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小さな箱庭のスノーホワイトは渡り鳥に恋をする  作者: 望々おもち
番外短編集② -side short story-
281/283

第281話 修学旅行〈前編〉(3)



 到着した京都は、うっすらと霧雨だった。


 いちおう午後には晴れるようなので問題ないだろう、と構えていられるのは、まず初めに訪問するのが市立の美術館だからだ。


 駅から今度は学校貸し切りのバスに揺られつつ二十分ほどでやってきた、ぼんやり白く霞みがかったおしゃれな建物は、雨であろうと芸術品のような佇まい。


 晴れていれば吹いていたはずの薫風もいまはなく、目に優しい碧のつややかなもみじは雫をしたたらせていて、それがまた風情ある静かな情景だ。


 ここは美しい建築物としての価値も高く、展示品のみならず館のステンドグラスや、二階へ続くらせんの階段そのものも、見どころの一つだという。


 大きな荷物はバスにおいていき、持ち出したのは貴重品と筆記具のみ。


 生徒からすれば二日目と三日目が本番なので、初日と最終日くらいは学習のためにと、皆大人しくレポートのメモを片手にエントランスへ赴いている。


 美術館のなかは明るく、柔らかな雨でぼやけた外界とはすっぱり切り離されていた。


 今は三つの展覧会が期間限定で開かれているようで、折りたたみの雨具を預けたあとは、バスで配られた前売り券を持ってそれぞれの展示へ。


「すみません。これおねがいします」


 とチケットを渡し、ちぎった半券を返してもらったところで、後ろから聞き慣れた涼やかで上品な口調が、同じ台詞を放つ。


「こちらもおねがいいたします」


 示しあわせた訳じゃないのだが、くるみも同じ〈西洋絵画の歴史展〉にしていた様子。嬉しいことに趣味があったということだろう。


 約束はしていないもののなんとなく待っていると、チケットを返してもらったくるみが、とててっと控えめな足取りで近寄ってきて、おずおずと声をかけてきた。


 なにやら物すごく訴えたげな表情で。


「どうしたの。そんな眉を寄せて」


「え。眉……」


 慌てて眉間を抑えるくるみに、思わず噴き出す。


「冗談だよ。なんかご機嫌よろしくなさそうだったので。……もしかして雨だし。体調よくない?」


 もし本当にそうなら一緒にバスに戻ろうと思ったのだが、幸い違うようだった。


「き。気遣いは有難いけれどそうではなく。……碧くんが新幹線でずいぶんたのしそうに話してたから、なにお喋りしてたんだろうって」


「あー。まあいろいろ? ただの男同士の世間話というか」


 あの雑談を一から十までまとめて話しても差し支えはないが、おもしろいものでもない。


「くるみこそお友達と話盛り上がってたよね?」


「あれもただの女子同士の世間話です。……じゃなくて、私が聞きたかったのは、その……碧くんにさっき送ったLINEが、返ってこなかったことについてで」


「えっ? LINE? ごめん見てなかった」


 言われてすぐにスマホを取り出す。


 くるみが話しづらそうにしていたのは、メッセージの返信を急かしているように聞こえないように、言い回しに気を遣っていたからだろう。


 パスワードロックに九月十四日の誕生日を打ちこもうとして、直接本人に聞いたほうが早いことに気づく。


「ちなみに何て送ってた?」


「美術館のことを連絡していたの。私は好奇心と関心だけで決めたし、ゆっくり見たかったからひとりだけど、もし碧くんもそうなら一緒に巡る? って」


「日本画よりはこっちのほうがまだ分かるからな。くるみは誰かと周る約束してなかったんだね。ていうかゆっくり見たいのに、僕がいていいの?」


「だって、二周目にもつきあってくれるのはきっとあなたくらいでしょう?」


「一回目は絵を見て、二回目は解説を読むんだっけ?」


「ええ。今回の展示は海外に行かないと見られない珍しい美術品が多く貸し出されているし。次来るにも十何年後とかになるでしょうから、じっくり見たいなって。……碧くんはそれでもいい?」


 くるみは友達と一緒に周るだろうと思い、美術館の約束はこちらからはとくに取りつけていなかった。でも、くるみがもともと一人で巡るつもりだったのなら、遠慮しないで初めから声をかけておけばよかったなと思う。


「僕はくるみと一緒に見るのが一番いいから」


「ふふ。今の台詞はそっくりそのままお返しします」


 そんなわけで、折角だからと一緒に観ることになった。


 雨の日の美術館、という贅沢はなかなか狙って味わえるものでもないはずだ。


 海を越えてよその国からやってきた名画をゆっくりと時間をかけて鑑賞し、学生らしく清く正しい感想を言いあいながら、あるいはくるみによる絵画解説を聞きながら、レポートのメモを埋めていく。


 やはりゴールデンウィーク明け、平日ど真ん中の修学旅行ということで、やや空いているのと同時に、来館客には柏ヶ丘高生の制服がかなり混じっている。なりゆきで、順路どおりに行けばクラスメイトと一緒に見るかたちになるので、ふたりきりというわけにもいかないが、修学旅行だしそんなもんだろう。


 そうしてひととおり鑑賞を終えた碧は、一度メモを整理するためにギャラリーを出たところのホールで人心地ついていた。


 二階の、真っ白いバルコニーが回廊のように続いている広い空間。


 高いところから差しこむぼんやりした曇りの光に目を細めながら階下の来館者を眺めていると、湊斗が近づいてきた。


「宿題の文字稼ぎ、できそうか?」


「優秀で博識な彼女が説明してくれたから余裕」


「その彼女は?」


「クラスの友達とミュージアムショップ」


「こっちもだよ。長崎のおばあちゃんにお土産を買うんだってさ。家族思いでいいよなあ」


 彼女と離れているにも関わらずにっこり目を細める湊斗。


 よほどつばめを好きなのが、その表情だけで分かる。


 文化祭をきっかけにつき合って半年、初めこそ友人関係からなかなか脱し切れないかんじもあった。けれど、何だかんだふたりは日に日に順当にカップルらしくラブラブになってきている。


 碧としては〈おしどり夫婦〉なんていう気恥ずかしい評判を、彼らに譲ってやりたいくらいだった。別に誰に何と評価されたって、碧とくるみが最大の信頼を寄せあう関係なことにかわりはないのだから。


 質問はぽろりと、口を衝いて出ていた。


「そういえばちゃんと聞いたことなかったけれど、湊斗ってつばめさんのどういうところが好きなの?」


「おお。碧からそういう話するの珍しいな」


「まあ……」


「でも何時間か早かったな」


 いまいち要領を得ずにいると、湊斗がわかりやすく言い直してくれる。


「せっかくの修学旅行なんだから、そういうのは夜にホテルで話すもんだろ?」


「あー。そういう文化」


「まあ聞かれたからには答えるけどな」


 湊斗は、バルコニーのさきの吹きぬけの空間をふと見上げる。


 釣られて見ても、分厚い雲に衰退した淡い光があるだけ。


 だが、湊斗は晴れやかな目だ。そこにつばめを描き出しているのだろう。


「ものすごくありふれた答えだから期待していたものと違ったらごめんなんだけど、やっぱり底なしに明るいところかな。笑ったところが可愛くて、一緒にいると釣られて明るくなれるんだよな」


 彼の言うとおり、突飛な回答ではない。


 だけど、碧もつばめがどんな人間か知っているぶん、想像できると言うか、地に足がついているというか……安堵して聞いていられる、落ち着いた話だ。


 そして今後長続きするのはなんとなく、こういうカップルなんだろうなとも思った。


「あとは、そうだな。やっぱ趣味があうところだろうな。どっちもアウトドア派だし。こないだもつばめが箱根温泉で撮影をするってなったから、俺も一緒についていったんだよ」


「へー。いいんだ?」


「もちろん事務所の許可は貰ってるぞ。撮影終わりにもう一泊して、次の日はケーブルカーとロープウェイで山の頂上までいってさあ。いやぁ充実していたなあ……」


「旅行のときに旅行の話されると、旅行だなーってなるな」


「おいこらちゃんと聞けっての」


 笑いながらちゃかしを挟めば、肩を小突かれた。


「うん。ちゃんと聞いてるし、いいじゃんって思うよ」


「まだちょっと感想が雑だけどまあいいや。いやーやっぱ旅はいいよなあー。お前が旅好きな理由わかるわ。絆が深まるって言うかさぁー」


「湊斗って結構乙女だよな……」


 学年でも屈指の大男が頬を染めて幸せ全開になっている様子には、親友としてやや思うところはあるが、ラブラブなのはいいことだとは思うから、好きにさせておくことにした。


 長い間友達だったのなら、カップルらしくなるのって難しいもんだと勝手に思っていたけれど、それは本当にただの勝手な想像だった。このふたりの関係も交際から半年を迎えてどんどん成熟してきており、つばめの事務所公認の仲にも、一緒に旅行する仲にもなっていることはすごいなと思う。


「それで……逆に聞きたいんだけど、やっぱお前って将来のことって考えてるよな?」


「将来?」


 突飛かつ曖昧な質問に、その意図をはかりかねて聞き返す。


 きっとここで言う〈将来〉というのは、ふたりの、ということなのだろうか。


 湊斗は爽健美茶で喉を湿らせてから続けた。


「いやさ。家族連れを見ながら、なんとなく将来の話になってさ。……俺は働いているとはいえまだ学生だし、貯金もぜんぜんしてない訳だけど。やっぱ女子って結婚したいもんなのかな?」


 会話のボリュームを絞ってきたのは、美術館のマナーであると同時に、周りに聞かれたくないことだからだろう。


「楪さんとかはどうなの? そういう話ってしてきたりするか?」


「それでいうと……」


 くるみに伝わってしまうことを考えて一瞬口を噤む。


 だけれど、相手が口の堅い湊斗ならそれはないだろうし、やはり言うことにした。


「その……結婚の話はまだ、きちんとはしたことはないかな。……ただ、僕は真剣にいろいろ考えてはいる。し、お互い将来はずっと一緒にいることを確信してもいる。けれど、じゃあそのためにどうするっていう話はまだしてないよ」


 ふたりの共有する目標として、いずれは〈家族になる〉ことを掲げている。


 碧の十七歳の誕生日に、くるみのほうからさきに踏み出して言葉にしてくれて、碧もまた同じ想いを抱えていることを打ち明けた、そんな甘く切ない記憶とともに。


 そのために本気で働いて貯金をするつもりだし、婚約指輪を贈る覚悟までしている。


 受験が成功したらの話になるが、実は同棲中の家計の計算まであらかじめ想定して考えて、毎月いくらずつ稼いで、大学二年目くらいには口座に何十万円を貯金して……というところまで計画をしている。


 なんて——くるみは知らないだろう。話していないのだから当たり前だ。


 そう、今はまだそこまでなのだ。


 家族になるためには、結婚もいずれ確実に辿る道なのだが、彼女と案外そういう話はしたことはなかった。


 なんせ財力も仕事もない高校生だ。目標を立てるのは自由でも、責任を持てない身でする話でもない。それにあらたまった空気ならまだしも、他愛ない話の延長でいきなり結婚の話をするなんて、シンプルになんだか気恥ずかしい。


 碧はといえば、くるみを生涯の伴侶として本気で見据えているし、結婚についてはわりと近い将来の現実のものとして思い描いてはいる。


 だが、間に二年間の留学と遠距離恋愛を挟むわけだから、今から語るにはあまりに曖昧で遠い話なのだ。


 指輪も、挙式のための貯金もこれから。ない袖は振れないもの。せめて現実問題として語るのは、高校を卒業して貯金が出来てからにすべき……という考えだ。


「にやけて惚気ると思いきや、案外真剣に語るんだな」


「僕のことなんだと思ってるの?」


「そりゃ彼女大好きでしかたない男だろ。でも、んー……やっぱそうだよな」


 彼はひざに両腕をついて、静かに唸った。


「溺愛なお前でもそうなんだな。なんかちょっとほっとした。焦らなくていいんだよな」


「湊斗もそういうこと、ちゃんと考えてるんだ?」


「いや、考えてるってほどじゃないよ。つばめはモデルとしてばりばり働いてるし段々有名にもなってきてるし、わりと将来のことしっかり考えてるじゃん。だからこそ、俺も早く自立しなきゃなーって実家の仕事を継ぐことを決めたんだけどさ」


 何気に今まで語られなかった、家業を継いだ決定打をさらっと言ってのけた湊斗に、碧は密かに得心する。


「あんなに嫌がってたのにどういう風の吹き回しでと思ったら、つばめさんのおかげか」


「碧のおかげでもあるぞ?」


「え。なんで僕」


 湊斗はそれには答えずに曖昧に笑った。


「覚えてないならいいんだよ。まー俺も何も考えずに『自由に一人暮らししたい』って言ってただけで、本当にやりたいことなんか何もなかったからさ。そんなことより今はつばめと足並み揃えたいって思っていたし、これが最善だったかは分からないけれど、納得はしてるよ。……それよかこっちが話したんだから。な?」


「なんだよ」


 期待するような目でこちらを見ている。


「お前も彼女への愛を語ってくれるよな?」


「えー……」


 まあ、聞いた時点でそうなる気はしてたけど。


「ここじゃ言いづらいならホテルにチェックインしてからでもいいからさ。ってか折角だし夜のために取っておこう! 修学旅行の醍醐味ってやつだ」


 いつもより浮かれた湊斗から逃げ切る気がせず、碧はそっとため息を吐いた。



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