第34話 真実の雨
三島大樹は羽山が搬送された※※※病院に急いで向かった。
受付の女性に羽山がいる病室を訪ねて、階段を使い五階まで一心不乱に駆け上がる。
病室の壁には“羽山健一”と名前が貼り付けられていた。
病室に入ると、羽山は酸素マスクを付けた状態で目を閉じていた。
近くを通った看護師を捕まえて話を訊くと、消防士によって火事から救出されて病院に搬送。
中度の一酸化炭素中毒を発症したが命に別状はなく、体調が戻ればすぐに退院できるとのこと。
そして、羽山さんと一緒に搬送された“ビストロ フルール”の主人は意識不明の重体らしい。
なにより心に重くのしかかったのは、奥様も後から搬送されたが息を引き取ったということ。
羽山さんが無事だったことに安堵する気持ちと、人が亡くなったことを悼む気持ちが入り混じってもどかしく感じていた。
しばらくその場に立ち尽くしていると、羽山さんがゆっくりと目を覚ました。
それから顔を傾けて、ぼそっとなにかを言ったが酸素マスクを付けていることと、声量が小さいことも相まってよく聞きとれない。
膝を折って耳を羽山さんの顔に近づけると、声を聞き取れた。
「……ご夫妻の容態は?」
「ご主人もこの病院に搬送されましたが意識不明の重体です。奥様の方は……」
羽山さんはそれを訊いてただ天井を仰いでいる。その瞳には強い後悔の色が見えた。
「ひとまず、羽山さんが無事で良かったです。体調次第ではすぐに退院できるみたいですが、もしものことがあるので、しっかり検査してから退院された方が良いと思います」
羽山さんは返事をせず上の空になっている。
しばらくその状態が続いて次第に病室にいることが落ち着かなくなって、トイレに行くと一声かけてから病室を出た。
トイレを済ませてから、近くにあった自動販売機でホットの缶コーヒーを買って適当な座席に座った。
爪を引っ掛けてプルタブを上げると、コーヒーの良い匂いが漂ってきて少し気持ちが和らぐ。
缶コーヒーを飲みながら放火をした犯人が誰なのか考える。順当に行くなら口封じをしに回っていた"あの男"なのだろうが、犯人の輪郭が全く見えない。
被害者は確実に増えているからこそ、もっとはっきりとした証拠を掴む必要がある。
缶コーヒーを飲み終えてゴミ箱に缶を入れ、羽山さんがいる病室に向かったが、
病室に入ると、無造作に散らかった掛け布団だけが残されていた。
女性講師から皐月と大樹は面識があって、仲が良かったことを聞かされたことで私が密かに抱いていた悪い予感が的中してしまった。
皐月と大樹は繋がっていたんだ。
大樹は私が皐月と接触することを避けていたし、皐月も一緒に事件を追っている刑事は大樹ではないのかと探りを入れていた。
そう考えれば二人の言動や行動全てに合点がいく。
なにより、大樹が私に接触して男女の関係になったことも予め皐月と打ち合わせしていたのではないか……
強烈な寒気が背中に襲いかかる。部屋に一人きりなのはいつものことなのに、今は不快と違和感を感じる。
途端に外の風に当たりたくなって、玄関に向かい慌ただしくヒールを履いてドアを開けた。
行くあてもなく、ただ歩き出す。頭の中から色んなことが吹き出してきて押し寄せてくる。
それを抑え込むのに必死で歩くリズムすらバラバラになっていく。
私はこれからなにをすれば良いのか。
なにを優先させれば良いのか。
大樹に事の真相を聞いて想像通りの答えがくるのが怖くて躊躇いすら浮上して次第に頭が痛くなり始めた。
近くの色褪せてくたびれたベンチが目に入って腰掛ける。
何度も目にしているベンチでいつもなら汚く感じて座ることすら考えなかったが、今は座れる場所があるだけでありがたい。
頭を下にして地面を見ながら、ただぼーっとする。やる気が一切起きない。
なにかを得ようとして前に踏み出しても、その行動に代償を払わされる。
払ってからしかなにかを得られないのであれば、もう私はなにも得なくていい。
そんなことを考える私に、この世界は雨を降らせて追い討ちをかける。
傘なんて持ち合わせていない。
このままではいられない。私は否応無しに自宅へと引き戻されていく。
強く降りしきる雨の中を走ろうとするが、ヒールを履いているので上手く走れず結果的に早歩きになってしまう。
マンションの入り口の屋根に辿り着いた時には服がずぶ濡れで重たくなっていた。
服の縁を手で絞って水気を切っていると男性が屋根の下に勢いよく走ってきた。
「いや〜いきなり降り出したからびっくりですよ」
いきなり男性が一人で話し始めたので顔を見ると、その男性は羽山刑事だった。
「えっ、羽山さん?どうしてここに??確か火事に巻き込まれたって……」
「ふ〜ん、三島から聞いたんですね。大丈夫ですよ。見ての通りピンピンしてます」
羽山は笑顔を見せるがあからさまな作り笑顔だ。
「火事って一体なにが……」その言葉の続きを言う前に二人で雨宿りしているこの状況が気になって、その話題から話を進めた。
「あの……部屋に来ませんか?要らない傘が沢山あるのでお渡しできますし」
「本当ですか?じゃあお言葉に甘えて」
羽山はまた笑顔を作ったが今度は作り笑顔ではなかった。
晴香はバッグからキーケースを取り出して、
入り口のキー読み取り部にかざしてオートロックを解錠しようとしたが、手が濡れていてキーケースを地面に落としてしまった。
「おっ、すみません。地面に落ちるまでにキャッチ出来なくて。こういう所で老いを感じちゃいますよ」
羽山は地面に落ちたキーケースを拾って晴香に渡す。
「いえ、ありがとうございます」
二人でマンションの中に入ってエレベーターに乗って晴香の自宅に運ばれていく。
晴香は自宅のドアを開けてヒールを素早く脱いでから急いで洗面台に向かってバスタオルを二枚取って戻った。
晴香が洗面台に着くまでに通った床には水滴の道が出来ていて、玄関にいる羽山はそれをただ見つめている。
「良かったら、これ使って下さい」羽山にバスタオルを渡して晴香は濡れた髪を拭き始める。
「面目ない。ありがたく使わせてもらいます」
タオルを手に取って拭き始めると柔軟剤の匂いが強く香ってきた。
いかにも女が好きそうな匂いだと思いながらも、こんなにも香るものなのかと、ただのタオルにさえ自分と縁の無さを感じさせられた。
そんなことを考えていると、目の前にビニール傘を持った白峰晴香の手が現れる。
「どこで手に入れたかも忘れた安物ですけど是非使って下さい」
「ありがとうございます。なにからなにまで申し訳ない。じゃあ近々、返しに来ますね」
「いえいえ、返さなくてもいいですよ」
「そうですか……じゃあ帰りますね。本当に助かりました」
羽山は拭き終えたタオルを軽く畳んでから晴香に返した。
「いえいえ、気をつけて帰って下さいね」
羽山が部屋を出ると程なくして、鍵の閉まる音が通路に響いた。




