第1話 ただの女子会
〝ある種の体験を経た後では、人は名前を変えるべきである。
その時の人はもう同一人物ではないからだ。
全てが異なってみえる。〟
黒田皐月は昨晩に読んだ小説の一節を思い出しながら化粧をしていた。
「うん……これでよし!」
鏡の前で薔薇色のリップグロスを唇にのせて最後の仕上げを確認する。
ワインレッドのTブラウスに、黒色に近い濃い茶色で透かしの入ったニットレースのスカートを身に付けて、玄関に向かって歩いていく。
玄関で黒色のベレー帽とショルダーバッグを手に持ち、黒色のハイヒールを履いた。
「それじゃあ、行ってくるから戸締まりお願いね」
「はいよ〜」
黒田皐月の夫である黒田修一がリビングから気怠げに応答する。
ドアを開けると通路越しに大都市を見下ろした景色が広がる。
日は落ちて、大空は暁の色をしている。
黒田夫妻は都内のタワーマンションに住んでいて、しかも四十階と高層階である。
皐月はエレベーターを使って一階へと降りて行く。
今日は親友と遊ぶ予定があり、マンションの入り口で待ち合わせをしているが約束の時間より少し遅れていた。
コーデがいまいち決まらず何度もやり直しをしていると遅刻してしまったがこればかりは仕方がない。
一階からエントランスを出たが、親友の白峰晴香の姿がない。
それから約十五分ほどその場で待つと背後から馴染みのある声が聞こえてきた。
「皐月、お待たせ〜!ごめんまた遅刻しちゃった。タクシーに乗ってきたんだけどやっぱり間に合わなかった」
「ううん、大丈夫。実は私も遅刻して今、来たところだし」
「本当?なら良かった。それにしても、いつ見ても高いマンションだよね」
晴香はタワーマンションを精一杯首を上げて見上げると、夕陽に照らされて橙色に輝くタワーマンションが目に映る。
「そう?毎日見てるからなんとも思わないかな。
それじゃあ……行こっか!」
「そうだね。すぐそこでタクシーに待ってもらってるからこっち」
二人は待たせていたタクシーに乗り込んで運転手に場所を伝えると走り出し、車の窓から夕焼けがとても綺麗に見える。
車内で晴香が皐月に話しかけた。
「ご主人の晩ごはんはなにか作り置きしたの?」
「ううん、テキトーに食べるって言ってたから作ってない。子どもじゃないんだからそこまで面倒見れないよ。めんどくさい」
「そう言う割にはなんだかんだで順風満帆に見えるけど」
「いやいや、仮面夫婦です」
雑談をしていると、タクシーは目的地に到着して、晴香が代金を支払い、二人は車を降りた。
すると、皐月が晴香の服装について触れる。
「今日もラフな格好だけど、本当お洒落に着こなすよね」
晴香のトップスは濃い水色のニットに白色のスキニーデニムを履いて、黒色のショルダーバッグを片手に持っている。
白色のシンプルなスニーカーを履いており全体的にカジュアルなコーディネートであったが、
スレンダーな体型も相まって最小限のアイテムを最大限に生かしていた。
身長が高いのでスキニーデニムがより映えており、皐月がハイヒールを履いて晴香と同じ背丈になるぐらいの身長差があった。
「いやいや、いつも似たり寄ったりのコーディネートだよ。皐月の方がお洒落じゃん!
あっ、ここが予約してたフレンチのお店。
個室を予約してあるから早く入ろ!」
ビストロの飲食店で店名は“ビストロ フルール”と看板に載っていて、古民家を改装したような外観をしている。
小さいお店ながらも、個室の席が用意されていることに惹かれて予約した。扉を開けると、
「いらっしゃいませ!」と女性の店員が迎え入れてくれた。
二人は店に入り、名前を伝えると予約していた個室の部屋に案内される。
「いっつも個室予約してくれてありがとう」
「皐月、騒がしいお店嫌いだもんね」
席に座ってメニューを開き、ワインとディナーコースを注文し、白ワインがすぐに席に運ばれる。
「それじゃあ、乾杯〜!」
二人はワイングラスの縁を寄せ合い、軽いガラスの音が鳴る。白ワインを一口飲み、唇を濡らす。
アミューズのサラダが届き、食べながら皐月が話しかける。
「晴香は最近、仕事はどうなの?」
「特に変わらないけど……あっ、徳田さんが関西に転勤だって」
「嘘!最高じゃん。あのパワハラ女のせいで、何人辞めたか」
皐月と晴香は以前、同じ職場で働いており同じ部署に配属されたことがきっかけで仲良くなっていった。
「なんで徳田が転勤になったの?」
「詳しくは知らないけど、あの部署で長く居るからじゃない?独身だし身軽だと思われたのかも」
「なるほどねぇ……長く居ると、<特定の企業や利害関係者との癒着を防ぐ為>っていう意味不明な理由で飛ばされるやつね。
結局、あいつまだ結婚してないんだ。結婚相談所に登録したとか言ってたけど」
徳田の悪口を言っている最中に"結婚"の言葉が出てきた事であることを思い出し、皐月が話題を切り替える。
「そういえば、規模の大きい婚活パーティーに行くって言ってなかったっけ?あれどうなったの?」
空になったアミューズの皿は回収されてすぐにスープが届く。
「それがね……からっきし駄目だった」
晴香が苦笑する。
「一人も良さそうな人がいなかったってこと?」
「そうなんだよね。かなり年上か、かなり年下で丁度良い年齢の人が全然いなかったなぁ」
「またまた、絶対選り好みしてるだけでしょ」
スープは少量だったのであっという間に飲み干すと、魚料理がすかさず提供される。
「でも、丁度良い年齢の三十代だと良い男はとっくに売れてるから、いても残る理由がある売れ残りしかいないのよね。
あっ、晴香のことを言ってる訳じゃないからね」
「大丈夫。わかってる」
皐月と晴香は同い年であり今年で三十歳になる。皐月は三年前に結婚して寿退社をしていた。
「言い訳っぽく聞こえるかも知れないけど、
色んな人に声はかけられたからね!?
私が相手しなかったってだけで」
「いつものパターンね。晴香って全然エンジンかからないよね。どうなればエンジンがかかるの?」
「それが自分でも分からないから売れ残ってるんだと思います……」
鬱憤を晴らすかのように、晴香の食べる速度が上がっていく。
「美人で高身長、高年収となると、男性が尻込みしちゃう気持ちはわかるわ。ヒモを飼う感じで年下を狙うのはどう??」
「全然、高年収じゃないよ。自立しててしっかりしてる年下ならアリだけどなぁ、ヒモは要らないです」
晴香が勤めている企業は大企業であり、コンサルタント業界ではその名を知らない人はいない程の大手企業である。
魚料理を食べ終わって、メインの肉料理である牛肉のステーキがテーブルに置かれる。
皐月はすぐに肉をナイフで切り分けて口に頬張る。
「このステーキめっちゃ柔らかくて美味しい!」
皐月の顔が美味の感覚によって緩くなっていく。
晴香もステーキの味に魅了されて白ワインがどんどん進む。
「私のことばっかり話してるけど、皐月は最近どうなの?ご主人とは上手くいってるの??」
晴香が問いかけると流暢に進んでいた皐月のフォークとナイフがぴたりと止まった。




