第31話 暗闇の刺客
早朝に羽山は佐々木哲也が住んでいたアパートにパトカーで駆けつけた。
車から出ると冷たい風が顔に強く当たって強制的に眠気が吹き飛ぶ。
アパートの二階に上がると、大樹がすでに状況確認をしていた。
「おう、おはよう。どういう状況だ」羽山が声をかけた。
「おはようございます。第一発見者は亡くなった佐々木の恋人で、自宅で彼氏が倒れていると通報がありました。
死因はフッ化水素中毒だそうです。
ちなみに、彼女も部屋に入った際にフッ化水素を吸ったことで具合が悪くなり、病院に搬送されました」
三島は殴り書きした手帳を見ながら話す。
「フッ化水素中毒?確かに部屋が臭いな」
羽山はくんくんと部屋の臭いを嗅ぐ。
「フッ素加工されたフライパンが焦げていました。恐らく空焚きしてフッ化水素が部屋に充満し、それを吸い込んでしまったんだと思います。ただ……」
「ただ、なんだ?」羽山は部屋をくまなく見ながら腰を下ろして続きを聞こうとする。
「恋人の話によると、ドアの鍵は確実に閉まっていたそうなんです」
大樹も腰を下ろして羽山と目が合う。目が合った羽山は困惑と疑念の色を見せていた。
「自殺ってことで一件落着といきたいが、そうじゃないだろうな。自殺に見せかけた他殺の可能性もある」
「俺も同じ意見です。でもどうやって密室を作り出したのか……」
「なぁ、クサくないか?」
「部屋がですか?」コンビニ袋など物が適度に散乱した部屋を見回して大樹はきょとんとしている。
「ちげぇよ、ここ最近の流れがだよ。黒田修一の事件に関係のある人ばかりが亡くなってる。これは思ったよりも根が深いぞ」
羽山は足腰に力を入れて鈍く立ち上がると、スマートフォンから着信音が流れて画面を確認したと思いきや部屋を出て行った。
大樹もスマートフォンを取り出して触ると、晴香から電話やメッセージが来ていて、まだ返信をしていないことに気がついた。
メッセージをよく見ると、佐々木から口止めをしていた人物は"男"だったと聞き出せたと書いてある。
昨日の夜に晴香は彼と会っていたことになる。
なにか不審な点や気になることは無かったのか確認しないといけない。
画面に表示されている時刻に目を向ける。
まず、確実に目を覚ましているだろう。
この時間帯は仕事に行く支度をしているに違いない。
少し気が引けるがそうも言ってられないので、晴香に電話を掛けると、すぐに繋がった。
「もしも〜し。どうしたの?」
「ごめん、朝早くに電話して。でも大事なことなんだ。今朝、バーテンダーの佐々木哲也さんが自宅で亡くなった。
昨日の夜に会ってたんだろう?なにか知らないか??」
晴香はしばらく応答がなく、わずかなノイズの音だけが耳に聞こえてくる。
「昨日の夜に会ったけど、特に変わった様子はなかったよ?会ったっていってもほんの少しだったし……一体なにがあったの??」
「まだ詳しいことは分からないし言えないけど、特に変わった様子はなかったんだよね?」
「うん。もしかして私が皐月のことを探りに行ったから殺されたのかな」
晴香の声が少し暗くなる。
「それは、晴香のせいじゃない。変なふうに考えなくていいから……
それともう一つ。これから一人で動くのは辞めてくれ。もし、なにかあったら守りきれない。
黒田修一の件に関与している人達が順番に襲われている。晴香だって例外じゃない。襲われる可能性もある……正直、これ以上この件には関わらない方が良い」
「それじゃあ皐月のことはどうするの?……ごめん、もう仕事に行かないと」
そう言ってすぐに晴香から通話を切られてしまった。
佐々木の部屋から出て一階に降りると羽山さんはパトカーの隣でなにか考え事をしているように見えた。
「別のところでも事件があったみたいだ。今からそっちも見に行って来る。後のことは任せても大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」それを聞いた羽山は大樹に微笑を送ってからパトカーに乗り、次の現場に向かった。
* * *
羽山の手が空いたのは夕方を過ぎた頃であった。
今日はまともな食事を一切してないので空腹を通り越してどっしりとした疲れを感じていた。
署内に戻って自分の席の椅子に深く座り込んだ。
束の間の休憩をしていると、どこからか振動音が聞こえる。空耳のせいにしていたが自分のスマートフォンを見ると知らない番号からの不在着信が表示されていた。
不審に思って、不在着信の番号に電話を掛けるとすぐに繋がって女性の声が聞こえている。
「あっ、もしもし。刑事の羽山さんでお間違いないでしょうか」
「そうですよ。私が羽山です。失礼ですがどちら様ですか?」
「私、“ビストロ フルール”の店主の妻です。
お話したいことがありますので、少しだけお時間をいただけませんか?」
「ええっ。それは構いませんが、今お話するのは難しいんですか?」
「出来れば会ってお話ししたいので……やっぱり結構です、忘れて下さい」
踵を返したように通話を切ろうとする。
「待って!待って下さい。明日の午後十五時にお店に伺いますので」
真犯人に繋がるとても大事なことを言おうとしているのではないかと慌てて引き留める。
「分かりました……それでは失礼します」
女性が通話を切った。
羽山は目を瞑ってあらゆる可能性を想像することにした。
晴香は仕事を終えて、自宅へと向かっていた。
今朝に大樹から佐々木さんが亡くなったと聞いてから、仕事中はそのことが忘れられず頭の片隅に常にあった。
言い表すことの出来ない感情が心の隅にあって引っかかっている。
通り抜ける為に公園に入っていく。相変わらず薄暗い街灯だが、いつものことなのでそこまで気にすることはなかった。
歩いていると背後から砂を強く踏んだ音がいきなり鳴ったので反射的に振り返ろうとしたが、振り返ることが出来ない。正確には振り返ることを阻止された。
片手で口を押さえられて、もう片方の手で私の腕を塞ごうとする。私は振り返る為に身体を曲げようとした時に、背後からなにかしらの力がかかったことで体制を崩して公園の砂場に倒れ込んだ。
横向きに倒れた視界の先にはブランコが見える。自分の身体の上に乗っかっているものを見ようとするが薄暗い街灯しかなく、加えて黒い服を着ているのか姿がよく見えない。
「これ以上余計なことをするな。なにも詮索せずに生きていけ」
それは男性の声だった。小声で耳元に囁いてすぐに男性は私から離れてその場から逃げた。




