第32話 零れ落ちたもの
私は襲われた恐怖感を抱きながら急いでマンションに入って自分の部屋に逃げるように帰った。部屋に入った瞬間にすぐ鍵を閉めた。
時折、後をつけられていないか振り返って見たが男が追ってくることはなかった……
一体、あの男は誰なんだ。それは分からないがただ一つ言えるのは、あいつが私の探していた“真犯人”なのは間違いない。
腰が抜けて玄関の明かりもつけずにその場に座り込んだ。
あの男は"詮索するな"と言っていたがようやく尻尾が見えたんだ、ここで諦めたくない。
襲われた時から鼓動が早くなって今も収まらないがスマートフォンを取り出して大樹に通話を掛けた。
「もしもし。急にどうした?」大樹はすぐに応答してくれた。
「ごめん、仕事中なのは分かってるんだけど。今、公園で男に襲われたの。厳密には襲われてないんだけど」
「どういうこと?落ち着いてゆっくり話して。今は大丈夫なのか??」大樹の声色が変わって緊迫感が走る。
「今は部屋にいるから大丈夫。
それにその男は皐月の事件について詮索するなって言ってすぐにその場から消えたの。
たぶん元々、私を襲うつもりはなくてそれを言いに来たみたいな感じだった」
「晴香、簡単に結論を出すな。まだそうとは言い切れない。とにかく今は外出を控えて。
本当はすぐにでもそっちに行きたいけど、仕事で離れたところにいるんだ」
「ううん、今こうやって大樹と話せてるからそれで充分。だいぶ落ち着いた。その男は事件のこと必ず知ってると思う。きっと“真犯人”だよ。やっと真相に近づいた」
「メッセージでも良い、その男について後で詳しく教えてくれ。それと、こっちにも進展があった。
今日、羽山さんに電話があって“ビストロ フルール”の奥さんが事件のことを話してくれそうなんだ。もしかしたら“真犯人”もすぐ捕まえられるかもしれない」
焦っているのか話す速度が上がっていく大樹
「ちょっと待って。今、動いたらその奥さんは真犯人に襲われない?佐々木さんと同じになるかもしれないし」
がさがさと雑音が聞こえてくるが大樹の声は聞こえない。
「もしもし?聞こえる??」
「ああっ、ごめん。もう仕事に戻らないと。メッセージでもいいからさっき起こったことを出来るだけ詳細にして送って欲しい。とにかくゆっくり休んで」
大樹はそう言って通話を切った。
* * *
羽山は“ビストロ フルール”の店主の妻と十五時に会う約束をしたが、仕事が上手く進んだこともあって十四時を過ぎた頃にお店に到着しそうだった。
車をお店の近くに停めて、そこからは歩いてお店に向かっていたが、なにかが焦げたような臭いが鼻腔をくすぐる。
お店に近づいていくほどに臭いも強くなっていく。嫌な予感がして足が勝手に走り出していた。
“ビストロ フルール”の建物が視界に入ると、その建物は火に包まれて煙を巻きながら、赤く燃え上がっている。
それを見てすぐに消防署に緊急通報した。
店の中は炎でよく見えないが、人が居る可能性を捨てきれず危険を承知で火の中に飛び込んだ。
店内の個室の近くにはシェフであるご主人が意識を失って倒れていた。
羽山は煙を吸わないように息を止めてからご主人の身体を抱えて出入口に向かって歩き出すが炎が邪魔をして思うように進まない。
ようやく出入口の近くまで辿り着いたが、止めていた息が続かなくなって視界が朦朧とする。
薄れていく意識の中で急に身体が軽くなった気がした。
顔を上げるとオレンジ色のつなぎ服を着た消防隊員に身体を抱えられていた。
* * *
私は※※※拘置所に来ていた。大樹には連絡せずに。眼前の仕切り板の奥には皐月が座っている。
「その後は……どう?」先に口を開いたのは皐月の方だった。
「バーテンダーの人も手品師の人も亡くなった」
「えっ?どういうこと??」皐月は明らかに困惑している。当然の反応だ。
「"ある男"がお金を渡して皐月がいたことを口封じしてたみたい。バーテンダーの方はたぶんその男に口封じとしてやられたんだと思う。手品師の方は色々あって……」
その後の言葉を濁して別の話題に変えた。
「それで、もう一度あの日のことを思い出してみない?なにか見落としたことがあるかもしれない」
「ビストロでは晴香と二人きりだったし。バーもマジックショーを見てすぐに帰ったから見落としてることなんて無いと思うけど」
皐月が毛先をくねくねと指に絡めて弄りながら天井を見上げた。いつも綺麗に手入れしていた髪は艶が無くなりボサボサになっている。
「確かに、そうだよね。ちなみに皐月って華道教室に行ってたりする?」
「なんで知ってるの?」いじる手が止まり、互いの視線が合う。
「刑事さんに教えてもらったから。なんとなく印象に残ってて。なんて名前の教室なの?」
「“さくら華道教室”だけど、教えてくれたその刑事ってどんな人?」
皐月は探りを入れてきたことに嫌な予感がして、大樹ではなく羽山から聞いたと伝えると皐月は肩透かしを食らったようだった。
面会時間が終わりを迎えて、椅子から立ち上がると皐月がなにかを思い出したような素振りをみせる。
「そういえば、バーの中でソファー席に若い男女のペアが一組と、カウンター席に中年の女性が居たよね?」
皐月は座ったままなので上目遣いの彼女と視線を合わせる。
言われるまで完全に忘れていた。確かにお店の中に数人いた。その人達を見つけることが出来れば皐月のアリバイを証明できる。
「居た……確かに居たよね。どうして思い出せなかったんだろう。
でもどうやってその人達を見つけられるかな……とにかく探してみる」
そう言って面会室から退出した。
まだ皐月のことを知っている人が居るかもしれない。そう思うと脚は次第に前へと進む。
それに加えて“さくら華道教室”についても調べる必要がある。
なんとなく事件と関係がある気がしてならなかったからだ。
今夜、大樹が帰って来たら話すことが増えた。




