第5話 自分の家ではない
「ごめん、晴香。いきなりだけど家に帰らないといけない」
店内に戻った皐月は慌てて晴香に話しかける。
「そんなに慌ててどうしたの?」
「お義母さんが急に家に来たみたい。それで帰ってこいってさ。っていうか、連絡もせずにいきなり家に来るなよ」
皐月は心底うんざりした顔で晴香に事情を説明した。
「だからごめん。今から帰らないといけない。
ここのお代いくらだっけ?晴香の分も一緒に払うよ」
話を聞いていたバーテンダーが金額を言おうとすると、晴香の言葉が先に出る。
「そんなことはいいから、早く帰りなよ。皐月の分も出しとくからさ。また今度奢ってくれればいいし」
「ごめん、ありがとう。次は絶対に奢る」と、
言って小走りで皐月は店を後にする。
時刻はもうすぐ二十二時になろうとしていた。
一刻も早く家に帰る為にタクシーを捕まえようと大通りを目指し小走りで駆ける。
だが、その道すがらで運良くこちらに向かってくるタクシーを見つけて咄嗟に手を挙げると、
運転手が気づいたようでタクシーが接近し、ヘッドライトが眩く光って視界を遮る。
タクシーに乗り込んで、早口でタワーマンションの住所を伝えると、運転手は振り返ったが車内は暗くて顔がはっきりと見えない。
「……あれ?この辺りの“エミール”ってバーで降りた人ですよね?同じ人を一日三回も乗せるなんて奇跡ですよ」
声で特定できた。間違いなくバーまで送ってくれたタクシーの運転手だ。
「ってことは……住所を聞く限りだと、一番最初に乗っていただいたタワーマンションのところまで行けばいいんですね」
「そうです!なるべく早くでお願いします」
偶然とはいえ、好都合だ。話が早くて助かった。これで少しでも早く家に到着することができると安堵して、座席に深く座り込む。
「どこかで聞いたお客さんの声だなと。……って前に乗った時も同じこと言いましたね」
嬉しそうにタクシーの運転手は話しかけてくる。
だが、義母のご機嫌をどうやって取ろうか思案しているので、まともに取り合う気はなかった。
タクシーはそこそこの速度で走り、来た道を戻っていく。
車の窓から夜の煌びやかな都会の灯りを横目に流しながら、楽しい時間は過ぎ去って現実に引き戻される感覚に襲われていた。
自宅のタワーマンションに到着してお金を払う。
「ありがとうございました!またまたご贔屓に」と気分上々の運転手の挨拶を聞いてタクシーを降りる。
エントランスを手際よく抜けて、ボタンを押してエレベーターを待つが、中々エレベーターが降りてこない。
いつもなら高層マンションでよくあることと気にも留めないが、今はそうもいかない。
かといって、四十階まで階段で上がる体力は無い。足踏みしていると、待ちに待ったエレベーターが一階に到着した。
バッグの中から鍵を取り出す。エレベーターの中に入って四十階のボタンを押すとドアがゆっくりと閉まっていく。
四十階へ到着してドアが開いてすぐ小走りをする。自宅のドアに着いて鍵を差し込んで捻ったが、解錠した感触がない。
ドアを引くと鍵は閉まっておらずそのまま開いた。どうにも家の中が薄暗く感じる。
「随分と遅かったのね」
義母がリビングのドアを開けて玄関に出てきた。
「すみません、遅くなりました。急にいらっしゃって驚きました。すぐにお茶と軽く食べられるものをお出しいたしますので」
そう言いながら、皐月はハイヒールをすぐに脱いでスリッパに履き替える。
義母を通り過ぎてリビングに入ると、夫の修一が床に横たわっている。その姿から生気は感じられなかった。
首には修一がよく使っていたネクタイがきつく巻きついている。
「えっ……」
皐月は目の前の状況が全く理解できずに力が抜けて座り込んだ。
「黒田皐月さん」
私を呼ぶ男性の低い声が背中に当たって振り返ると、義母の後ろに二人の男性が現れた。
まるで逃がさないと言っているかのように二人で玄関を塞いでいるように見える。
「警察です。夫である黒田修一さんの殺人容疑の件について、署で詳しく話をお聞きしたいので、ご同行願います」
「違います!私は殺してません!!」
いきなり、あらぬ容疑をかけられた私は叫んだが、ここにいる誰一人聞く耳を持ってはくれない。それどころか……
「あなたが修一を殺したんでしょ!」
義母が激昂した。
「前々から浅ましくて卑しい女だと思っていたけれど、まさかここまでだったとは……」
私じゃないと強く言い返そうとしたが、刑事が口を挟んだ。
「まだ、彼女がやったかどうかは分かりませんから。彼女をここに呼んでいただきありがとうございました」
刑事達は一緒についてこいと手で合図を送って家を出ようとしていた。
私に拒否権は無く、不本意ではあるが刑事達についていき家を後にする。
家を出た瞬間に自宅でありながら、他人の家にお邪魔したような覚えがした。
そして、義母は遺体となった修一のそばで崩れ、
「ああっ、私の修一が……」と声を上げて泣き叫んでいた。
私はタワーマンションのエントランスを出た後、誘導されるままに停まっていたパトカーに乗り込んだ。
まさかこの車に自分が乗る人生など考えた事が無かった。だが、無実の罪で逮捕され、この車に乗ってしまっている。
色々な事が同時に頭によぎって、頭の中が破裂しそうだった。
パトカーは***警察署に到着した。車のドアが開いて、車から降りて下さいと言われ、疲れて重くなった足をアスファルトの上につける。
警察署内に入ると緊張から心拍数が上がる。奥に進んでいき階段を使って二階へ行くと、白い鉄格子に白い網が張られた部屋がずらりと並ぶ留置場と対面した。どうやらこの部屋に入れられて拘束されるのだと察しがついた。
白い鉄格子の扉はぎしぎしと軋む音を立てながらゆっくりと開かれていく。私は黙って扉を潜る。
「今日はもう遅いので、明日の朝に取り調べを行います……ってもう日を跨いでますね。とりあえず、朝日が昇ったら取り調べしますから」
そう言って、二人の刑事は離れていった。
部屋というよりも檻に入れられたというほうが正しいのだろう。
檻の中には小さな洗面台とトイレ、敷き布団と掛け布団と枕と小さな机がある。
全て白色で統一されているが、小さな机だけは木製で木の色をしているのでとても異物に感じられる。
刑事の片方が私の元に戻ってきた。手には鼠色のスウェットとクレンジングオイルを持っている。
「本当は女性の職員が対応するのがベストなんだが、生憎今日は留守でね。
後ろを向いておくからこれに着替えてくれ。
あと、これは化粧落とし。メイクしたまま寝たくないでしょ?」
スウェットとクレンジングオイルを貰うと、
刑事は自分の顎の周りの髭を触りながら
"俺って気が効くだろう?"と言わんばかりの顔つきを見せていた。




