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3話


 〇〇県佐久留(さくる)奥海(おくみ)。佐久留町は県の南西部に位置し、何度かの市町村合併を経て現在の形となった。奥海はその中にあって、明治期からほぼ境界線を変えずに残っている集落である。現在の人口はおよそ二百人。

 古くは『播磨国風土記』にその名を残し、採掘が盛んであったことが記されている。江戸時代には、山陰と山陽を結ぶ街道の宿場町として機能していた。

 第二次世界大戦時、佐久留町一帯からも多くの徴兵があったが、奥海地区においては風土病の流行を理由とした兵役免除者が多数出たという記録がある。インターネット上で閲覧できる郷土史のアーカイブやフリー百科事典を見ても、これ以降「奥海」という地名が単独で記載されている箇所は極端に少なくなっている。

 戦後の農地改革や開発に伴い、周辺地域ではモロヘイヤなどの特産品栽培への転換が進んだが、奥海地区は現在も水稲栽培が主な産業となっている。


 勇樹がスマートフォンを使って調べた奥海の情報は、おおよそこんな感じだった。晃一が言っていた『黄金』については、どこにも記述がない。

 勇樹は自分で作った朝食を片付け、真新しい学生服に袖を通した。今日から高校生になるというのに、少しも明るい気持ちにはなれなかった。


 あの寄り合いから十日あまりが経った。村人から直接的な接触はないが、家の外に出るたびに、遠巻きに監視されているような視線を感じる。


「早く学校に行きなさい。バスに乗り遅れたら大変だぞ」


 マグカップを片手にリビングへ出てきた晃一が言った。すでに仕事をしているようで、義理の息子の入学式に出るつもりは毛頭ないらしい。


「はい、もう出るところです。行ってきます」


 集落に高校はなく、山を下りて市街地まで出なくてはならない。集落の入り口までバスが来るが、それに乗り遅れれば二時間は次の便が来ない。歩いて行けば二時間かかる距離だ。


 玄関を開け、外の空気を吸い込む。暖かく柔らかな匂いが鼻に届く。暖まった土の匂いだろうか。

 鉄の門扉を押すが、何かに引っかかって開かない。重い。

 勇樹は柵の向こう側を覗き込んだ。


「──うっ!」


 こんもりとした物体があった。そこから細い棒のようなものがバラバラの方向に伸びており、よく見れば口が、目があった。鹿だ。鹿の死体だ。

 茶色に白い斑点が混じる小鹿の死体が、門の前に無造作に転がっていた。首が不自然な角度にねじ曲がり、暗褐色の血がアスファルトに薄くこびりついている。

 

「なんだこれ……!」


 慌てて周りを見渡す。誰もいない。だが、遠くの林の影にいた何者かが、さっと身を隠したような気がした。


 光を失った真っ黒な硝子玉(ガラスだま)のような目に見つめられ、勇樹は吐き気を覚えた。


「なにをしているんだ。早く学校に行きなさい」


 声を聞きつけたのか、晃一が家から出てきた。


「あ、あの……父さん、これ……」


 勇樹は吐き気を抑え、震える手で門の足元を指さすのが精一杯だった。大げさだな、とでも言いたげな足取りで近づいてきた晃一が、勇樹の隣で視線を落とす。


「これは、鹿だね。小鹿だ」


 スーパーの精肉コーナーで、パック肉でも眺めるような声だった。

 晃一が門をぐいと力任せに押すと、ずるずると嫌な音を立てて鹿の死体が動く。だらんと首が揺れる様を見て、勇樹は思わず口元を押さえた。

 晃一は勇樹がしたように、きょろきょろと周囲の山肌や隣家を見渡し、それから勇樹に向き直った。


「片づけておきなさい」

「え?」


 晃一はただそれだけ言い残し、さっさと家の中に戻っていった。


「片付けって……え、これ」


 勇樹は通学カバンを持ったまま、小鹿の死体の前で一人立ち尽くした。




 入学式はつつがなく終わった。


 あの後、小鹿の死体はなんとか庭の隅に引きずっていくので精一杯だった。ギリギリでバスには間に合ったが、あのまま放置しておけば、いずれ骨になるのだろうか。

 勇樹は自分の手に血の匂いがこびりついている気がして、学校のトイレで何度も石鹸で手を洗った。

 帰りのバスに揺られながら、勇樹は初めてのホームルームでの出来事を何度も思い返していた。


「奥海に引っ越してきました、浅井勇樹です」


 そう言ったときの、クラスメイトたちが一斉に向けた異様な目を、勇樹は忘れられない。

 彼らは一様に目を見開き、信じられないものを見るようにじっと勇樹を見つめた。クラスに同じ集落の出身者はいないようだった。


「先生、ウチのクラスに奥海のモンは来んって、言うとったやないか。親にもそう言われとうよ」


 前の席の男子生徒が、あからさまに嫌悪感を露わにして担任に詰め寄るのを見てしまった。


 肩身の狭い学校生活になりそうだ。

 バスの時間があるため、部活に入ることも難しいだろう。

 そういえば、行きも帰りも、あの集落へのバスに乗ったのは自分一人だった。同級生は誰もいないのだろうか。


 憂鬱な気分のまま、バスを降りて長いあぜ道を歩く。

 集落の入り口にある古いプレハブ小屋の前に、着崩した学生服姿の少年が二人、地べたにしゃがみ込んでいるのが見えた。同じ高校の制服かは分からない。

 

「止まれや」


 嫌な予感はしていた。通り過ぎようとしたところで声をかけられ、勇樹は足を止めて向き直る。


「な、なんですか?」

「リュウジさんとこに引っ越してきたせがれ(・・・)じゃろ」


 声をかけてきたのは、髪を明るく染めた少年だった。しゃがみ込んでいるので分かりづらいが、そこまで年上でも大柄でもない。

 勇樹は少しムッとした。

 あそこはもう自分の家だ。リュウジさんとやらのおうちじゃない。

 関わり合いになりたくない。勇樹が無言で(きびす)を返し、立ち去ろうとしたときだった。


「どこ行くんじゃ。ジンくんが聞いとうよ」


 帽子をかぶったもう一人が立ち上がり、勇樹の腕を強く掴んだ。

 帽子の少年も別段、体格がいいわけではない。あまり舐められるわけにはいかない。多少でも抵抗を示さないと、いいようにされてしまうことを、勇樹は分かっていた。


「やめろ、離せよ」


 なるべく()然とした態度で、勇樹はその手を振り払った。

 帽子の少年は少し驚いた顔をしたあと、にやりと口角をあげた。


「おいおいおい、どうしたんじゃ。ちょっと挨拶しよう言うとるだけじゃろ」

「いきなり刃向かうとか、痛い目見んとわからんか?」


 プレハブの影から、さらにぞろぞろと四人、五人と似たような不良たちが出てくる。

 はめられた。

 彼らはよそ者である勇樹が不用意な態度をとるのを、あらかじめ待ち構えていたのだ。


 こうなってしまっては多勢に無勢だ。気を大きくした集団に血が上れば、歯止めが効かないだろう。下手な抵抗はできない。


「ツラ貸せよ」


 髪を染めた少年が立ち上がりながら言った。

 古い漫画でしか聞かないようなセリフには、ひどい非現実感があった。




 漫画なら薄暗い喫茶店か路地裏にでも詰められるのだろうが、ここは見渡す限りの田舎だ。

 不良たちは本道を逸れ、鬱蒼とした木々に囲まれた横道へとずんずん進んでいく。

 やがて、色褪せた鳥居の下で足を止めた。日が傾き始め、森の中はひんやりと薄暗い。


「ここで待っとれ」

「ジンくん?」


 リーダー格の少年は手下たちにそう指示を出すと、顎をしゃくって勇樹にさらに奥へと進むよう促した。

 待機を命じられた子分たちは、意外そうに目を合わせあってる。


 道を少し進むと、神社が現れた。ボロボロに朽ちかけた小さな神社だ。社殿の彫刻は削れ落ち、屋根には苔がびっしりと生え、誰も手入れをしていないのがひと目でわかる。


「こいは八幡(はちまん)さまじゃ。武家がよく祀っとる、全国どこにでもある神様やな」

「はちまん……?」

「ああ、せやけど、ここらじゃ氏神(うじがみ)しか信仰されとらんけえ、ご覧の通りほったらかしじゃ」


 勇樹には何のことか分からず、黙り込むしかなかった。


「なんや、知らんのか。都会モンは、カミサマなんかに興味ないんやな」


 祠の縁に腰掛けた少年は、呆れたように笑った。


「八幡言うたら全国にあるじゃろ。昔、鎌倉幕府が自分らの権力を示すために広めた神様や。氏神ってのは、この土地の神様や。この村じゃあ、国のお偉い神様より、ムラの神様のほうが絶対なんよ。よそモンの神様なんぞ、誰も見向きもせん」


 ただの不良らしからぬ、理路整然とした語り口に勇樹は驚いた。


神谷仁(かみや じん)。ジンくんって呼べや」

「神谷……!? 神谷家の、ひとですか?」


 勇樹は息を呑んだ。あの寄り合いの席で、村人たちがカミの者としてひどく恐れていた一族だ。

 それに、今自分たちが住んでいる家の前の住人、村人から『リュウジさん』と呼ばれていた男の名字もたしか、神谷だったはずだ。


「高1やろ、同い年や。敬語やめろ」


 仁は飄々とした態度で言い放った。

 同い年。勇樹と同じく、高校生になったばかりだというのか。入学式当日から不良の真似事とは恐れ入る。

 屈託のない笑顔は天性の人たらしか、それとも、あのお屋敷で叩き込まれた帝王学のようなものか。どちらにせよ、あまり油断しないほうがいい。


「僕は、浅井勇樹。言っておくけど、争ったりする気はない。少なくとも、僕は(・・)

「……へえ、あっさり尻尾振ったりはせんか」


 仁は面白そうに口角を上げた。


「おたくら、もうずいぶん嫌われてるみたいやな。シモの奴らはヨソモンに厳しいけえな」


 おたくら、とは勇樹と晃一を含めてのことだろう。


「……あなたたちが、そう仕向けてるんじゃないんですか?」

「俺らが? ハハッ! ばかばかしい。むしろ俺は手助けに来たようなもんだ」


 仁は立ち上がり、勇樹に顔を近づけた。


「シモのやるお祭り。あれに参加したいんだろ、おまえの親父は」


 図星だった。晃一は祭りに参加したがっているが、よそ者であることや村のルールの壁に阻まれ、準備にすら参加できずにいた。

 仁は、にやりと笑って言う。

 

「『催合(もやい)』って知っとるか?」




 やっとの思いで家に帰り着くと、リビングのソファで晃一が待ち構えていた。


「勇樹、座りなさい」


 有無を言わせぬ冷たい声だった。


「鹿を片付けておくように言ったはずだね。庭の隅に引きずって置いておくことが、片付けになると思ったのかい?」

「あんなの……どうすればいいか分からなかったんだ」

「言い訳はしない。どうすればいいかわからなければ、聞けばいいだろう」


 聞いたところで、この男が親切に答えてくれたはずがない。これはただの儀式だ。勇樹の落ち度を追求し、心理的な負債を増やすための。


「……すみませんでした」

「もういい。鹿はバラバラにしたあと、庭に深く埋めておいた」


 晃一はコーヒーを(すす)りながら、事もなげに言った。


「そのままだと腐敗するだろうから、勇樹、おまえは毎朝、土と肉をよく混ぜるんだ。肉が地面に出ないようにしなさい。ハエが湧くと厄介だからね」


 淡々の述べられる死体の処理方法に、勇樹は怖気を感じた。

 話は終わりだとばかりに、晃一は立ち上がりかけた。

 勇樹は、恐怖を飲み込んで呼び止める。


「あ、待って——父さん。話があるんだ、お祭りのことで」


 お祭りという言葉に、晃一がピタリと足を止める。

 勇樹は、神社で持ちかけられた提案(・・)について話した。


「なに? 催合(もやい)?」


 神谷仁の話によると、『催合』というのは農作業や冠婚葬祭、家の修繕からトラブルの仲裁に至るまで、生活のあらゆる場面で互いに助け合う、地元民同士の相互扶助のネットワークらしい。

 この催合の関係を結んでいないよそ者は、村で何かあっても誰からも助けてもらえない。この集落に属するための条件であり、また、新参者がいきなり催合に入れるわけがないのだ。


 その催合に、仁が子分の親に口利きをすることで加えてもらえるというのだ。

 

「そうか、そういう裏道があったのか……山村くんという子だったな。学校で会ったら、お礼を言っておいてくれ」


 山村というのが、仁が口利きに使うと言っていた子分の名前だ。

 勇樹は、仁の存在は伏せておいた。この底知れない義父と、村の権力者である神谷家が繋がることは、直感的に避けたほうが良い気がしたのだ。


 晃一は、何か恐ろしいことを閃いたように、口元を歪めて笑っている。

 晃一も、仁も、何を企んでいるか分からない。だが、村で生き延びるためには、この得体の知れない提案に乗るしかなかった。


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