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2話


「……じゃけえ、三郎んとこの長男は使い物にならん言うたんじゃ」

「昨日、おたくんとこの姉ちゃんが猫の餌()うとったで。二つも」

「そりゃあ、あっこは猫だけが友達じゃけえのう」


 集会所の中は、ひどく酒臭かった。畳敷きの広い部屋には、公民館によくある折り畳みの長机が縦に何列も並べられ、男たちが陣取って酒を飲んでいる。

 女性たちは普通の洋服にエプロン姿と、見た目こそ現代的だが、座って飲み食いしている女は一人もいなかった。空いた皿を下げたり次の酒を運んだりと、立ち働いているのは女性ばかりだ。その隙間を、数人の子どもたちが奇声を上げて走り回っている。


 部屋の奥には台所があるらしく、そこから煮物の匂いと女たちのひそひそ話が漏れてくる。入り口の土間に立つと、ふと会話が途切れた。

 数十人の村人たちが一斉にこちらを見たが、すぐに「おお、新しい人じゃな」「よう来んさった」と、愛想の良い笑顔を浮かべた。一見すると、どこにでもある田舎の温かい歓迎風景だ。


 勇樹は晃一に強引に連れてこられた。「ご近所付き合いも大事さ」と笑顔で言われたが、胃の奥に鉛を流し込まれたような嫌な予感しかしない。


「こんばんは。引っ越してきました、浅井晃一です。どうぞよろしく」


 晃一は、余裕たっぷりに室内をぐるりと見渡しながら言った。


「こっちは息子です。ほら、ご挨拶」


 ぐい、と背中を押される。


「あ、浅井……勇樹です。よろしくお願いします」

「おうおう、丁寧なこっちゃ。わしはこの辺の世話役をしとる、権藤(ごんどう)じゃ。座りんさい」


権藤と名乗った恰幅のいい男が、ニコニコと手招きをする。勇樹はさりげなく周囲を確認したが、自分と同年代の人間は一人もいなかった。こうした集まりには、誰も寄り付かないのだろう。


 勇樹は言われるがまま、入り口に近い手前の方の空いている席に座ろうとした。

 その時だった。


「あー、待て待て、お兄ちゃん」


 権藤が、勇樹の肩をつかんだ。人の良さそうな笑顔のまま、しかし有無を言わせぬ手つきだ。


「そっちは『上座』じゃ」

「えっ、すみません。入り口に一番近いから、下座かと……」

「ああ、いかんいかん。これじゃけぇよそもんはな」と、権藤はあくまで愛想よく笑いながら続けた。「町の真ん中の川、あっちから、こっちに流れとるじゃろ? 川上のほうが、上座。そうなっとる」


 ふと気づくと、周囲の大人たちもピタリと箸を止め、無言でこちらを見つめている。誰一人として怒ってはいないが、品定めをするようなねっとりとした視線だ。


「お前さんら、ほんまならよそもんじゃけえ一番シモに行ってもらうんじゃが……買うた家はカミの端っこじゃろ。うーん……まあ、今日はこの真ん中あたりに座りんさいや」


 権藤はそう言って、部屋の中央付近の席へと勇樹たちを促した。

 どうやらこの村では、一般的なマナーではなく、村の地理がそのまま身分の序列になっているらしい。「よそ者は一番下」という本音と、「家が上座側にある」という事実の板挟みになり、折衷案として真ん中に座らされたのだ。

 彼らは穏やかに笑いながら、決して自分たちを同じ輪の中に入れようとはせず、明確な『線引き』を行っている。


「なるほど、この位置ですか」


 促された中途半端な席に座りながら、晃一がぽつりとつぶやいたのが、勇樹には聞こえた。その声には怒りも困惑もなく、ただ「判別」したような無機質な響きだった。


「え? なんですか?」

「いいえ、なんでもありません。こういった会はよくやるんですか?」


 晃一は、すぐさま営業マンのような完璧な笑顔を作って、隣の村人に話しかけた。

 寄り合いは定期的に行われているほか、行事のたびにこうして集まるらしい。今回は今度行われる祭りの打ち合わせを兼ねた打ち上げだという。

 すでに酒も回り始め、村人たちは新入りの素性を探ろうと矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。


「ええ、そうなんです。東京に本社があって……ああ、外資系です。そこで働いていたんです。ええ、部署が変わってテレワーク主体になりましてね。家で仕事ができるんですよ。私が現場を離れると海外とのプロジェクトが止まってしまうので、調整が大変でして」


 晃一は快活な様子で、(よど)みなく受け答えをしている。

 それを聞いた村人たちは、「ほう、外資か」「家でパソコン叩いて稼げるんじゃな」と感心したり、あからさまに軽い嫉妬の目を向けたりしている。


 そのやり取りを聞きながら、勇樹はぞっとした気持ちになった。

 嘘ばかりだ。


 勤め先は東京の外資系企業などではなく、以前住んでいた地方都市にある小さな商社で、そこで部署が変わってテレワークになっただけだ。


「ここは妻のゆかりの土地でして……ええ、妻は大きな病気が寛解(かんかい)――治ったばかりで、今はまだ入院しているんです。彼女の療養のために、ここを選びました」


 晃一は、母のことまで適当な嘘を並べ立てた。

 勇樹の実の母は病気などではなく、出産間際のために以前の街の病院に入院しているだけだ。母はずっとその街で生まれ育ったので、この土地とは何の関係もない。


 だが、悲しげに見せる晃一の演技に、村人たちは同情したような顔を見せた。都会のエリートサラリーマンに対する嫉妬を抱きつつも、その「不幸」を聞いてどこかホッとしたような、醜い安堵の表情を覗かせる者もいる。


「ところで、神谷家の方はこちらには?」


 晃一が何気ない風に尋ねると、場がさっと冷え込んだ。村人たちが気まずそうに顔を見合わせる。


神谷(カミ)サンは、こがいな下々の場には来んのじゃ。今日はわしらヒラ衆だけの寄り合いじゃけえな」


 先ほど勇樹たちの席位置を指示した、権藤が吐き捨てるように言った。


「カミサンとこは今、祭りの準備で忙しいんじゃ」

「お祭りというと、今日こちらで打ち合わせをしていたものですか?」

「いんや、カミサンがやっとんのは別のじゃ。あっちは『神事(しんじ)』っちゅうもんさ」


 晃一の目が、爬虫類のように音もなく、ギョロリと左右に動いた。

 この妙な空気は勇樹にもはっきりと感じ取れた。カミとヒラの間には、単なる尊敬や畏怖だけではない、ドロドロとした確執があるらしい。


 普通なら深入りせずに話題を変える場面だが、勇樹には、晃一が内心でひどく面白がっているのがわかった。

 晃一は興味深そうに体を前のめりにする。


「そうですか、その……あっ、痛っ!?」

「よそもん! いね! けったくそわりぃんじゃ!」


 ドン、と鈍い音がして、晃一の身体が前に揺れた。

 振り返ると、背後に小学四、五年生くらいの男の子が立っていた。どうやら、背後から晃一の背中を力いっぱいに蹴りつけたらしい。


「こら! 健太!」


 すぐに母親らしき女性が、たたたと小走りでやってきた。


「ごめんなさいねぇ、うちの息子が……ホラ! 謝りなさい、健太!」

「ハハハ! 嫌われてしまったかな」


 晃一は背中をさすりながらも、「子どものすることですから」とあくまで鷹揚(おうよう)に対応した。

 母親もすぐにそれを受け入れ、健太の頭を軽く小突いて自分の席へ連れ戻した。

 だが、その顔には本気で子どもを叱っている様子はなかった。むしろ「よそ者に一泡吹かせた」という、薄暗い満足感が透けて見えた。


 その後はしばらく、どうでもいい世間話や農作業の愚痴が続いた。


「おかーさん、トイレ!」


 不意に、子どもの声が響いた。先ほどの、健太の声だ。


「トイレは外、気ぃつけて行きんさい」


 健太が小走りで集会所の外へ出ていく。

 その直後だった。晃一が「少し失礼」とだけ言い残し、音もなく立ち上がった。健太のあとを追うように、すうっと集会所の外へ消えていく。


 勇樹は、ほとんど無意識にその背を追おうとしたが、動けなかった。いつの間にか隣にいた、顔役の権藤に肩を組まれ、完全に絡まれていたからだ。


「ええか、お前んとこの親父は気が利かんなあ。くどくどと自慢話ばっかりしよってからに。だいたいお前らよそもんが……」


 権藤は赤い顔をして、終わりの見えない管を巻き続けている。勇樹は愛想笑いを浮かべながら適当に相槌を打つしかなく、次第に晃一の動向を気にする余裕はなくなっていった。


「……ところで、お前んとこの親父はどうしたんじゃ?」


 ひとしきり説教を終えた権藤が、ようやく隣が空席になっていることに気づき、首を傾げた。



     *



 健太は意気揚々と、集会所の裏手にある便所をあとにした。

 あの気取ったよそ者に、一撃食らわせてやった。

 母がよそ者のことを「鼻につく」と迷惑そうに語っていたのを思い出して、誇らしい気分だった。蹴飛ばしたあとの母の満足そうな顔。自分は正しいことをしたのだ。


 健太は少し濡らしただけの手を、自分のズボンで拭う。

 集会所と道路の間にある用水路の近くでしゃがみこんだ。街灯の青白い光に照らされた水底で、何かがピクピクと動いている。

 これはきっと、トンボの幼虫だ。

 川に近づくなと母に言われていたが、今日はよそ者を追い払った功績がある。これくらいの冒険は許されるはずだ。


 流れが弱まった、よどみのあたり。健太は身を乗り出し、さらに覗き込んだ。

 突然、お尻のあたりに、ドンと強烈な衝撃を感じた。


 抵抗する間もなく、身体が宙に投げ出される。視界が回転し、すぐさま全身に氷のような衝撃が走った。

 鼻と口に水が流れ込む。上がどちらかもわからない。パニックで声を上げようとしても、水に阻まれて息ができない。


 一瞬だけ、水面から顔が出た。上のほうに、大きな人影が立っているのが見えた。

 街灯を背にしているため顔は真っ暗で、それが誰なのかはわからない。だが、きっとすぐに手を伸ばしてくれるに違いない。

 しかし、その黒い塊はピクリとも動かなかった。助けようと身を乗り出すことも、誰かを呼ぶこともなく、ただじっと、もがく健太を見下ろしているだけだった。


 あかりが、遠ざかっていく。



     *



「うわああああああん!!」


 集会所の玄関に、泣き声が響き渡った。

 ずぶ濡れになり、泥だらけになった健太が震えながら立っている。

 大人たちが騒ぎ出し、駆け寄った。


「うわああああああ!!」

「泣いとっちゃわからんぞ」

「あちゃあ、こりゃあ用水路に落ちたんじゃな」


 勇樹は座ったまま、強引につばを飲み込んだ。

 晃一だ。この男は、健太が泣きながら戻ってくる少し前に、何食わぬ顔で席に戻っていた。


(この男がやったのか……?)


 やりかねない。しかし、いくらなんでもあんな小さな子どもを川に突き落とすなど、正気の沙汰ではない。頭の中では強く疑いながらも、勇樹はまだ、五分五分だと思いたかった。


「健太!!」


 母親が悲鳴を上げて走ってきた。今度は本当に心配そうな顔だ。


「何やっとんの、あんたは!!」

「うええええええ!!」


 素知らぬ顔でビールを口にしていた晃一が、ふと間延びした声で言った。


「いやあ、無事で良かったですねぇ」


 そのひどく感情の欠落した声に、幾人かの村人がムッとした顔をして晃一を睨んだ。


「あんた、健坊より先に戻っとったな。外で健坊を見んかったんか?」


 さっき勇樹に管を巻いていた権藤が、鋭い声で咎めた。


「そうでしたか? すみません、気づきませんでした。暗かったですし、まっすぐ戻ったもので」

「……チッ。ガキらには目を光らせとけ。助け合ってこその共同体っちゅうもんじゃろが」

「肝に銘じておきますよ」


 何でもないという風に受け流す晃一の態度に、権藤はさらに苛立ったようだった。


「だいたい、なんで隆次(りゅうじ)のヤツは、お前なんかに家を売ったんじゃ」


 隆次という名前に、勇樹は聞き覚えがあった。『神谷隆次』。この村で、自分たちの家となった戸建てを晃一に譲ったという人物の名前だ。


「そうじゃそうじゃ。あっこはカミの中じゃ一番シモじゃが、キサンのようなよそもんが入ってええ場所じゃねえ!」

「隆次は今、どこで何をしとるんじゃ」


 非難の嵐が晃一に降り注ぐ。だが、晃一は少しも動じなかった。むしろ、楽しげに口角を上げた。


「隆次さんには、少し相談に乗っていたんです。家は、その御礼ってことですよ。もちろん、代金は払っていますよ? ああ、そうそう。彼が言っていました。この村には、『黄金が降る』と。どういう意味なんでしょうね?」


 その瞬間、集会所から一切の音が消えた。

 先ほどの、カミの話題が出た時の沈黙とは比べ物にならない、凍りつくような圧倒的な沈黙。

 大人たちだけでなく、泣き喚いていた健太や他の子どもたちまでもが、親のただならぬ様子を察してピタリと泣き止み、じっとこちらを見ている。


「……何を言っとるんか、わからん」


 権藤は、低い声で答えた。


「隆次さんの居場所、知っているのは私だけですよ」


 晃一が追い討ちをかけるように言った。権藤の顔が強張り、何事かを懸命に考えているようだった。数秒の重い沈黙の後、権藤が口を開いた。


「……今日は仕舞いじゃ。片付けは女衆がやる。お前ら、もう帰れ」


 実質的な追い出し宣言だったが、晃一は満足そうに笑った。


「そうそう、お祭り。ぜひ手伝わせてください。皆さんと早く打ち解けたいんですよ。それとも、私の家の位置では、ヒラのお祭りには参加させてもらえませんか?」

「…………考えておく」


 勇樹は何が何だかわからず、ただ冷や汗をかきながら晃一の背中に着いて集会所を出た。

 この男は、単なる移住者ではない。何か恐ろしい狙いがあって、この家族を連れて、この閉鎖的な村にやってきたのだ。


 夜の冷気が、勇樹の背筋を凍りつかせた。


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