第30話 進展
大樹が帰ってから、部屋の掃除を始めた。
皐月もそうだったが、自分以外の誰かが自宅に泊まると、床に落ちた埃や髪の毛が目立ってとても気になるしすぐに清掃したい気持ちに狩られてしまう。
部屋全体に掃除機をかけて、後は軽く全体を拭いて終わらせるつもりだったが、いざ始めると色んな所の汚れが目に入ってきて思わず火がついてしまい、拭き掃除や洗面台、浴室の掃除を念入りに掃除する。
掃除を終えて椅子に腰掛けて少し休憩をしながらなんとなくスマートフォンを手に取った。
画面に時刻が映し出され、十五時三十分であった。
冷蔵庫の中が空っぽなのは知っているので、まだ休憩したいところだがスーパーに買い物に行く為に椅子から立ち上がってコートを羽織った。
外に出て往来を歩いていると、向こう側から歩いてくる女性に見覚えがあり、顔をまじまじと見る……“ビストロ フルール”の奥様に違いない。
「あの、すみません。“ビストロ フルール”で働かれている奥様ですよね?以前、お店に伺った白峰と申します。覚えていらっしゃいますか?」
声を掛けると私のことを思い出したようで、女性の顔色がみるみる悪くなり、身体の向きを変えて歩いてきた道を急いで戻ろうと小走りに足を動かす。私は咄嗟に駆け寄って女性の肩を触って引き留めた。
「お願いします!少しだけお話しさせて下さい。以前、銀行で融資のお話をされていましたよね?」
「どうしてその事を知っているんですか!?」
女性は足を止めて、驚きながら振り返る。
「あの日に皐月と一緒に行ったお店の人達はみんな誰かにお金を貰って口止めされていました。
あなたもそうなんじゃないんですか?お金に困っていたからその人の誘いに乗ったんですか??」
「ちっ、違います!ちょっと触らないで下さい」
女性は肩にかかった私の手を振り解く。
「……話を持ちかけた人は一体誰なんですか?お願いします、些細なことでも良いんです。教えて下さい。警察の方もこの事を知っていますよ」
私は女性の目をしっかりと見つめて言った。
「すみませんけど、あなたに話すことはなにもありませんから……」
女性は軽いおじぎをして私の前から離れて行く。
次第に小さくなっていく背中にダメ元で念押しをした。
「もし、抱えきれなくなって言いたくなったら私にでも警察の方にでも言って下さい!今も無実の罪で捕まっている人がいるんです!!」
声は届いたはずだが、女性が止まることも振り返ることもはなかった。
* * *
“ビストロ フルール”の奥様は必ずなにかを隠している。お金を誰かから貰ったのだろうと訊いた時は明らかに動揺していた。
どうしてお金を渡してまで皐月のことを隠そうとしたのか。隠す事で得をする人間が必ずいる。
でも、その得をする人間に見当がつかない。
コートからスマートフォンを取り出して時刻を確認すると十六時だった。
もうすぐ“エミール”が開店する時間帯だ。
今いる場所から少し離れているので、タクシーを呼んでお店に向かう。
お店の前でタクシーから降ろしてもらい、薄暗い階段を降りた。十七時から開店ということは今頃は店に居て仕込みをしているはずだ。
ドアの取手に触れた瞬間に背後から男性の声がして、思わず驚いて身体をびくっと震える。
振り向くとバーテンダーの佐々木哲也がそこにいた。
「すみません、あなたと話したくて。まだ開店してないけど中で一杯だけ良いですか?」
「もうお店に来ないでって言いましたよね?まだ開店の準備の最中だし忙しいから無理だよ」
「じゃあ開店するまで、ここで待ってますね」
晴香は図太く微笑む。
「それはそれで迷惑なんだよなぁ……それじゃあ一杯飲んだら必ず帰って下さいよ。言っとくけど俺は話すことなんてないからね」
商売人が客には絶対に見せない心底鬱陶しそうな顔つきで晴香と話をしてドアを開けた。
佐々木の後に付いて晴香もお店に入ると、照明はカウンター側にしかついていないので、半分しか明かりがない暗いバーがそこにあった。
佐々木は肩にかけていたバッグをカウンター席の椅子に置いて、その隣に座るように手で合図をしてきたので、言われるがままにその椅子に座った。
「それで、なにを飲む?」佐々木はカウンター越しに訊いた。
「すぐ作れるもので構いません。準備中にお邪魔してるので」
本当はお酒を飲む心持ちではないが話を聞く為に仕方なく頼んだので、どんなお酒が来ても構わない。
佐々木は慣れた手つきでハイボールを作って私の前に差し出した。
ハイボールが入ったグラスを手に取ろうとすると、先に佐々木が話を切り出す。
「それで?話ってなんですか??」
「皐月のことについてです。あの日に皐月がいたことを隠した人達はみんな誰かからお金を貰っていた。きっと貴方もそうなんですよね?」
「だから、知らないって」苛立ちが混じった声で佐々木は答えた。
「なんで私だけ声が掛からなかったんだろうって。そうしたら私もお金を貰えたのに」ハイボールを手に取って口付ける。
「なんだ、そういうことか。捕まったのはたしか友達なんだろ?友情より金ってか。ひっでぇなぁ」
佐々木は卑しくにやつき、どこか面白おかしそうに笑う。
「"あの男"はあんたらが帰ってから店に来たんだよ。だからどう足掻いても会えなかったってわけだ」
佐々木は"あの男"と言った。お金をばら撒いて口封じをして回っていたのは男性だったのだ。
鎌をかけたらまんまと引っかかって情報をくれた佐々木に感謝すると同時に、心の中で嘲笑った。
「だから会えなかったんだ。それは残念です」
苦笑いを浮かべて適当に返事をしてまたハイボールを飲んだ。
すると、ドアが開いて瓶ビールが入ったケースを手に持った男性がバーの中に入ってきた。どうやら仕入れ業者のようだ。
佐々木は業者からケースを受け取っていくつか雑談をした後、業者は帰って行った。
グラスが空になったのでカウンターに戻ってきた佐々木にお会計をしたいと伝え、財布からクレジットカードを出して手に持つ。
「うち、現金のみなんですよ」
佐々木は作り笑顔で言ったので財布を見ると、現金を全く持ち合わせていなかった。現金を使うことは滅多に無いし、久しくお金を下ろすことを忘れていた。
「ごめんなさい。現金が無いので今からどこかで下ろして来ますね。財布以外はここに置いておきますから」
彼女はそう言ってバッグなどの手荷物は近くの椅子に置いて直ぐにバーを出た。
それから十五分ほど経ってから戻ってきて、お会計を済ませ、一言お礼を言ってからバーを後にする。
外の空気にあたりながらタクシーを待っていた。
真犯人は男であると大樹に伝えないといけない。大樹にメッセージを送って電話も掛けたが全然繋がらない。
でも、不在着信が見たら掛けてくるだろうと考えていると、タクシーが到着したので乗り込んで自宅へと帰った。
大樹から連絡があったのは翌朝で、仕事に行く準備をしている時だった。スマートフォンの着信音が鳴り響く。
「ごめん、朝早くに電話して。でも大事なことなんだ。
今朝、佐々木哲也さんが自宅で亡くなった。
昨日の夜に会ってたんだろう?なにか知らないか??」
胸の奥がざわつく感覚に襲われた。




