旅立ちへのはなむけ 〈過去編 その4〉
「それ、シェイネさんに見せたらよくなるんじゃないかしら」
のんびりとした昼下がり、そこここから声がする食堂。
皆が口々にシェイネの名を口にする。
スタイレーンは頼んでいたホットドッグを受け取り、店主に笑顔で礼を言うと声のした方へ向かっていった。
「シェイネにあまり無理をさせないでくれよ」
スタイレーンは、コーヒーをすする女性に話しかける。
それは果物屋の奥方だった。先日、あまりに腰痛がひどいというからシェイネの元へ連れて行ったのだ。
シェイネは微笑みつつ奥方の腰に手を当て、紫の湯気が立ち昇ったかと思うと奥方がぴょん、とジャンプした。
「あらやだ、治ったわ!」
シェイネは苦笑しつつ伝える。
「痛みはすぐ取れます。が、長年痛みのせいで使われていなかったでしょう。筋肉が衰えています。ご無理なさらず、毎日動かし使ってあげてください」
奥方は笑って言う。
「衰えだなんて!まだまだ若いわよ。ありがとうね、お嬢さん。明日、肌がつやっつやになる果物をたくさん持ってくるわ!」
煙突掃除のおじいさんが屋根から落ちる。足首の骨が折れたらしい。すると誰かが言う。
「シェイネさんのところに!誰か呼んできてくれ、急いで!」
しばらくして濃い紫の外套を羽織ったシェイネが現れる。
「おじいさま、どうぞ無理なさらず。加齢による衰えは癒せません。地につくお仕事をなさいませ」
おじいさんはにこにこ笑いながらシェイネの頭を撫ぜる。
「ありがとうよお嬢さん、だいぶ楽になった。助かったよ」
そう言って、また大きなブラシを手に屋根に登る。
シェイネはため息をつきつつそれを見送る。
仕事を終えたスタイレーンは、両手に抱えるようにお土産を持ちシェイネの家を訪れる。
シェイネが癒した人々からのお礼の品だ。
それは食べ物だったり食材だったり編み物だったり絵だったり人形だったり色々だ。
だが、必ずそこには、綺麗な色をした砂糖菓子が含まれている。それは、スタイレーンがシェイネの笑顔を見るために、こっそりと混ぜているお土産だった。
今日もシェイネは、まず真っ先にスタイレーンの選んだ、うさぎをかたどったクッキーを手にする。
「見て、ジャン。なんて可愛らしいクッキーなのかしら。食べるのがもったいないくらいだわ」
スタイレーンは笑う。
「イザボーに食べられるならうさぎも本望さ」
二人は、二人きりのときにお互いの名を呼び合うようになっていた。
シェイネはジャンを普通に呼ぶ。スタイレーンもそれに普通に答える。スタイレーンもイザボーを普通に呼ぶのだが、シェイネは、イザボーと呼ばれると、毎度顔を赤らめ少しうつむくようにする。
そんなシェイネを見るたび、スタイレーンはそれこそシェイネを、頭から丸ごと食べてしまいたい衝動にかられる。
ひょい、と、スタイレーンが座るソファの背もたれに、ヨーンが乗っかった。
じっと、スタイレーンの事を見ている。
「わかってる。思っただけだ。思うまでは自由だろ?」
スタイレーンは焦ってヨーンに弁解する。
日が暮れかかる頃、スタイレーンはいつものようにシェイネの家を後にするべく玄関に立った。
シェイネはそんなスタイレーンを見送る。
「もうだいぶ、日が暮れるのが早くなりました。お気をつけてお帰りくださいませ」
両手を胸の前で組みこちらを見上げるシェイネに、スタイレーンは笑って答える。
「ありがとうイザボー。もうだいぶ冷えるから、貴女も暖かくしてください」
そう言い、周りを見渡したスタイレーン。ん、と、通りの向こうを見やる。
「確かあそこに、おばあさんの家がなかったかな。いつも明るく窓の光が見えるはずなのに今日は暗いね」
シェイネは、スタイレーンを避けるように体を乗り出し、通りの向こうを見やった。そして、不安そうにスタイレーンの腕をそっと掴んだ。
「おばあさま···」
暗いシェイネの顔を見、スタイレーンは言った。
「何か、心配があるのなら確かめよう。貴女はここにいて。ランプを借りてもいいかな?」
シェイネは首を振る。
「私も参ります。ランプはここに。参りましょう」
手早く火を灯したシェイネは、先立って歩いていった。
おばあさんの家は、この寒い中、庭に続く窓が開け放たれていた。
二人はそこから中に声をかける。
「おばあさま、シェイネです。いらっしゃいませんか?」
中に進む、と、ソファのたもとに、おばあさんは倒れていた。
「っ!イザボー、灯りをこちらに。おばあさん!聞こえますか!おばあさん!」
意識確認をするスタイレーンを、シェイネは手を置き止める。
「もう逝かれました。ご家族にお知らせしなければ。頼めますか?私はおばあさまを綺麗にして差し上げますから」
翌日に、おばあさんの親戚が集まり、そこは悲しみの渦にまみれた。
シェイネはそれを、自宅からずっと見つめている。スタイレーンがシェイネの肩に手を置き名を呼ぶ。
「イザボー。君が気に病むことはないんだ」
シェイネの肩は小さく震えている。
「私の魔術は寿命を変えることはできません。それは黒魔術の部類で···。もしもかければそれは呪いとなってその人を苛むでしょう。人はいずれ、神の御元に還るのがさだめ···」
スタイレーンは、そっとシェイネの肩を抱いてやった。
シェイネの白い頬に、つ、と涙が伝う。
「優しい方でした。美味しいアップルパイの作り方を教えてくださって。ヨーン用にパイ生地だけのパイを作ってくださった···」
スタイレーンは、シェイネの涙をそっと拭う。
「貴女がアップルパイを作るとき、そこにいつでもおばあさんがいる。そうやって、貴女の中で生き続けます。おばあさんは、幸せ者だ···」
シェイネはコクコク、と頷き、その頬をポロポロと涙がこぼれ落ちた。
スタイレーンは、シェイネの身を案じながらも、夕方に帰宅の途に就いた。
一人になったシェイネは、庭に立ち、白い薔薇を、86本選び取った。おばあさんが生きてきた年数。そしてそこに、もう一本、紫の薔薇を差し込みおばあさんへの手向けとした。
「神の御元で安らかに。どうぞ安らかにお眠りください」
次回12月19日公開予定です




