第16話 埒外な外野
「ご乱心のようですので、今日の取り調べはここまでにしましょう」
中西は熱が入った皐月を見て、めんどくさそうにしながら取り調べを切り上げた。
その顔には、また女性特有のヒステリックが始まったなと書いてある。
中西は立ち上がって取り調べ室のドアを開けて、早く部屋から出ろと言わんばかりの合図を目で皐月に送った。
皐月はその視線を受け取って素早く立ち上がって部屋を出る。
皐月としてもこんな居心地の悪い部屋から少しでも早く出たかった。
それから皐月は個室に戻り、畳の上に座り込んで少し気持ちを落ち着かせる。
居心地の悪かった取り調べ室とは打って変わってこの部屋はとても居心地が良かった。
さっき話していた中西という男の話ぶりを見るに私は誰かに嵌められて、警察側は見抜けずに私に罪を被せるつもりだ。
それを信じて疑っていない。
あまりの間抜けさと不甲斐なさに渇いた笑いが出たと同時に変えられそうにない現実に心がふやけていく。
ついさっきまでは日の光が差し込んでいたのに、今はもう差す光がない。
* * *
白峰晴香は洗面台の前で自分の顔と格闘していた。
起床はギリギリの時間まで寝るのが晴香の性分だが、今日はそのギリギリの時間を超えて遅刻寸前になっている。
そんな時に限ってメイクのノリが悪い。
時間も押しているので、そこそこの妥協点を見つけてメイクを切り上げ、髪が跳ねていないかなど身体全体をよく確認してから部屋を飛び出す。
晴香は出勤時や退勤時、プライベートでもタクシーを使うことが癖になっていてよく利用するが、お金が掛かるので、その癖を治そうと考えてはいるものの、中々抜けずにいた。
今回もタクシーを利用しないと間違いなく出勤時間に間に合わないので、配車の予約はスマートフォンで既に済ませていた。
予約していたタクシーは既にマンションに到着していた。
晴香はタクシーに乗り込んで職場まで送って下さいと伝えてタクシーは動き出す。
晴香は重たい身体を引きずりながらタクシーを降りてオフィスビルがある方に足を向ける。
正直、仕事が出来るような心境ではないが、
そうも言っていられないので仕方なく出勤した。
幸い、遅刻はなんとか免れることができた。
オフィスビルのエントランスに入ると、多くの人達が改札口に向かっていく。
ある人は自信に満ちた顔つきで、ある人は疲労を感じさせる顔つきで歩いている。
ニュースで皐月の名前が実名報道されて初日の出勤だ。
皐月は以前、ここで働いていて、このエントランスを行き来していた。
今ここにいる人達は皐月のことを覚えているのだろうか。
その皐月が今、容疑者として報道されていることは知っているのだろうか……
私も改札口に社員証のカードをかざすとゲートが開き、ほぼ満員状態に近いエレベーターに半ば押し込まれながら乗り込む。
エレベーターから降りて早足で自分の席に向かって歩いていき、席に着くと程なくして朝礼が始まった。
そのあとはいつものように淡々と仕事をこなしていたが、尿意を感じて席を立つ。
トイレは休憩室の隣にあって、そのトイレで用を済ませた。
「あっ、すみません!」
トイレから出て休憩室の前を通ると、休憩室から女性の声が聞こえてきて、振り返ると一人の女性と目が合った。
「……白峰さんですよね?」
その女性は確かめるように私に話しかけてきたが、振り返ったことで確信して、嘘臭い笑顔を瞬時に作り上げる。
「はい、そうですけど」
私は何故、話しかけられているのか分からないままとりあえず答える。
「ちょっと、いいですか?こっちこっち……」
なにか如何わしいことでもするかのように、
小さく手招きをして私を誘導しようとする。
とりあえず、休憩室の中に入ってついて行くと、四人一組のテーブル席に案内されて、そこには一人の女性が座っていた。
「急にごめんなさい。少し教えてもらいたいことがあるんですが……いいですか?
あっ、どうぞ座ってください」
座っている女性が口を開いている間に、私を連れてきた女性はその女性の隣に座る。
「ええ、少しなら」と答えて私も椅子に座った。
二人の顔は同じ階で働いているので何度か見かけたことはあったが、
部署が違うので名前も知らないし話したこともない。
二人と面識が無かったかと頭の中で必死に考えていると相手から話題が切り出された。
「私達、黒田次長の部下なんですけど……
黒田次長が奥さんに殺されたって本当なんですか?」
知らない人から皐月の話題を振られたことに妙な胸騒ぎがした。
「それをどうして私に聞くんですか?」
「だって、黒田次長の奥さんって前はここで働いてたんですよね?その奥さんと白峰さんが仲良かったって噂で聞いて……」
もう一人の女性が食い気味に割って入り、話を続ける。
「上の人達は警察から聞かされてたみたいなんですけど、私達はな〜んにも聞かされてなくて。
黒田次長、色んな仕事抱えてたから上の人達が手分けしても細かい所までは把握してなくって、
これはどうすんの?あれはどうすんの?
ってウチの部署はパニックですよ。
まずは部署内に共有しろよってハナシなんですけど……ってそんなことじゃなくて。
本当に黒田次長の奥さんが殺ったんですか?
なにか知ってることがあれば教えて下さいよ」
二人の目線が私に向けられる。
同性のことを悪く言うつもりはないが、
こういう時に女性に発した言葉は尾ビレがついた噂となって、とてつもない速さで社内中を駆け回る。進捗に言葉を選んで口にしなければ。
「たっ……確かに黒田次長の奥さんは以前ここで働いていて、仲は良かったけどそれ以外はなにも知らなくて。
事件のことも報道されてるのを見て初めて知ったんです」
「へぇ〜そうなんですね。本当に事件のことは知らなかったんですか?」
「え、えぇ……本当になにも知らないんです。
力になれなくてごめんなさい」
そう言いながら身体は既に立ち上ろうとしたが、次の言葉を聞いて、私は席から離れられなかった。
「な〜んだ……じゃあ収穫なしかぁ。
実は私達、会社に内緒で動画配信してるんですよ。
もちろん顔出しはせずに声も少し編集してるんですけどね!
中々良いネタだなぁって二人で話してたんですよ」
「そうそう。絶対、再生数伸びると思ったのにね!」
この人達は一体なにを言っているんだ?
対岸の火事のように見ているどころか、
修一さんが亡くなったことを嘲笑うようなくだらない行動をしていることが信じられなかった。
「あなた達……余程、暇なんですね」
私は二人を鼻で笑い、席から立ち上がった。




