第25話 チェイスの果て
お昼からヒールを履いてそこそこ歩いたので、少し足が疲れて“エミール”へはタクシーを呼んで向かうことにした。
“エミール”の手前でタクシーから降りて、辺りを見回しながらうろうろして三島さんの姿を探していると車のクラクションが短く鳴り響く。
音に反応して、クラクションの音がした方に身体を向けると路上駐車している車の運転席には三島さんがいた。
三島さんが乗っている車に近づくと運転席の窓が下がる。
「早く助手席に乗って下さい」
短く鋭い口調で言われて、慌てながら助手席側のドアを開けて中に乗り込んだ。
「まさか本当に来るとは思いませんでしたよ」
三島さんは少し笑いながら言ったが、その笑いの中身は、明日には普通に仕事があるのにも関わらず、役に立つかも分からないのに首を突っ込んでいると言われているようで、
私にはどこか嘲笑したように感じて、少々苛立ったので返事をしなかった。
ほんの少しの沈黙が車内に流れて、仕切り直したように三島が話題を変えて話し始める。
「店主のバーテンダーはお店をちょこちょこ出入りしてるんですが、手品師は今のところ店には来てないですね。バーテンダーにはいつでも話が聞けるんで出来たら手品師の方から話をききたいんですが……」
「じゃあ、もう少し待つ感じですね。いつから張り込んでるんですか?」
「白峰さんと別れてからすぐに張り込んでます」
「えっ?じゃあずっとこの状態ってことですか??もしかして夜ご飯食べてないんじゃ……」
「この状況でご飯を食べる気分にはならないですよ。ご飯よりもっと大事なことがあるので」
大樹の仕事への実直さを目の当たりにした晴香は自分が気遣いで何気なく発した言葉を少しだけ恥じたし、能天気に思われたかもしれない。
その後は車内に沈黙が続いて、二人揃ってフロントミラーを穴が開く勢いで見つめる時間が長く続く。
やがて沈黙の時間は破れ、右手にマジックボックスを持った若い男性が“エミール”に向かって歩いてくるのがフロントミラー越しに見える。
その姿はなんとなく探している手品師を思わせる背丈や体格だった。
「あの人……もしかしたら探している手品師かもしれないです」
「本当ですか?ならダメ元で一度声をかけてみましょうか」
そう言いながら晴香の返事を聞くことなく、車のドアを勢いよく開けて大樹は車から降りる。
晴香も大樹の咄嗟の行動に慌てて、車を降りて後を追う。
手品師らしき男性は真っ直ぐ“エミール”の方を向いて歩いているが、小走りで駆け寄ってきた大樹に呼び止められて足を止める。
「すみません、警察です。少しだけお時間をいただけませんか?」
大樹は真っ暗で見えるはずがないのに警察手帳を胸ポケットから取って見せる。
「もう終わったのにまだ探ってんのかよ」
大樹のすぐ後ろにやってきた女性が私だと認識すると、手品師は身体を半周して歩いてきた道を戻るように走り出す。
いきなり逃げる素振りを見せた男性に突発的に空いていた左手で捕まえようとしたが掴むことは出来ず少し体制を崩してしまった。
すぐに体制を整えて逃げた男性を追いかける。
二人の男性が急に追いかけっこを始めた。
頭で状況を理解はしているが、身体が動き出すまで思っていたよりも時間的なズレがあったが私も二人を追いかける。
だが、その距離はどんどん開いていく。
でもここで諦めるわけにはいかない。
やっと手掛かりが見つかったんだ。
あの手品師は必ずなにかを知っている。
三島さんと手品師の距離は徐々に縮まっていき、あと少しで追いつかれると察した手品師は右手に持っていたアタッシュケースをゴミ袋が積み上がった場所に思い切り投げ捨てた。
手荷物を捨てたことで、手品師は速度を上げて三島さんとの間隔が開いていくが、三島さんも負けじと追いかける。
私も二人に追従していたが次第に息が上がって、脚が重たくなって次第に回らなくなった。
久しぶりに息が切れるほど全力で走ったので左胸の奥が激しく動いて響く。身体は熱くなり痒みも出てきた。
膝に手を置いてラクな体制になり地面と睨めっこしながら呼吸を整えて身体の調子を戻す。
ふいに顔を横に傾けると手品師がさっき捨てていったアタッシュケースがゴミ袋の上に乗っかっていた。
商売道具であるアタッシュケースを容易に捨てるものか?多分、走りやすくする為に一時的に捨てたに過ぎない。
その証拠としてアタッシュケースを投げた際にゴミ袋をクッション代わりにして破損しないように細心の注意を払っていた。
ということは、ほとぼりが冷めたら必ず取りに来るに違いない。
今から追いかけても追いつけないし、二人の姿はもう見えない。ならあのアタッシュケースを押さえておけば万が一、三島さんが取り逃しても手品師ともう一度接触出来るチャンスを作れる。
私は腰を上げて、ゴミ袋の上にあるアタッシュケースを取りに行って持ち手に指を通して持ち上げる。
それからアタッシュケースが捨てられていた場所を盗み見できる場所まで移動して手品師が来るのを待つことにした。
十五分ほどその場で待機していると一人の男性が現れたが顔はよく見えない。
辺りを見回している様子で頭を動かしていたのでついに顔が見えた……手品師だ。
ということは三島さんは撒かれてしまったのだろう。
私はアタッシュケースを持って彼の背後に回って声を発した。
「探してるのはこれですよね」ケースを胸の前まで持ち上げる。
「おい、それは俺のなんだ。返してくれよ」
「返しますけど、まずは私の質問に答えて下さい。私ともう一人の女性が“エミール”で貴方のマジックショーに参加したのを覚えてますよね?」
「そんなの覚えてねぇよ。いいから早く返せ」
手品師はそう言いながら歩調を上げて詰め寄ってきた。
私は反転してケースを抱き抱えて彼から逃げると、彼も足跡を立てて追いかけてくる。
だが、三島さんから逃げていたので体力はほとんど無く思っているよりも距離は開いていって追いつかれることはなかった。
私も走る体力が底をつき始めて団地なのか古いマンションなのかは分からないが、古い建物の中に入り三周ほど階段をよじ登ってから休憩もかねて身を潜めようと腰を屈めた。
階段には蛍光灯が付いているが、今にも切れそうな明るさでとても薄暗く無気味に感じる。
息を整えながらも、息を殺していると上の階段から足跡がして振り返ったがその時にはもう遅かった。
階段を降りてきた手品師に身体を押し倒されて、
身体が壁に打ちのめされ背中と肩に激しい痛みが走る。
アタッシュケース越しに彼の身体が覆い被さってケースを剥ぎ取ろうとするが、残った力で必死に抵抗して取っ組み合いになった。
「なんで、皐月のことを隠すんですか!」
「"あの人"に言うなって口止めされてんだ。大体お前らこそなんなんだ?しつこいんだよ!それに俺にはもう関係ねぇよ!」
力強く引っ張られてケースは取られてしまった。
「きゃあああああ!」
女性の甲高い悲鳴を聴いた三島は急いで声のした方に走って階段を上ると腰を抜かした晴香がそこにいた。
どうしたのかと訊くと、"下を見て"と力の抜けた声でただ一言だけ返ってきた。
階段の壁から下を見ると、駐輪場の屋根の上に手品師の遺体があった。




