第2話 二軒目
「それが……よく分かんないのよね」
「んっ?よく分からないってどういうこと?」
含みを持たせた返しに晴香は疑問が膨らむ。
皐月は止めた手をまた動かし、肉を切りながら話を続けた。
「ここ最近は何に対しても上の空で、仕事から帰って来ても話をする時間すら作らずにお寝んね」
「黒田さん、色んな案件を抱えてるみたいだし、疲れて帰ってくるのも仕方ないんじゃない?
いつも社内を動き回ってるイメージがあるなぁ」
皐月は職場の上司だった黒田修一と社内結婚をした。結婚後に修一は昇進して晴香がいる部署を離れたが修一の働きぶりは時折小耳に挟んでいた。
「パートナーと会話することが面倒になるぐらい仕事して私生活に影響が出るなら仕事を抑えるべきじゃない?」
肉料理を平らげて、心底不満そうに皐月が問いかける。
それは確かにそうだね。と晴香が返答しているとデザートの白桃のソルベがテーブルに着く。
「あっ、そういえばここのお会計は予約した時にもう払った?」
ソルベを食べながら皐月は思い出したようにお金の精算について問いかけると、晴香はすぐに答えた。
「ううん。電話で予約しただけだからこの後はお会計しないといけない。確か、現金払いだけだったような……」
「たしか一万円のコースだったよね。はい」
皐月は財布から一万円札を取り出して、晴香に手渡しする。晴香はそれを受け取って財布にしまった。
「うん、ありがとう」
二人は全てのコース料理を堪能した後は、お手洗いに行き、個室で少し休憩していた。
「じゃあ、二軒目はバーでいい?タクシー予約したから、タクシーがここに着いてからお店出よっか」晴香がこれからの流れを提案した。
「いいよ!いつものバーに行くの?」
「ううん、まだ行ったことないとこ。前から気になってたんだよねそのお店」
晴香が最近見つけたバーに行こうと誘う。
ご飯を食べた後はそのお店で飲むか、
二軒目に行くかはその時の雰囲気によるが、ご飯を食べた後はお酒を嗜むことは二人にとって、
決められた習慣になっていた。
晴香がバッグの中からスマートフォンを取り出して画面を確認する。
「タクシーが店の前に到着したみたい。そろそろ行こうか」
「よし、そのお店がリピートしたいお店になるのか、お手並み拝見と行きましょうか」
皐月が退店する準備を始めて、晴香がバッグから財布を取り出す。
身支度が済んだので個室の扉を開ける。
会計を済ませる為にレジに向かい、晴香が代金を支払っていると、皐月が先に店のドアを開いて外に出る。それと入れ違いになるように、厨房からシェフが顔を出した。
「今日はお越しいただきありがとうございました。料理はお口に合いましたでしょうか?」
「ええ、とっても美味しかったです。必ずまた来ます」
本当に美味しかったし、また来たいと思ったが、いざ口に出すと如何にも決まり文句のような台詞を吐いてしまった。
本音と建前は違うが言葉として表に出すと案外同じで区別がつかないものだと、口にしてから気がついた。
「ありがとうございます!是非、お待ちしております。夫婦でコツコツとやっているものですから。席数が少ないとはいえ、手数が足りないので今回のようにご予約いただけると有難いです。
とは言っても今日のこの時間はお客様のみで貸切のようなものですが……」
自信を持って提供した料理が望んだ評価をされてシェフを笑顔を見せた。
確かに、私達以外のお客さんはお店にいなかった。
このお店に来たのは初めてなのでいつもこうなのか、今回はたまたまお客さんがいなかったのか、それは分からないが安易に掘り下げると地雷を踏みかねない話題なので敢えて流した。
「分かりました。次回もご予約させていただきますね。今日はご馳走様でした」
会計を済ませるとレジ打ちをしていた奥様が、店のドアを開いてくれてエスコートをしてくれた。
「今日はどうも、ありがとうございました!」
ドアを手で支えたままの奥様に見送られて晴香は店を出て、店の近くで待っていたタクシーに乗り込んでタクシーのドアが閉まって動き出す。
「もう二十時過ぎだね。お店でゆっくりし過ぎたかな。さっきお店の人となに話してたの?」
皐月が気になって訊くが晴香は大した事ではないとあっさり流して話題を変えた。
「今日は遅刻したから、さっき乗った分も含めてタクシー代は私が持つね」
「ほんとに?ゴチになります!」
「あれ?やっぱり、さっきのお客さん??」
二人の話し声を聞いて、タクシーの運転手がルームミラーを見ながら話しかけてくる。
だが、二人はタクシーの運転手を一々見てはいないので、確証は無くどう返答するか困っていた。
「さっきもこの辺りで降ろしてお店に入って行かれましたよね?話し声が同じなので気づきました」
「ああっ……多分、私達で合ってると思います」
「やっぱりそうですよね!間違ってなくて良かった。しっかし、偶然ですね〜私もこの仕事をして結構長いんですが、同じ人を二回連続で乗せるのは初めてですよ」
「へぇ〜そうなんですね。この辺りはよく運転されるんですか?」
どういう会話の球を投げようか考えていると、
皐月が勝手に球を投げ始めた。
「この辺りはよく走りますよ。どうしてですか?」
「この辺りの飲食店に詳しいかなと思って。今から行く“エミール”ってバーはご存知ですか?」
「いや、これが申し訳ない。私は下戸なんでお酒のお店はさっぱりなんですよ。定食屋なら何軒かおすすめがあるんですけどねぇ」
運転手の話を聞いているとタクシーの窓から、
バーの“エミール”が入っている雑居ビルが見えてきた。大きな看板などは無いので運転手もどこに停めようか決めかねている。
「あっ、この辺りに停めてもらっていいですよ。二度も送ってもらってありがとうございました」
運転手は晴香に言われるがままにタクシーを歩道側に寄せて、ハザードランプを焚いた後、停車した。料金は約束通り晴香が支払った。
「ありがとうございました!またご贔屓に」
運転手は御礼を言ってタクシーの自動ドアを開ける。二人はタクシーを降りて雑居ビルに向かって歩き出す。
「へぇ〜こんなところにあるんだ」と皐月がぼそっと呟く。
“エミール”は雑居ビルの地下一階にあり、看板は見落としてしまうほど小さく、ネットの情報が無ければ絶対に見つけられないお店だ。
ビルの薄暗い階段を降りて、お店のドアを開けた。




