷え込みが強かった日の事である。

頭を強く打ったちなつちゃんはそのまま意識不明の重体となった。

1度だけ意識を取り戻した時にガラス越しの面会が許され、「じじに制服を買って貰うんだ」と笑って話してくれたらしいのだが、そこから容態が急変し昨夜遅くに還らぬ人となった。



今回"お別れビデオ"の作成を依頼したのは祖父である幸雄さんの希望らしい。

12年の短い生涯を終えたちなつちゃんの為に、大好きだった歌を使ったビデオで可愛い孫を皆にみせてあげたいというのが幸雄さんの願いだ。

ちなつちゃんは週末に桜木家で1週間分の朝ドラをまとめて観る事が大好きな子だったという。

朝が苦手でいつもギリギリに起床するちなつちゃんには、学校のある日の朝にTVをゆっくり観る時間は無い。

今回の朝ドラはちなつちゃんが好きな俳優が出ていたのだが、それでもやはり早起きは出来なかった。

そこで幸雄さんが提案したのが、土曜日の再放送を一緒に観るという事だった。

それまで再放送という存在を知らなかったちなつちゃんは「やっぱりじじはすごい!」「じじは最高にかっこいい!」と大絶賛し、2人にとって土曜日に一緒に朝ドラを観る事が毎週の楽しみになっていた。

ちなつちゃんは主題歌だった「優しいあの子」も大層お気に入りで、お風呂に入る時、犬を散歩させる時、庭の花に水をやる時などいつもその曲を歌っていたという。

幸雄さんは曲のタイトルをなかなか覚えられず、『可愛い子』だとか『優しい人』だとか、間違えて言ってしまってはちなつちゃんに叱られたと話してくれた。

その目には涙が滲んでいる。

「孫の成長を見守る事が最高の幸せだった」と話す桜木さん夫婦の姿を見て不覚にも泣いてしまいそうになる。

遺族を前に葬儀場のスタッフが涙を見せてしまうなどご法度なので、グッと堪えて何とか打ち合わせを終えた。


 ***


式にはちひろちゃんの友人も沢山来てくれた。

明るくて活発なちひろちゃんは先生からもクラスメイトからもとても好かれていたのだろう。

場内には沢山の涙が溢れ、居た堪れなくなってしまう。

我慢しきれずにトイレに駆け込み泣いてしまったゆきはすぐに式場へ戻ったが、いつもは気丈な千秋でさえもかなり辛そうに見えた。

千秋に同年代の子供がいるという事も関係しているのかもしれない。

「目を逸らさずに式を滞りなく進めてご遺族を温かく包み込む事が私達の大切な仕事」

いつもそう教えてくれている千秋も、ビデオを見ながら静かにハンカチで涙を拭っていた。


この春からは中学校に通うはずだったちひろちゃん。

まだまだやりたい事も行きたい場所も沢山あっただろう。

スクリーンに映る可愛い笑顔と包み込むような穏やかな歌声がどうにも胸を締め付ける。


(どうぞ安らかに…)

故人を偲び、深く想った。

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