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別人  作者: 乾 優弥


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第36話 もうひとつの顔

「ちょっと待ってください」晴香の声が羽山の足を止めた。


「それじゃあ……宮田さん?が真犯人ってことなんでしょうか??」


「う〜ん、それは俺の口からはなんとも」


視線が合わない上に曖昧な表現で返す羽山に苛立ちを感じたが、彼の顔にはそれよりも今は、

はっきりさせないといけないことがあるのではないか?


そう言われている気がしてならなかった。

思案している内に、羽山は歩き出していて彼の背中はあっという間に小さくなっていく。


「……晴香」好きになった男性の声が背中に刺さる。振り返ると大樹は手を伸ばせば触れられる距離にいた。


「本当は気づいてるんだろ?皐月と俺が付き合ってるって。まぁ付き合ってるっていうより不倫なんだけど……」


伏し目がちに大樹は言う。


付き合っている……??想定しうる最悪の展開が本人の口から聞かされ、覚悟はしていたが動悸が止まらない。自分の心音以外はなにも聞こえなくなる。


「けど、晴香が好きという気持ちも本当なんだ。最初は皐月の無実を証明する為に躍起になってた。

それに、黒田修一さんの死の裏になにがあったのか、一人の警察官として気になった。

だから捜査にも率先して協力した。だって、皐月が殺したなんて有り得ないから」


大樹の目頭が熱くなって感情的に話す。


「どうして……どうしてそう思うの?」


この一言を口に出すだけでも苦しい。


「皐月のことをよく知ってるから。

ご主人に不満を感じてたことは聞いてる。でも殺意までは持ってなかったし、離婚して俺と一緒になるつもりって話もしてた。だから殺すなんてあり得ない」


晴香は唾を飲みながら黙って話の続きを聞くしかなかった。


「それに、晴香と会って気持ちと考えが変わったんだ。

皐月の無実が無事に証明されて釈放されたら、会って直接別れを告げようと思っていた。

晴香と一緒になるつもりだからもうそばにはいられないって」


もう聞くことを我慢出来なかった。


「そんなの、なんとでも言えるよ!ずっとなにかが引っかかってた……皐月の面会に行こうとした時もソワソワしてたもんね!?

要は二股がバレたら面倒臭いことになるから会わせたくなかったんでしょ?」


感情に任せて言葉が勢いをつけて飛び出る。


「晴香が皐月と会うことを避けたかった。

皐月が俺との関係をポロッと口から溢してしまうかもしれない。それだけは本当に避けたかった。

信じられないかもしれないけど、本当なんだ。今まで話せなくてごめん……」


大樹は大きな身体を折って深く頭を下げた。


「男って形の謝罪にこだわるよね。形だけの謝罪なんかいらないって。皐月はこの事を知ってるの??」


「いや、知らないはずだ」


「皐月の無実を証明しようとしてる私が馬鹿みたいじゃん。皐月が出てきたら得をするのはあんた達だけじゃない」


晴香は血圧が急上昇して頭に血が昇る感覚が伝わってきた。次第に頭皮が痒くなって頭を強く掻いてから前髪をかき上げる。

さっきまでは不安と悲しみが心を支配していたのに、今になって失望と怒りが支配している。


「本当に私って男運が無いわ……」


心の底にある気持ちがそっと口から吐くように出たが、大樹の耳には聞こえていないみたいだった。


「とりあえず、皐月の一件はこれで決着がついた。皐月が出てきてから三人で集まってこれからの事を話したい。駄目かな?」


「これからのこと?三人で話し合ってなにがどうなるの?」


晴香は捲し立てるような口調で話す。


「だから、さっきも言ったじゃん。ちゃんと皐月に別れて欲しいって言うから。俺達は今まで通り……」


「今まで通りになるわけないじゃん!」


彼の言葉を遮って怒りが爆発してしまう。


「今まで通りになるよ。それは晴香の捉え方次第じゃない??」


「私が今までどんな気持ちでいたと思う?どんな気持ちで過ごしていたと思う?分からないでしょう??」


「とりあえず落ち着けって。はぁ……これだから女は」


大樹はだるそうにため息をついて地面と目を合わせる。


その言葉を聞いて頭が真っ白になった。

ついこの前にも聞いた言葉と全く同じ言葉だったからだ。

それをもう一度言われるとは思わなかったが、言われたことで自分の中で諦めと決心がついた。


「もう、いいよ」


晴香は歩み寄るように近づき、地面を見つめる大樹の視界にヒールが映り込んで顔を上げる。


「んっ?もういいの??じゃあ今からこれからのことをはな……」


大樹はなにかが自分の身体の中に入ってくる感覚があった。

張っていた膜がブスッと破れるような感覚が伝って冷んやりとした物を感じた。


気付くと晴香の匂いが香るほど近くにいて、すぐに抉るような強い痛みが腹部から襲ってくる。


痛みのするほうに目を落とすと、晴香の手には引き抜いてべっとりと血が付いたナイフが握られていて、お互いの足元には赤い水玉模様が散りばめられていた。


すぐに強い目眩に襲われて、ふらつきながら倒れて地面に横たわる。

横になった視線の先には晴香が履いている血のついた黒いヒールが見える。


そういえば晴香はよく高いヒールを履いたよなぁ……そんなことを考えている内に寒さを感じて次第に瞼が重くなっていき、その重さに耐えられるはずもなく瞼が閉じていく。


晴香はただ目の前に倒れている大樹が視界に入っているにもかかわらず、ただ呆然と立ち尽くしていた。その右手に凶器を握りしめながら。


今まではこれからの事を考えながら、慎重に次の一手を打つタイプだと自負しているつもりだ。

でも、こんなに突発的な行動をしたのは初めてかもしれない。

初めてのことをしたのだ、次の一手が思いつかない。いや、思いつかないのではなく考えることを諦めているのか。

"踏み込みすぎた"そんな一言が頭の中に浮かんだ。


間もなくして、背後から勢いよく強い力が加わって身体が斜め前に屈んで、しまいには押し倒された。

地面と頬がぴたりと張り付いてひんやりして気持ちが良い。

右腕の手首をぐっと掴まれて鉄の輪があっさりと巻き付く。


「白峰晴香。殺人未遂の現行犯で逮捕する」


晴香を拘束しながらそう言い放ったのは羽山健一であった。

顔を傾けた晴香と視線がかち合う。

羽山は目を逸らずにその後の言葉を付け加える。


「あともう一個言い忘れてたよ。あんたにはもうひとつの顔がある……」





「黒田修一殺害容疑で逮捕する」

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