第28話 立ち聞き
ベッドの上で目を覚ますと、大樹は隣にいなかった。
漠然とした不安に駆られて眠気はすぐに飛び、寝室から出ると大樹はダイニングにいて、外に出る支度をしていた。
「あっ、おはよう!ってもうそんな時間じゃないか」
大樹はあどけない笑顔でおはようと言ってくれる。
誰かにおはようと言われるのは本当に久しい。
「おはよう。えっ?今何時なの??」
部屋に時計は無い。スマートフォンで時刻を確認しようとしたが、ベッドに置いたままだ。
「今は十三時過ぎたところだよ。死んだように眠ってたから起こすのも悪いかなって」
大樹は早めに起きていて、食器洗い等ある程度の清掃はしてくれていたので部屋が小綺麗になっていた。
さっきの挨拶もそうだが、男性にここまで優しくされたのは生まれて初めてのような気がする。
それは私が男性経験が乏しいからなのか、男運がないからなのかは分からない。
「綺麗にしてくれてありがとう。でも今日は家に居るから後はやっとくね」
「うん。そろそろ出かけようと思ってたから後はお願いします」大樹は微笑みながら言った。
「今から行くとこは“エミール”のバーテンダーの自宅?」コップにお水を注ぎながら大樹に訊く。
「そうだよ。自宅に入ればなにか手掛かりがあるかもしれない」
大樹は真面目な面持ちで玄関の方に向かって行って靴を履いた。
鍵は締めるからそのままでいいよ。そう伝えると大樹は部屋出てから振り返り笑って手を振った。
私も手を振ると次第にドアが視界を狭めて、そして彼が見えなくなって少し経ってからドアの鍵を閉めた。
晴香のマンションから出て徒歩で佐々木哲也の自宅へと向かうつもりだったが、歩いている途中でたまたま通りにあった牛丼チェーン店の前で足を止めてしまう。
猛烈にお腹が空いて堪らない。お店から漏れ出す甘いつゆの匂いには勝てなかった。
昨日の晩ごはんは鍋焼きうどんとほんの少しの副菜だけでお腹を満たすには到底足りないが、作って貰っているので図々しいことは言えない、言えるはずがない。
お店の中に入ってカウンター席に座って牛丼の大盛りを迷わずに注文してから、二十秒くらいで牛丼がやってきた。相変わらずの速さに驚かされる。
ずっしりとしたどんぶりを手に持って、口の中に掻き込む。食事マナーとして良くないことは分かっているが、口の中をいっぱいにするのがなんとも言えない幸福感がある。
その後も夢中で食べ続け、完食してからコップ一杯の冷たい水を一気に飲み干して一つの食事が整った。
レジで会計を済ませて、お店を出る。
"早い・安い・旨い"……最高じゃないか。
推測でしかないが、恐らく晴香は牛丼チェーン店は敬遠するに違いない。
これは一人でしか味わえない小さな楽しみになりそうだ。
そこから往来を道なりに歩いて行くと大通りに出て、ある程度歩いてから左に曲がると住宅街にたどり着いた。
スマートフォンの地図を便りに入り組んだ道を歩いていくと目当てのアパートが姿を現した。
そこそこ年季の入った二階建てのアパートだが、外観は決して汚れておらず手入れされている。
佐々木哲也の部屋はたしか、二階だったはずだ。急な角度の階段を使って二階に上る。
佐々木哲也がいるはずの部屋のインターホンを押したが反応が無かった。念の為にドアを強めにノックすると、勢いよくドアが開いたので思わず身体が後ろに退いた。
「んっ?……誰すか??」
厚化粧をした金髪の女性が出てきて睨みを利かせている。
誰なのかと訊かれたので答えようとするが、答えさせる暇もなく女性は部屋の中にいる誰かに声をかけた。
「ねぇ!誰か来てるんだけど……てっちゃん!!聞いてる?」
「なんだよ。聞こえてるって」髪に寝癖をつけてスウェット姿の佐々木が部屋の中から現れる。
「三島といいます。少しだけお時間をいただけないでしょうか?」
羽織っていたコートから警察手帳を取り出して佐々木に見せると顔から眠気が消え失せた。
「あんたらもしつこいな。もう話すことはないって。わざわざ家にまで来んなよ」
佐々木は金髪の女性が握っていたドアノブに手を重ねて、強引に引っ張ってドアを閉めようとしたが、女性がそれを止めた。
「ちょっと待って。警察って……あんた、なにかしたの?」
「なにもしてないよ。話すと長くなるから」
「いやいや、ちゃんと話しなさいよ」
分かった分かったと面倒な返しをしながら佐々木は大樹なんて歯牙にも掛けずにドアを閉める。
この状況に取り残された大樹はしばしその場に立ち尽くした。
それからアパートの階段を降りると、ぱらぱらと雨が振ってきた。見上げると雨雲に切れ目は無く、当分は止みそうにない。
傘は持っていないし、バス停までは少し離れているのでアパートの屋根で雨宿りすることにした。
その場で少し待っていると、がさがさと一階の部屋の物音が耳に入ってくる。
壁が薄いので耳を澄ませば生活音が聞こえてきた。
佐々木と一緒にいた金髪の女性は、どういう経緯で警察が来たのか説明して欲しいと言っていた。
不本意ではあるが、壁に耳をつければ話し声が聞こえるのではないか?と考えて、二階に上がって佐々木の部屋のドアに耳をぴたりと押さえつけた。
「それっておかしくない?」女性の声が聞こえて来る。さっきの金髪の女性だ。
「だから、俺もよく分かんないけど。
“その女”が店に来たことを黙ってくれるなら金をやるって言われて、実際に金を貰ったんだよ。
お前だってほら、この前高い焼肉喰っただろ?」
「あれは、まさかそんなお金だったって知らないじゃん。最近は妙に羽振りが良いなって思ってたらそういう事だったってわけ。
てかそれ、なんかの犯罪に巻き込まれてるって事じゃないの?ヤバくない??」
二人の会話はドア越しにダダ漏れしていて、やはり佐々木にも口止めをした誰かがいることは分かった。
佐々木に盗み聞きしていることがバレる前に素早くアパートから離れることにしたが、雨は強く増すばかりでまだ止みそうにない。
仕方なく、タクシーを呼んで自宅に帰ることにした。
早く帰って、びしょ濡れの服を着替えたかったから。




