第26話 始まってしまう
晴香さんに一連の出来事を話してもらうと、こういう順序を踏んで物事が進んだらしい。
逃げ込んだ先の階段で手品師とアタッシュケースの取りあいになり、手品師が力強く引っ張ってケースを取ったがその時に体制を崩し背後の壁から身を乗り出してしまいそのまま落下してしまったという。
さすがに通報しないわけにはいかないので、署に連絡して事情を説明しに来てもらうことにした。
事件の第一発見者でもあるので晴香さんにも同行してもらい事情聴取をするのは当たり前だ。
事情聴取とは言うものの、そうなる経緯や状況は一緒にいた俺が一番よく知っているので形だけの聴取になった。
俺はこの辺りで夕食を食べてうろうろしていた所、事件に出くわしたと関係者には伝えたので黒田修一の件を捜査していたとは思われていない。
本件は事故死という結論で幕を下ろすことになりそうだが、遺体が所持していた遺留品を確認すると、手品師の名前が“林田昴”ということが判明した。
林田のことはもう少し調べてみる必要がある。
聴取が終わるともう真夜になっていたので晴香さんを自宅まで送り届けることにしたが、
余程ショックだったのか彼女は車内では一言も口にせず窓から外を眺めているだけだった。
送り届けた後は署に戻って事件の処理をしているとすっかりと朝日が昇って、出勤した羽山さんが目の前に現れる。
「おはよう。しかしお前も災難だったな」
軽快なトーンで話しかけているが、目の色は軽快とはかけ離れていた。
親指を立てて手を軽く振り合図を送っている。
二人きりで話そうということか。
席を外して羽山さんと二人きりになれる場所に移した。
「昨日の事件。本当に事故死なのか?」
神妙な面持ちで羽山が質問する。
「ええ。俺が林田を逃してしまって、それで晴……白峰さんを巻き込んでしまいました。すみません。俺がもっと早く捕まえていれば」
「それは別にお前のせいじゃないだろ。逃げるってことはなにか理由があったんだろう」
「事件の直後に白峰さんが言ってたんですが、林田から意味深なことを訊いたそうです」
「なんだそれは」羽山が髭を指先でなぞりながら言う。
「"あの人に言うなと口止めされてる"林田はそう言っていたと。やっぱり真犯人がいるのは間違い無いですよ」
「まぁ、それが本当なら裏で糸を引いてる奴がいるってことだな。そうなると他に口裏を合わせてる奴らも怪しいな」
「はい。バーテンダーや飲食店の夫婦も、もう一度当たってみるつもりです」
「分かった。林田昴については俺なりに調べてみるよ」
「本当ですか?滅茶苦茶助かります!」
「言っただろ?俺も手伝うって。それにお前全然寝てないだろ今日は非番だ。家に帰って少しは休め。なにかあったら連絡するから」
「ありがとうございます。ちょっと寝てきます」
三島は羽山にお辞儀をしてからその場を去った。
三島さんにマンションまで送ってもらってからはついさっき起こった出来事が睡眠の邪魔をしてあまり眠れずにいた。
次第に小鳥のさえずりが聞こえてきて時刻は早朝を迎えたのだと知り、布団から出て仕事に行く準備を始める。
支度を終えたが思っていたより時間がかかってしまって今回も遅刻しそうなので配車アプリでタクシーを呼んで、マンションの前でタクシーが来るのを待つ。
するとスマートフォンが鳴って、慌てて画面を見ると会社からの電話だ。
恐る恐る応答すると、上司の声が受話器越しに聞こえる。
「警察から昨夜の事件についての連絡があった。事件に巻き込まれて不運だったね。昨日の今日だ、無理して出社せずに今日はゆっくり休みなさい」
そういう内容の通話だったので、私は素直に上司の言葉に甘えて休むことにした。
呼んでいたタクシーはキャンセルして部屋に戻りソファーに腰掛けてだらんとくつろぐ。
イレギュラーな理由で会社に行かなくても良いという珍しい状況に若干舞い上がったが、メイクも着替えた手間も無駄になったことを考慮するとそうでもないと思えてくる。
複雑な心境になったが結果的に会社に行って仕事をしなくても良いという事実はいくらか心の緊張をほぐしてくれたし、そのおかげでようやく気持ち良い睡魔が顔を出してゆっくりと目を閉じた。
次に目を覚ました時にはとっくにお昼を過ぎて夕日の明かりがベランダ越しに差し込む。
化粧も落とさず部屋着に着替えることもなく寝てしまった。
せっかく外用の服装に着替えたのだから少しだけ外に出ようと思い、ミネラルウォーターで喉を潤してから部屋を出る。
今日の夕食はコンビニでテキトーに買って済ませるかと、エレベーターの中で漠然と考えていると一階に着いてドアが開くとマンションの住人と鉢合わせになり軽く会釈をする。
向こうも同じ仕草をしてすれ違った時に手に持っていた数枚のチラシが目に映った。
そういえばここ数日、郵便受けを見ていないことを思い出して、コンビニに行く前に郵便受けを何気なく開けてみるとチラシと封筒が入っていた。
宛名も差出人も書かれていない封筒を不思議に思いその場で中身を取り出して一枚の用紙を開く。
【いつでもお前を見ている】用紙には強調するようにたった一言だけが書かれていた。
意味が分からない文と気持ちの悪いいたずらに動揺して心が掻き乱される。
コンビニに行く気は失せて、部屋に戻り封筒を細かく破いてからゴミ箱に捨てた。
誰かに見張られているのか?ストーカーがいるのか?根拠のない良い加減な推測が頭の中を駆け巡っているとインターホンの音が部屋に鳴り響く。
モニターを見に行くと三島さんが映っていた。なんで三島さんが私の家の住所を知っているのか疑問が浮かんでいると、もう一度呼び出し音が鳴ったのでさすがに応答せざるを得ない。
三島さんはモニターに笑顔を向けて
「心配だったので来ちゃいました。食べる気分じゃないでしょうけど、テキトーにコンビニで買ってきました。よかったら受け取ってくれませんか?」
三島さんは気遣って来てくれたみたいだが、男性を家に上げるのは気が引ける。
でも無下にして追い返すのもまた気が引けて、指は自ずとオートロックを解除して彼を中に通してしまった。
結局は見せかけの言い訳を並べているだけで、本当はさっきの気持ち悪い封筒を見てから途端に心細くなって誰かに側にいて欲しくなったから。
すぐに玄関のインターホンが鳴ったのでドアを開けたら彼のあどけない笑みがそこにあった。
「すみません!急に押しかけちゃって。これ、良かったら食べてください!!じゃあ俺はこれで」
食べ物がそこそこ詰められたレジ袋を押し付けてそそくさと帰ろうとするので慌てて彼を引き留める。
「すみません。聞いてもらいたいことがあるので……少しだけ中でお話しませんか?」
彼は言われた通りに部屋の中に入ってくれて、買って来てくれたレジ袋はテーブルの上に置いて封筒のことを一通り伝えてはみたが、彼はそわそわとして上の空で聞いているようだった。
そうしている内に、部屋の中の空気が段々と情欲の色を帯びて重たくなっていく。
この部屋にいる男女がそうさせている。
程なくして、マンションの一室の明かりがぱたりと消えた。




