第3話 Barの魔法
ドアを開けた瞬間、店内の灯りが差し込んできた。
外の薄暗い階段とは打って変わって、店内は明るく、暖色の電球が天井に散りばめられている。
カウンターはL字型の形をしており、椅子は全部で八席が設けられていて、
そのカウンターの後ろにはテーブル席が二台あり、背の低いテーブルの両端にはソファが各二つずつ置かれている。
そして、お店の端には立ち飲み用の背の高いテーブルも一台設置されている。
二人はカウンター席に座ると、
壁面にびっしりと置かれたボトルが目に入る。
「いらっしゃいませ。何になさいますか?」
座ってすぐにバーテンダーに注文を訊かれたので、スクリュードライバーを二杯注文した。
待っている間に辺りを見回すと、ソファー席に若い男女のペアが一組。カウンター席に中年の女性がいて、
そこから二席隣に年老いた男性が座っている。
店内を物色している内に、スクリュードライバーがテーブルの上に現れたので乾杯をした。
「じゃあ、乾杯!」
酒を口に含むと、柑橘系の甘酸っぱさと清涼感が広がり、口の中がさっぱりとする。
グラスをカウンターに置くと、グラスの中の氷が揺れる。目を落としてそれを眺めていると皐月が話を切り出した。
「また、修一の話なんだけどね」
「うん。どうしたの?」
「本当によく分かんなくなってきてさ。
仕事をして帰って来てもほとんど話さないし。
同じ部屋にいるのに孤独を感じるの。
可笑しいよね、夫婦なのに」
「確かにそれは引っかかるよね。その……
夜のほうはどうなの?からっきし??」
「うん。ここずっとなにもなし。もうね、渇きすぎて砂漠になってる」
「いやいや、この流れでボケられてもツッコめないよ」
「ごめんごめん、離婚するとかそこまでの事はまだ考えてないんだけど、修一は考えてるのかなって。訊いたら案外、離婚しよう。ってあっさり言われるかも」
「以前に浮気を疑ってGPSを鞄に入れたって言ってたけどあれは結局、白だったんだよね?」
「そうなんだけど。タワマンに住んでから度々、仕事でちょっと出てくるって言うようになって。
なんか怪しいなって思ったからGPSを仕込んで様子見てたんだけど、
修一がタワマンから離れた証拠が掴めなくてある日、跡を付けてみたら一階のコワーキングスペースに出入りしてたの」
「コワーキングスペースって机と椅子だけの作業部屋みたいな感じだよね」
「うん。修一にコワーキングスペースから出てくるところ見たけどよく使ってるの?って訊いたら、集中して仕事したい時は使ってるって。
私それを聞いてショックだったな」
「浮気の疑いは無くなったのに?」
「それは良かったんだけど、家にいても仕事に集中出来ない環境なんだなって。私が家にいることで邪魔してるってことでしょ」
「う〜ん……それは人によるんじゃない?
私も家だと作業が捗らないからカフェに行ったりするし。家にいるとなんか気持ちが緩んじゃうんだよね」
「そういう見方もあるのか、フォローしてくれてありがとう。やっぱり優しいね、晴香は」
「そう?全然、優しくないよ」
話を真剣に訊いていたので、手元にあるお酒を飲み忘れていることに気がついて晴香はグラスを持ち上げる。
「ごめんね?なんか私ばっかり話して」
そう言いながら、晴香につられて皐月もグラスを持ち上げてお酒を飲む。
お店に若い男性が一名入ってきた。その男性はアタッシュケースを手に持っていて、物々しい雰囲気を漂わせていた。
「それじゃあ、今日もよろしくお願いします」
若い男性はバーテンダーにそう言って、店の端にある背の高いテーブルの方に歩いていく。
アタッシュケースを隣のソファに置いてケースを開き、なにやら小物を取り出している。
若い男性を目で追いかけていた皐月は近くにいたバーテンダーに彼のことを問いかけた。
「彼、なにか始めるんですか?」
「今から手品師が無料でショーをしてくれるんだよ」
バーテンダーと皐月の会話を黙って聞いていると、事の経緯を丁寧に話してくれた。
「彼は見習いの手品師らしくてね、お金は要らないから場所だけ貸してくれませんか?ってお願いされてさ。
断る理由も無いし、いいよ。って言ったらこうやって来るようになったんだよ。
こっちとしても良いイベントになるし、お客様も喜んでくれるから、有難いよ。
あっ、今から始まるみたいなんで良かったら見てやって下さい」
二人とも興味が湧いてきたので身体をぐるっと回して手品師に視線を向ける。
「これから、マジックを披露させていただきます。不思議と思われた方、ご満足いただけた方は是非、拍手をいただけると幸いでございます」
挨拶をする手品師と皐月達は目が合ってしまう。
「どうぞ、宜しければもっと近くに来ていただき、ご覧下さい」
もっと近くでマジックを見てくれと言わんばかりに手招きをされて、無視するわけにもいかず、
皐月と晴香は席を立って手品師がいる席に歩み寄る。
「なんか、こういうの始めてだからドキドキするね!」無邪気に皐月が言う。
さっきの思い詰めた様子と真逆に近い感情を表に出す皐月を見て、思っていたよりも深刻ではなさそうだと安堵した。
手品師は慣れた手つきでマジックを始める。
まず、コースターの上にグラスを逆さまで置き、手に持ったコインをグラスの底に当てる。
「見ての通り、コインはグラスを通り抜けることはありません。そこにいるお姉様、本当かどうか確かめてみて下さい」
晴香が指名されたので言われるがままに、コインを借りてグラスに擦り付けるが、当然通り抜けたりはしない。
気は済んだのでコインを手品師に返す。
「何処にでもあるグラスとコインですが、私の手で触れるとこうなります」
手品師が持つコインがグラスの底に触れると、
グラスを貫通してコインはグラスの中に入り、
痙攣しながらコースターに横たわる。
あまりにも鮮やかにやってのけたので、店内にいた客は釘づけになり拍手を送った。
「えっ、凄い……じっと見てたのに全然トリックがわかんない。晴香は分かった?」
「コインを入れるように見せかけて、手で隠したのは分かったけど、なんでグラスの中からコインが出てきたのかさっぱり」
「凄いよね。なんかマジックにハマりそう!」
皐月の上機嫌な反応を見て、見習い手品師は手応えを感じていた。
「ご満足いただけたようで光栄です。では、次のショーをお見せいたします」
カウンターの椅子に置かれたショルダーバッグの中に入っているスマートフォンが光り、振動している。
だが、マジックショーに夢中の皐月は気づかないままであった。




