第33話 華道教室
※※※拘置所から出て真っ直ぐ自宅に帰った。
椅子に座ってコーヒーを飲んでいるとドアの鍵が解錠されて開く音が聞こえた。
「晴香、大丈夫か?」大きなレジ袋を片手に持った大樹がダイニングに入ってきた。
食料品など色々な物が入って、レジ袋がはち切れるほど大きく膨らんでいる。
「大丈夫かって……そんなに買ってどうしたの?」
今にも千切れそうなレジ袋に触れられずにはいられなかった。
「いや、どれなら食べられるのか分からないから色々買ってきた」
彼はそう言いながら、レジ袋を机の上に置いた。
「私、風邪を引いてるわけじゃないよ」
苦笑いをしながらそう返したが、口にしてから少し意地悪な返し方ではないかと頭によぎる。
「そうじゃなくて、ついこの前、夜道で男に襲われたばかりじゃないか。
それを気にしてるってこと。あの時は仕事でそばにいられなかったから。本当に大丈夫?」
大樹が真剣な眼差しを向ける。
「大丈夫だよ。あれから背後を気にして歩いてるけど特になにもないし。心配してくれてありがと」
私は机の上に置かれたままのレジ袋を手に持って、中身を冷蔵庫に入れていく。何故、机の上に置いたのだろう。
収めるのは自分でやってくれということなのか。だとしたらそう言ってくれれば良いのに。
「それにしても話すことが山程あるな」
大樹は手洗いを済ませて私の向かい側に座る。
「バーの店主の佐々木哲也が亡くなったことについてなにか分かったの?」
「フッ化水素中毒が死因になったことぐらいしかまだ分かってない。あとはドアの鍵が閉まってて完全な密室だったんだ」
「ってことは自殺ってこと?」
「羽山さんとも言ってたんだが、自殺とは思えない。他殺の上でその犯人が鍵を閉めたのかもしれない」
「じゃあ鍵を持ってそうな人が怪しいってことになるよね……」
「晴香のほうはここ最近でなにか変わったことはあった?」
「今日、※※※拘置所に行って皐月に会って来た」
晴香はコップを持ち上げてゆっくりとコーヒーを啜る。
「えっ?」机に目を落としていた大樹の顔が上がる。その漏れた声には疑問と少しの怒りが混じっていた。
「……なんで一人で行ったの?」
大樹は続けて言葉にしたがそのなんとも言えない感覚を感じて理解した。
彼は私に何かを隠している。
ただの勘でしかないが、こういう女の勘は当たることが多い。
「だって大樹、仕事で忙しそうだったし。今度は一人で行こうかなって」
「行くなら一声かけてよ。それでなにを聞きに行ったの?」
「近況報告と、事件のことについて見落としたことがあるかもしれないからもう一度擦り合わせをしたの。
そしたら、バーの中で私達の他にお客さんが何人か居たことを思い出せた。
まぁその人達の顔も名前も分からないから、これからどうやって調べようか考えてる所なんだけど」
「……聞いたのはそれだけ?」
彼はきょとんとした顔をしている。本当は“さくら華道教室”のことも聞いたがあえて触れなかった。
「うん、それぐらいかな。あの日に皐月が居たことを証言できる人がまだ残ってるって分かっただけでも大きな前進だよ」
「それはどうかな。だって顔も名前も分からないんだろ?あの店には監視カメラも無いしどんな人物像かも分からない」大樹が苦笑をしながら話し始める。
「それに、もうこの事件には関わらないでくれって言っただろ。あの日にバーに居た人間はみんな狙われてる。自覚が無いのかもしれないけど晴香もその一人なんだぞ?」
「そう言われても、今更なかったことには出来ないよ」
「頼むからもうやめてくれよ!」
大樹は椅子から立ち上がって左手を上げた。
その左手は勢いがついて私の頬にくるのだと覚悟したが、頬ではなく肩にたどり着いた。
「本当に頼むよ……」そう言って大樹は屈して椅子にまた座り、私と目線を合わせる。
「晴香を失いたくない。後は俺に任せてくれ……」
続けてなにかを言おうとしたが、スマートフォンの着信音がそれを遮った。
大樹はスマートフォンを手に取って耳にあてる。
"えっ?羽山さんが病院に運ばれた!?"
動揺して思わず声を漏らしてしまい晴香と目が合う。
その後も通話は続いて、通話を終えると彼は"詳しいことは言えないがちょっと出てくる"と言い残して逃げるように部屋を出て行った。
さっきの話によると、羽山刑事になにかがあったみたいだが、正直そんなことよりも別のことが頭の中を占めている。
皐月から訊いた“さくら華道教室”のことだ。色々と思案したが行こうと決めることにそう時間は掛からなかった。
スマートフォンのマップアプリを便りに“さくら華道教室”の目の前まで辿り着いた。
お店の外観はテナントのようなものを頭の中で勝手に思い描いていたが、実際は一軒家に看板がかけられていただけだった。
テナントなら気軽に入れるのに一軒家となると、緊張が勝ってインターホンを押すことに躊躇ってしまう。
「あの……なにか御用でしょうか?」
背後から女性に声をかけられて咄嗟に振り返る。
自分の後ろには小綺麗な中年の女性が立っていた。
「ああっ、すみません。こちらの教室の方ですか?」
「ええ、そうです。私の教室ですが、どういったご用件でしょうか?」
中年の女性講師から不審感が漏れ出ている。
「こちらの教室に黒田皐月という女性が来ていませんでしたか?私は皐月の友人の白峰と申します」
「えっ?"あの黒田さん"のご友人ですか??」
中年の女性講師は明らかに驚いている。
「"あの黒田さん"っていうのは?」
女性講師の一言が引っかかって掘り下げた。
「だって、ご主人を手にかけた方でしょう?とてもそんな事をするような方には見えませんでしたけど。人って本当に怖いですね。ただ……」
「ただ……なんですか?」途端に口ごもる続きの言葉を引き出そうと試みる。
「同じ講座を受講されている男性と凄く親しくされていました。黒田さんは既婚者なのに良いのかなって思いながら見てましたけど」
「そうなんですね……その親しくしていた男性の方の名前は三島大樹さんですか?」
自分で発した言葉に緊張して胸の鼓動が加速する。
「ええ、そうです!ご存知なんですね。それはそうと、本当に黒田さんがご主人を?そこの所が知りたくて」
女性講師は皐月が仲良くしていた男性が大樹であるとさらっと答えて気にも留めてない様子で、
"修一さんを殺害したのは大樹ではないか?"と、それが訊きたくてたまらないようだった。
「それを警察の方が今、詳しく調べています。だから私も捜査のお手伝いをしてるんです。貴重な情報ありがとうございました」
軽く頭を下げてその場から離れた。




