第6話 鉄檻
支給されたスウェットに着替えて、洗面台で化粧を落とす。いつも使っているクレンジングオイルではないので化粧の落ちが悪い。
化粧台に鏡は無いが、指先で顔をなぞるとわかってしまう。毎日自分の顔を触っているから間違えることはない。
「おい、もういいか」と白い鉄格子の前で背を向けて待つ刑事が痺れを切らして話しかけてくる。
洗面台の隣のフックにかかった短いタオルで顔を拭いて、「もう大丈夫です」と返答して、脱いだ服とクレンジングオイルを刑事に渡した。
刑事はあくびをしてから気怠げに「じゃあ朝にまた」そう言い残して去っていった。
すると、すぐにほとんどの照明が消灯されて薄暗くなり壁からくり抜いた小さな窓から差す月の光だけが便りになった。
布団もまだ敷いていないのに灯りを消されて、月の光と布団を手で触った感覚でなんとか布団は敷くことが出来たので布団の中に入る。
警察の対応の悪さを身に染みて体感したが、向こうからすれば罪人に親切をする義理が無いと考えているのだろう。
だが、私は修一を殺していない。なにが原因で修一が殺されたのかは分からないが、
修一が襲われたであろう時間帯には晴香と一緒にいてアリバイもある。
私が無実だと証明された時は刑事にどんな悪態をついてやろうかと考えていた。
布団は煎餅布団のようなものなので腰が痛くなり、寝相をよく変えてしまって全然眠れない。
ずっとベッドで寝ているからなのか、
布団が薄すぎるのか、精神的に参っているからなのかは分からないがとにかく眠れない。
天井を見つめているとふと、修一のことが頭に浮かんだ。修一が何者かに殺された。
修一が亡くなった。修一と逢えなくなった。
なのにその実感は無いし、心から込み上げるものも殆ど無いと言っていい。
亡くなった主人のことよりも、今の自分が置かれている状況を解決することの方が心の中を占めていた。
そうしていると、窓から差す光が次第に明るくなっていく。結局、ほぼ眠ることが出来ずに朝を迎えてしまったらしい。
「起きろ、朝だ」と監視担当官らしい男が大声を上げる。
「今は何時ですか?」
「七時だ。顔を見る限り特に問題は無さそうだな。顔を洗って布団を畳んで片付けてくれ。
八時から朝食だから、それまでは清掃や準備運動をして時間を潰しておいて」
そう言い残して隣の部屋を見に去っていったが、男はすぐに戻ってきて、一言付け加えた。
「昨日は写真を撮ってなかったから、事情聴取の前に写真撮影と指紋採取があるからね。
身だしなみは整えておいたほうが良いぞ」
男がいなくなってから、顔を洗って布団を畳んだが普段は布団を畳むことがないので、何度畳んでも不細工な姿になる。
諦めて、畳んだ布団の隣に座り込んで時間が過ぎるのを待った。
八時になると白い鉄格子の小窓が開いて、朝食が置かれた。朝食が載ったお盆を手に持って、檻の中にある小さな机に移動させる。
朝食は典型的な幕の内弁当のようなものとお茶が一杯出された。
枠に敷き詰められた白米。
主菜は鰆の塩焼きで、副菜はブロッコリーなどを茹でた野菜を少々。箸休めの漬物も添えてある。
こういう日本の伝統的なお弁当を食べるのは本当に久しぶりで、思っていたものより上等な朝食が出てきたことに驚いた。
お弁当は冷めていたが、お腹が空いていたので箸が進む。
そこそこの食欲でお弁当を平らげてお茶を飲み干してお盆を開いている小窓に返却した。
その後はご飯を食べたからなのか、強烈な睡魔が身体を襲って畳まれた布団の横にもたれかかる。
うとうとしていると、廊下から複数の男性の声が聞こえてきて段々と声が近くなる。
「黒田さん、おはようございます」
声がする方に顔を向けると、白い鉄格子の前に昨夜の二人の刑事が来ていた。
「お疲れのようですね。まぁ無理もないです。
色々聞きたいことがありますが、まずは写真撮影と指紋採取がまだなので、先にそっちをやってしまいましょうか」
白い鉄格子の扉が開く。檻から出てこいという合図を受け取って檻を出た後は別の部屋に案内された。
その部屋で写真撮影と指紋採取を行なって、また別の部屋に案内され、その部屋の扉には
<取調室>の文字があった。
「どうぞ、座って下さい」付いてきた刑事の一人が言った。
ドラマでよく見る取調室と大差が無く、部屋の真ん中に机があって囲むように椅子が二脚ある。
部屋の隅にも机と椅子が置いてあり、ドラマだと記録係が座っている場所だ。
私は椅子に座って、向かいに刑事の一人が座り、もう一人は隅の椅子に座った。
「そういえば、昨日お会いしているのにまだ名乗っていませんでしたね。私は羽山といいます。
あっちに座ってるのが山田です」
羽山という刑事は中年の男性で、飄々としていて、無精髭を生やしスーツを着ているが着崩しているのでだぼっとしている。そしてなによりタバコ臭い。
所謂、だらしない男なので妻がいないことは容易に推察できる。
山田の方は……はっきり言って特徴が無い。
普通のあっさりした顔で、普通のスーツを着て、普通の雰囲気を纏っている。
良くも悪くも普通すぎて特徴が無い。
合コンに行っても空気扱いされるパターンの男だ。
「もしもーし、聞いてます?」羽山の声で我に帰る。
「お名前を教えてください。知ってるんだけど、形式的に訊く約束になってるんで」
「黒田皐月です」
「おいくつですか?」
「三十歳です」
「ご主人のお名前は?」
「黒田修一です」
「ご主人はおいくつですか?」
「三十五歳です」
「昨夜は外出されていたそうですが何時頃に出かけられましたか?」
「十八時ぐらいだっだと思います」
「もう少し具体的な時間帯に絞れませんかね?」
「十七時…四十五分か五十分ぐらいだと思います。正確には覚えていません」
「夕食はご主人と摂られたんですか?」
「いえ、私は外食でした」
「何故、あなただけ外食されたんですか?」
「友達とご飯を食べに行く約束をしてたからです」
「そのご友人の名前は?」
「白峰晴香といいます。その日は家を出てから彼女とずっといたので彼女に聞けば分かります」
「義母様の証言からするとマンションのドアの鍵がかかっていなかったらしいんですが、鍵はかけましたか?」
「修一に鍵をかけるように言ったので私はかけていません」
「なるほど。その友人と外食されている間にご主人が亡くなって、義母様が発見されたと」
「そうなります」その後も細々とした質問は続いた。
「分かりました。白峰晴香さんにも事情聴取しようと思いますし、他にも色々な事が分かってからもう一度、事情聴取させていただきますね」
こうして、最初の事情聴取が終わった。




