あの頃の話
「林さん…泣いてるの?」
入社して間もない頃、ゆきは坂元が作成した”お別れビデオ”を観て泣いた事がある。
「林さんってあまり表に感情を出さないから誤解されやすそうだけど…実は結構 感受性豊かだし 優しくて涙もろいよね」
坂元のその言葉に酷く驚いた。
この短期間でそう判断してくれた事が嬉しかったのと、昔 同じ様な事を言ってくれた中島春輝の顔が浮かんだからだ。
帰宅後ゆきは高校時代の事を思い出していた。
手元には数枚の写真。
卒業アルバムは引っ越しの時に捨ててしまった。
ゆきの高校時代の思い出のほとんどは1年生から2年生の終わりまでに凝縮されていて、高校3年生の時の事はそれほど記憶に残っていない。
職場でクールビューティと称される(からかって言っている節もあるが)ゆきは実際の所かなりの美人である。
子供の頃から大人っぽくて美人だと言われ学生時代もまわりからそういう風に見られていたと思うが、ゆきは自身の容姿に関する評価はあまり好きでは無かった。
小学生にもなるとゆきの事をよく思わない女子生徒が出始め、ある事ない事噂をされたりもしたからだ。
もともと人見知りな方で、同じクラスの生徒とも必要事項以外はあまり話さなかった事もよくなかったのかもしれない。
意識しない内に周りに冷たそうな印象を与えてしまったのだろう。
家で1人で遊ぶ事が多かった為に大人数でわいわいと過ごす事に慣れていなかったというのもあったと思うのだが、中学に上がった頃にはいつの間にか”高嶺の花”扱いされていて男女共に仲の良い友人が出来なかった。
マイペースな事もありそれについてはあまり気にしていなかった為、ゆきは高校時代の休み時間や放課後のほとんどを図書室で過ごした。
そこで出会ったのが一つ上の先輩・中島春輝だ。
高校の図書室では本を借りる際 表紙の裏につけられているカードに名前を書いて提出する。
誰かが借りるたびにカードに名前が足されてゆくのだ。
週に2〜3冊のペースで本を借りているゆきは、今回借りる3冊分のカード全てに同じ名前が書かれている事に気付いた。
今まで意識していなかったが、もしかしたら他の作品もそうだったのかもしれない。そう考えて面白くなった。
(この人と趣味が合いそうだな)
同志のような存在がいる事が単純に嬉しかった。
高校1年の夏。
この日もゆきは放課後に図書室へ行った。
目当ては中島敦。
彼の本が置かれている棚へと向かった時、1人の男子生徒に軽くぶつかった。
「おっと、ゴメン!大丈夫?」
背が高く、日に焼けた健康的な肌。
「こちらこそすみません…あ、その本…」
彼が手にしていた本はまさにこれから借りようと思っていた本だった。
「もしかして、これ借りようとしてた?どうしようかな…返す時連絡するって事で、今回は譲ってくれない?」
「急いでないので全然大丈夫です」
「ありがとう!俺、2年の中島春輝」
(中島春輝!カードの名前の人だ)
すぐにそう思ったがうまく言葉が出てこない。
「えっと、君の名前は?」
動揺がおさまらないまま、しどろもどろに名前とクラスを答えた。
「おお!君が林さん!もしかして林さん、中島敦の違う本借りてない?」
「あ、今日まで借りてて…さっき返しました」
「マジで?じゃあ俺、それを今日借りようかな…だからこの本は林さんが借りてよ」
「そんな…急いでたんじゃ?」
「いや、もともと今日はそれを借りるつもりで来たんだよね。で、貸し出し中だったからこれにしようかなって思っただけなんだ。今度この本返す時にも教えてよ。次に借りるから」
彼は以前からの知り合いのようにスラスラと話す。
それに圧倒される内に、この本を返す前に春輝の教室へ知らせに行くという約束をしてしまっていた。
3日後、ゆきは本を返す前に2年7組へ行き春輝を探したがなかなか見つからなかった。
普段行く事の無い2年生の教室をこれ以上ジロジロと見る勇気も無く、仕方無しに入り口近くにいる男子生徒に声をかけた。
「あの…中島先輩はいませんか?」
「あれ、君1年生?」
彼は質問に答えてはくれず、それより先にゆきの制服についている学年章に興味を示している。
(とりあえず自己紹介した方がよいのかな…)
「ええと…1年の林といいます。中島先輩に頼まれた事があってそれを伝えにきました」
「ああ、春輝ね?ちょっと待ってて」
クラス内を見回した彼は春輝がいる場所に気付いたらしく、教室の後ろの方へ向けて大きく声をかけた。
「春輝ー!なんか、美人の後輩ちゃんが呼んでるよ」
クラス内がざわつき、視線が一斉に集まるのを感じる。
(え!その呼び方って…しかも皆さんの視線がめちゃくちゃ怖いんですけど…)
ゆきは思わず一歩後ろに下がった。
春輝が入り口まですぐさま駆けつけ
「慎吾…お前ちょっと考えろよ、林さん困ってるじゃん」
と少し不機嫌そうな口調で彼に注意した。
「うわ、春輝が怒ってる。ゴメンゴメン。林さんがお前に会いに来てて、えぇと…告白しに来たんだっけ?」
(全然違うしめちゃくちゃ軽い!)
無言で首を横に振るのがやっとで、1秒でも早くその場から逃げ出したくなり春輝を連れて図書室へ行った。
ちなみに、この出来事以降 春輝の教室に行った事は無い。
それからも放課後は大抵図書室で過ごしていたが変わった事があった。
サッカー部のエースだった春輝は連日図書室を利用しているというわけでは無い。
そんな春輝に「サッカー部の練習が終わる時間とゆきの帰る時間がちょうどタイミングが合う」と言われ一緒に帰る事が増えた。
春輝の部活動がない水曜日は2人で図書室で過ごし、その後近くの公園で「この結末には驚いた」だとか「この作者のこの表現が好きだ」などと話をするのが恒例になる。
ゆきと春輝の本の好みは非常に似ていて感性も近かったのでどんなに話しても時間が足りなく感じる程だった。
休みの日には2人共好きな小説家や脚本家の映画を観に行き、春輝が部活動で忙しい時期はゆきが観て感動したり面白いと思った作品のDVDを後日一緒に観る。そんな風に過ごす日々はとても楽しくて今まで1人で過ごしてきたどの時間よりもキラキラしているように感じた。
高校1年の冬、ゆきの誕生日。
冬休み中ではあったが春輝から映画に誘われた。
帰り道に告白されてこの日から正式に付き合う事になる。
寒空の下、初めて繋いだ手はとても暖かかった。
冬休みが明けるとそんな穏やかな日常に暗い影が落ちる。
手を繋いで歩いていた所を見た人がいたらしく、そこから2人が付き合っているという噂が流れた。
実は付き合う少し前からゆきはサッカー部のマネージャー達から嫌がらせを受けていたのだが、それが一気に加速したのだ。
『ちょっと位顔はいいかもしれないけど性格は最悪』だとか『他の男子にも色目を使って手を出している』だとか『男は皆騙されてる』だとか、悪い話ばかりが広まっていく。
机の中に入れていた物が無くなったり教科書に落書きをされる事も何度となくあったが、ゆきはそれを誰にも言わなかった。
時には落ち込み 傷つく事もあったけれど、春輝と過ごす時間の方が大切に思えたし2人でいる幸せを感じていたので耐えられた。
一向におさまらない嫌がらせに気付いたのはサッカー部の副キャプテンでもある慎吾だった。
2年生のマネージャーがゆきの上履きを捨てようとしている所を目撃したらしい。
どういう事かと問い詰めたものの「自分だけじゃなくて皆だってやってる事」と、謝罪はしてくれなかったそうだ。
バレンタインデー。
春輝の家の近くの公園で手作りのチョコレートと背番号を刺繍したシューズ入れをプレゼントしたのだが、その時に春輝からこの話を切り出されてしまう。
部活でもクラスでも人気者の春輝。そんな人気者に自分の様な彼女が出来たら良い思いはしないだろう。
副キャプテンの慎吾や春輝本人から嫌がらせを止めるように彼女達に忠告するのは逆効果にも思えるから何も言わないで欲しい。
ゆきはそんな率直な気持ちを話した。
春輝は少し考えた後でこう言った。
「ゆきは俺や慎吾と違って慣れない人の前ではあまり感情を出さないから誤解されやすそうだけど…感受性豊かだし優しくて涙もろいよね」
「そうかな…私よりもずっと2人の方が優しいよ…」
「いや、俺は結構嫌な奴だよ。正直言ってゆきに嫌がらせするとか許せないし」
「嫌がらせっていうか…相手が私だからきっとイライラしちゃっただけだよ」
多分他の人が春輝の彼女だったならこんな事にならなかったんじゃないか、そう思っていたのも本心だ。
その言葉を聞くと、春輝は少し微笑んでからまっすぐな目でゆきを見つめた。
「ゆきは心が綺麗だし広いよね。俺は小さい奴だから怒ってるのかもしれない。でも、ゆきが傷ついてる事を俺は全然気付けてなくて、慎吾が先に気付いた事にも怒ってる。辛い事があった時はやっぱり俺に言って欲しい」
「…今まで言わなくてごめんなさい」
ゆきの大きな目から涙がこぼれ落ちた。
「なんていうかさ…ゆきや慎吾に怒ってるんじゃないんだ。気付かなかったバカな自分にイラついてるって言うのかな。本当、ごめん…」
春輝の声が震えた。
「私は全然大丈夫だよ。一緒にいられなくなる方が嫌だから、それ以外なら全部我慢出来るから。だから言わなかったんだよ、ごめんなさい」
「これからは俺が守るから。だからゆき、泣かないで」
「ありがとう。でも春くんだって泣いてる」
泣いたまま笑い合って優しいキスをした。
ゆっくりとゆきを抱き締めた春輝の腕の強さが、彼の決意に感じられて幸せだった。
その後、春輝も慎吾もゆきの事を気遣いながら立ち振る舞ってくれた事もあり嫌がらせは影を潜めた。
2人の卒業式に撮った写真はゆきを中心にして3人がアップで写っている。
慎吾が腕を伸ばして撮ってくれたもので、ゆきのお気に入りの1枚だった。
「温かくて綺麗で…脆い。それが青春なのかな」
ゆきの独り言にピースが振り向き、ニャアと一声だけ鳴いて背を向けた。
センチメンタルな飼い主への最大限の慰めだったのかもしれない。




