事故と癒し 〈過去編 その3〉
何度か、二人で街に出かけたり、ヨーンと共に、シェイネの自宅で時を過ごしたり、したあとの事だった。
事件は街に出かけているときに起こった。
その日も二人は連れ立って、スタイレーンお薦めの店に顔を出したり、あそこにも街灯を置いたほうがいいだろう、と意見を言ったりしていた。
二人の目の前を、大きなぬいぐるみを抱きかかえた少女が駆け足で通り過ぎていった。
スタイレーンは、先日手を焼かされた酔っぱらいの顛末を、面白おかしく話している最中で気にも留めていない。
だがシェイネは少女から目を離せなかった。
彼女は、そのぬいぐるみのあまりの大きさに、前もろくに見えていなそうだった。
カンっ、と、乾いた音を響かせて、少女は道のほんの少しの段差につまずいた。
持てる限りの全力で前へ走っていた少女は、その突然の衝撃に、なすすべなく前へ倒れ込む。
「あぁっ」
シェイネは思わず声を上げるが、少女はぬいぐるみの上に倒れ込む形となりポフンと跳ね上がった。
良かった···
そう、確かに思ったと思う。一瞬の安堵の後
ガラガラガラっ!!
激しく走る馬車の車輪が、少女のちいさな体を押しつぶし締め上げた。
「キャァァァ!!」
その悲鳴は誰のものであったか。
スタイレーンはすぐさま少女の元へ駆け寄る。
かたわらに、無残に真っ二つになったぬいぐるみが転がる。
シェイネは両手を口に当て震えていた。
一体どれだけの衝撃を受けたことだろう。まだあんなに小さな体で。まだほんの数年しか生きていない人生で。
スタイレーンが何かを叫びながらそっと少女を抱え上げる。その首は力なく垂れ下がり、口からは赤い血が滴り落ちていた。
シェイネは口に当てていた両手を、くっと握りしめる。そしてスタイレーンの傍まで歩み寄り、そっとその肩に手を置いた。
「スタイレーン様、どうぞ落ち着いてくださいまし。私にその子をよく見せて。大丈夫です。この子はまだ、生きる糧を持っています」
シェイネはそう言い、両手を少女の体にかざした。
不思議な、雲のような、湯気のような、紫の煙に少女が包まれる。
すると
「ふ、ぅ、えええ〜ん!!」
少女が泣き出した。
スタイレーンはそっと少女を立たせる。少女はなんてことなく立つとぬいぐるみの元に歩いていき、またしても泣いていた。
「リナ!あぁ、リナ良かった!!」
人垣をかきわけ、少女の親が現れる。親は状況が掴めないながらもスタイレーンに軽く会釈し、少女とぬいぐるみだった残骸を持って去っていった。
スタイレーンは、そんな親も、泣き止んだ少女のことも、見ていなかった。
ただただシェイネの事を凝視したまま離さなかった。
周りの人垣も、首を傾げながら二人を見ている。
「あの子は、確かに一度止まった···。俺のこの疑問を、解消してもらえるのだろうか」
呟くように漏れ出たスタイレーンの声。
シェイネは、どこか諦めたような顔をして頷く。
「貴方の望むままに」
スタイレーンは立ち上がると、人垣に向かって言う。
「皆のもの、どうか一度私に預けてほしい。あまり無責任に言いふらすような真似はしないでくれ」
人は散り散りとなり、二人はシェイネの自宅へと帰り着く。
家に入りシェイネは、ほっと小さなため息をついた。ソファに座ると、すぐにヨーンが膝に乗る。
くす、とシェイネは笑う。
いつもは呼んでも来ないのに。勘がいいのだから。
ヨーンの、艷やかな背を撫ぜながら、シェイネは部屋の入り口に突っ立ったままのスタイレーンを見やる。
「ワタクシは、魔女です。いくつかの魔術を修めており、先程はそれを使い少女を癒やしました」
スタイレーンは顎に手をやった。何か、考え込んでいるようだった。
「では···あの少女は傷が癒えた、ということですか?彼女のままなのですか?」
シェイネは少し首を傾げたが、あぁ、と納得した。
「スタイレーン様は、彼女が止まった、とおっしゃいましたが、正確にはまだ生きておりました。私は元通りにしたまでです。彼女の屍を操る、などといった呪いの類は使えません」
スタイレーンは、自分の手を見つめた。親指と人差し指をこするような仕草をする。
「俺の手を···取って···。貴女が力を使うとき、貴女の何かが損なわれることはありますか?」
スタイレーンが何を言いたいのかはよくわからない。シェイネは首を振る。
「いいえ。私の力で何かを代償にすることはございません。貴方からも、少女からも、何かをいただくことはございません」
スタイレーンは首を振る。そしてソファに座るシェイネに近づいてきた。
「貴女は?貴女の何かが失われたりはしないですか?」
シェイネはじっとスタイレーンを見つめる。
そして、ふ、と、儚げに笑った。
「敢えて申し上げるなら、居場所を」
スタイレーンはソファに座るシェイネの前に跪いた。
「どこかへ行かれるのですか。俺の目の前から消えてしまうのですか」
シェイネは驚く。
「意味がわからず気味が悪いでしょう。理解できず恐ろしいでしょう。わかってはいるのです。ただどうしても、時々無性に寂しくなって···。無駄な時間を費やさせてしまい誠に申し訳ありませんでした。すぐに追い出した、と、皆にはそうお伝え···」
諦めたようにとつとつと語るシェイネの手を、おもむろにスタイレーンが握る。
ぎゅっと握り、そしてその指先に口づけた。
「!」
シェイネは驚き、その手を引っ込めようとした。が、スタイレーンが強く握り離してくれなかった。
「スタイレーン様、私は魔女なのです。本来ならこうして人の前に出てくることすら憚れる···っ」
スタイレーンは片手をシェイネの手から離すと、シェイネの柔らかな頬に当てる。
「俺の事はジャンと呼んでください、貴女の名を···教えてくれるまで、俺はもう止まりません」
そう呟くと、スタイレーンはシェイネの顔に自分の顔を近づけてきた。
シェイネは焦って両手でスタイレーンの体を掴み、押しやろうとする。
ヨーンが不愉快そうにシェイネの膝から降り、向こうへ歩いて行ってしまった。
「イ···っ、イザボーと、言いますっ」
「お呼びしてもいいですか?」
「······」
くいっと、スタイレーンがシェイネの顎を持ち上げる。
「は、はいっ、いいえ、あの、私はもうここから···出···」
その先を言うことはできなかった。
次回12月15日公開予定です




