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別人  作者: 乾 優弥


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第14話 羽山健一の過去

白峰晴香と別れたあと、山田とも別れて羽山は一人で歩いていた。


今回のヤマ(事件)で引っかかる点が無いと言えば嘘となるが、白峰晴香が黒田皐月を庇っていたのなら合点はいく。

現に聞き込みをしたら嘘はすぐにバレた。


だとすれば、これ以上気にする必要もない。

黒田皐月は起訴されて殺人罪で収監されるだけだ。


一段落したと思うと途端にお腹が空いて飯を食べたくなった。

いつもの中華料理店に行くことにしたが、ここから一駅ほど離れている。

かといってタクシーを捕まえるにはとても微妙な距離なので歩くことにした。


人間観察をしながら歩道を進んでいると、ふと背後から視線を感じた。

振り返ってみると人はまばらにいるが、自分を見ているような人はいない。

だから気のせいにして再び歩き出す。


ようやく中華料理店が目と鼻の先の距離まで来た。

店の前まで行って様子を見るとまだ明かりは灯っている。

固くて歪なドアも慣れた手つきの前ではすんなりと開く。

店内に入ると、店主は相変わらず暇そうにしていて、テレビをを見ている。


「悪いなあ、もう……ってお前か」


入ってきた客が私だと気付くと言いかけた言葉を途端に変えた。

本当は、もう厨房は締めてしまって料理は出せない。という台詞を言うつもりだったのだろう。


「分かってますよ、一杯ひっかけるだけです」


「じゃあ居酒屋にでも行け。ここは飯屋だ」


小言を言いながらも、瓶ビールと冷えた小さいグラスをカウンターに用意してくれた。

小さいグラスで少しずつ飲むのが好きな私の為に一つだけ小さいグラスをいつも冷やしておいてくれている。


「いつもありがとうございます」


私はその長年続いている気遣いに軽く頭を下げて、ビール瓶が置かれているカウンターの前の椅子に腰かけた。


冷えた小さいグラスに、冷たいビールを注ぎ込んで一気に喉に通す。

この美味さには一種の開放感がある。

疲れてへとへとの身体にビールが血管を巡るように馴染んでいく。


「もうほとんど片しちまったから、大したもんは作れねえぞ」


店主が厨房の中から一声かけてくれた。

今、出来る限りの一品を作ってくれようとしている。その不器用な優しさがビールと同じくらい身体に沁みる。


「出てきたもんは何でも食べますよ。出来たら焼きそばが出てくると嬉しいなぁ」


わざとらしく返したが、店主から返事がない。

もちろん、作ってくれたものは何でも食べるつもりなので焼きそば以外の一品が来てもお腹に入れる準備はしていた。

ただ、このお店のメニューで焼きそばが一番好きなだけだ。


無言でカウンターの前に焼きそばが置かれる。

香り立つ醤油とソースの混じり合った匂いと、 舞い上がる湯気に当てられて、踊る鰹節が胃の中を拡張していく。

お皿を近くに寄せて焼きそばを頬張る。

何年も食べているがいつも美味しい。


店主は焼きそばを食べる私を見ながら珍しく神妙な面持ちで口を開いた。


「……もう十五年になるんだ。いい加減、気を遣って店に顔出さなくてもいいんだぞ」


私はその言葉を聞いて箸が止まってしまった。

十五年前に強烈な体験をした"あの事件"が頭の中で鮮明に蘇ってくる……


* * *


十五前の私は警察官になったばかりで故意に焚き付けた熱い正義感を胸に抱いていた。

全ての犯罪者を追い詰めて必ず捕まえる。

戦えない全ての人達を守る為に。

日本の治安を守る為に。

今にして思えば、青臭い思想だが若さゆえの根拠の無い自負からくるものだった。


その時の俺は私生活を全て捨てて仕事に明け暮れていたが、

若いこともあって体調を崩して倒れたりすることはなく色々なヤマ(事件)に足を踏み入れていた。


ある日、私用で署から一番近かった銀行に来ていた。

銀行の窓口はいつも手続きが必要と言う割には待ち時間が多くて全然進まない。

私は苛立ちながら、椅子に座って名前を呼ばれるのを待っていた。


すると、二人の男が銀行の中に入ってきた。

一人の男が窓口にいる女性と話をして手続きをしているように見える。

もう一人の男は私が座っている席からすぐ近く席に股を開いて腰を下ろしている。

二人には共通して奇妙な点があった。

深くマスクをして顔を隠していることに加えて、挙動不審な動きをしていた。


人間観察をしていると、窓口でやりとりをしていた男が話をしている女性を手繰り寄せてどこからか拳銃を取り出し女性の眉間に押し付ける。


もう一人の男も拳銃を手に持って立ち上がり、

動くな!と全員を牽制する。典型的な強盗だ。


近くにいる男はすぐに制圧できるが、窓口にいる方の男の対処を決めかねていた。

もし、もう片方の男を誰かが足止めしてくれたらと考えていると、窓口の近くにいた女性と目が合った。


女性は私が動こうとしていることを察知して、目で合図を送ったと思いきや、突発的に窓口にいる男に体当たりをかました。


あまりの突発的な行動に一呼吸ほど遅れてしまったが、私も近くにいた男を捻り潰して拳銃を奪い、もう片方の男に発砲して肩に着弾した。


男は悲鳴と共に崩れ落ち、拳銃を床に落としたが既に一発は放たれていた。

その一発は体当たりをした女性の首に埋まっていて、即死していた。


その女性が中華料理店の店主の妻であった。

その後は強盗殺人事件として処理され、被害者の身元を調べて中華料理店に辿り着き、線香を上げたくて店に足を運んだ。

自分が目の前にいながらなにも出来なかった無力さと不甲斐なさをご夫妻に謝りたかった。


その時に初めて店主と出会い、殴られる覚悟で事件の事を話したがなにも言わず二階に案内されて

香炉を立てて合掌した。


一階に降りると、店主が「もし腹が減っていたら食べていけ」

そう言って焼きそばを作ってくれていた。

私は申し訳なさを感じながらも、店主の気持ちを無下にはできないと思い焼きそばを食べた。

焼きそばを食べていると店主が椅子に座って話を始めた。


「この店は嫁の父親……おやっさんが開いた店だ。

学も無ければ仕事も無く、食いっぱぐれていた俺をおやっさんは拾ってくれたんだ。

働き口を工面してくれたどころか娘さんまでくれた。

おやっさんと嫁は俺に色んなものをくれた。これは貰いすぎた俺への罰なのかね」


店主はそれ以降、口を閉ざして顔を上げようとはしなかったが、少しだけ肩が震えているように見えた。


私はそれを見てぎゅっと胸が潰れそうになった。自分の志が如何に無力で何の役にも立たないということを嫌でも思い知らされた。

強硬手段に出ずに、私が強盗共に警察だと伝えて交渉の一つでも申し出れば被害者は出なかったかもしれない。

一旦、金を持ち出させて後から捕まえれば良かったのかもしれない。

そうしなかったのは、間違いなく私に慢心があったからに他ならない。


私は焼きそばの代金として千円札をカウンターに置いてお店を出た。

それから私はこの店に頻繁に出入りするようになっていった。


* * *


「そんなんじゃないですよ。俺はこの店の焼きそばが食べたくて来てるんですから」


焼きそばを食べ終わって店主にそう伝えると店主は少し口角を上げた。


「今日は俺の奢りだ。食べ終わったら帰った帰った」


気恥ずかしそうに店主は言うが瓶にはまだビールが残っているのでまだ居座ることにした。

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