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男女比1:96の世界で、女性だらけの警察大学校に男一人で入学しました(1/96前日譚)  作者: Pyayume
三年目「隔靴掻痒」

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第29話「自殺未遂」

雪が降り積る夜は、静かだった。


同期達が再び戦地へと旅立って1か月たった寮の自室。


机の上には開いたままのノートと、未整理の判例資料。


だが、俺の視線はどこにも定まらない。


毎日毎日、頭の中で何度も『現場に出ない警察官』、『守られる存在』、『合理的判断』、そんな単語が反復されていた。


否定はできなくても、納得はできなかった。


ずっと思考が繋がらず、机の上のペンを手に取るが、すぐに置き、また手に取る。


そのとき、机の端に置いてあったスマートフォンが震えた。


珍しいことに着信で、画面に表示された名前を見て、一瞬だけ目を細める。


「……どうした。こんな時間に、珍しい。」


通話を取ると、聞こえてきたのは、いつもより僅かに硬い声だった。


『……あ、佐藤……夜にごめん。……起きてた?』


「気にするな、横峯。何かあったのか。」


横峯はすぐに答えず、呼吸を整えるような間があってから、言葉を選ぶように口を開く。


『大阪の件、知ってる?』


「大阪?」


『大阪府警。本部の……被害者支援課の男性警察官。』


俺の胸の奥が、わずかにざわつく。


「……知らない。何かあったのか?」


俺が短く問うと、横峯の声は、さらに低くなった。


『……………………自殺未遂。』


言葉が、静かに落ちた。


一瞬、意味の処理が遅れたが、すぐに理解する。


繁殖プラン適応プログラム終了時に渡される、適性検査結果が『男性警察官』のものも一部存在する。


男性警察官は極めて特権的な存在であり、数量が限られるため配置は『男性が必要な役割』である広報・男性被害者対応・男性被疑者留置等に限定される。


そのうち、『被害者支援課』の任務は『男性の誘拐・ストーキング・襲撃等の被害者からの聴取』であり、精神疲労態勢が強く、精液ランクが低い者の中から選ばれる職種だ。


「……理由は?」


『こっちの内部通達にはまだ出てない。でも……現場の人から聞いた。』


横峯の声に、微かな躊躇が混じる。


『うちの署の男性被害者の聴取、担当してたらしくて……』


そこで一度、横峯の言葉が切れた。


続きは、想像できる。


『男性には珍しく使命感が高くて、ワーカーホリック気味だったって。他の男性がやりたがらないような、きつい被害の……そういう被害者からの聴取と、メンタルケア……ずっと担当してたって……』


横峯は、淡々と事実を並べる。


『最初は、凄いって言われてたみたい。被害者への配慮も、聴取の内容も……』


プログラム受講後の職業告知は、合理的な配置が為されるはずで、間違っていない。


『……でも、入り込みすぎた。……被害者の話、きちんと聴取するために、全部自分のこととして、精神的に引き受けちゃったみたいで。感覚も、感情も、全部。』


俺の沈黙により、電話越しの空気がさらに重くなる。


『メンタル診断でも要休養出て、担当替えも提案されたらしいけど、断ったって。……自分がやらないと、この人たちは誰にも話せないって。』


その言葉は、どこかで聞いたことがあるような響きを持っていた。


責任感、使命感、そして自己犠牲の塊だ。


『……で、限界きて……休職も間に合わなかったみたい。男性職員寮の居室で……』


横峯の声が僅かに掠れ、言葉は最後まで言われなかった。


だが、十分だった。


部屋の静寂が、一段深くなる。


俺は何も言わなかった、いや、言えなかった。


横峯が、静かに続ける。


『今は命に別状はないらしい。でも……復帰は難しいって。』


その一言が、やけに重く響いた。


復帰できない警察官の上に、低ランク男性という事実が何を意味するかは、説明されるまでもない。


『……これ、どう思う?』


横峯からの唐突な問いだっためか、俺はすぐに答えられなかった。


思考が、別の方向へ引きずられていく。


守られる存在、現場に出られない理由、そして、今の話。


「……適切な配置だったと思う。」


俺の口をついて出たのは、冷たい言葉だった。


『え?』


「男性被害者の話を聞くために、被害者支援課がある。同性対応が合理的で、被害者の供述も引き出しやすい。」


俺は淡々と事実を並べる。


「問題は、その後の管理だ。低ランク男性を使い倒した組織や、メンタル診断結果を受けてから、強引に仕事を剥がさなかったことが悪い。」


横峯が、小さく息を吐く。


『……佐藤らしいね。』と、少しだけ力の抜けた声だが、その奥にあるものは消えていない。


『でもさ、それだけじゃないでしょ。……分かってるはずだよね。』


俺が言葉に詰まったのを受け、横峯は続ける。


『それ、佐藤と同じだって。』


横峯の静かながらも芯の有る声に、言葉が止まる。


『守られてる側も、壊れるんだよ。』


その一言が、深く刺さる。


守られているから安全なのではなく、守られているからこそ逃げ場がない。


役割から外れることが許されないという構造。


それは、俺が今置かれている状況と、どこかで重なっていた。


「……ああ。」と俺は短く答えた。


俺はそれ以上の言葉は出ず、横峯も無理に続けなかった。


『……ごめん。こんな時間に。』


「いや……」


そう言いかけた時、通話が切れ、静かに終わる。


スマートフォンの画面が暗転し、部屋は再び静寂に包まれる。


だが、先ほどまでとは違う静けさだった。


机の上の資料に目を落とすと、整然と並ぶ文字が目に入る。


法、判例、刑事手続、それらは正しいが、それだけでは人は救えない。


「……じゃあ、どうする。」と自分に問うても、答えはでない。


だが、1つだけ、はっきりしたことがある。


このまま、現場に出られないのなら、守られているだけなのなら、何もせずに終わるなら、俺もいつか線が切れるかもしれない。


ならばやるべきことを、やるしかない。


現場で起きていること、判断のズレ、構造の歪み、そう言ったものを、言語化していく。


「……机の上でも出来ること、刑事へのアプローチはある。」


呟きは、小さく部屋に落ちたがその言葉は、確かに形を持っていた。


現場に出られないなら、現場を理解し、介入する。


机の上からでも、変えられるものはあるというその可能性に、初めて手を伸ばす。


静かな夜の中で、思考だけが、確かに前へと進み始めていた。


---


まだ陽が昇りきらない時間帯の教場は、冬の冷気をそのまま閉じ込めたように静まり返っていた。


机に向かい、ノートを開くと昨夜書き出した言葉が、そのまま残っている。


<現場に出られないなら、現場の誤りを正す>


あとは踏み出すだけだ。


教場の扉が開く音がして、関が入ってくる。


いつも通りの無駄のない足取りで教壇に立ち、出席簿を開こうとしたところで、俺は立ち上がった。


「教官。」


静かな教場に声が落ちると、関の視線がこちらに向いた。


「……どうした、佐藤。今日の講義を始めるぞ。」


「お願いがあります。」


関との空気が、わずかに引き締まる。


「サンプルではなく、本物の捜査書類、それを管理しているシステムの閲覧許可を頂けませんか?」


俺の依頼に関の手が止まった。


「……理由は。」


「現場に出られない以上、現場の判断を補正する形で関与したいと考えています。」


俺の言葉は、迷いなく出た。


「送致にしろ不送致にしろ、顛末が分かっている記録であれば、法的構成と実務の接続を検証できます。教官からお話頂いた今後の私のキャリアパスからしても、有用に働くと思います。」


静まり返った教場で、関はしばらく俺を見ていたが、やがて口を開いた。


「……現場への還元を含めての業務だと思うが、還元はどう考えている。」


「実務上の誤った判断や、間違った解釈があれば見抜きます。」


俺の即答に関の目が、僅かに細くなる。


「捜査経験の無いものに出来ると?」


「それが出来ないということは、教官の示したキャリアパスが不適当だということになります。」


俺は、自身の評価が下がる覚悟で言い切った。


「警察、特に現場における法解釈は、実務上の慣習に引きずられた歪みがあります。それは、組織として是正したくても是正が困難な歪みです。それを指摘するのは、先入観の無い者だと思います。」


数秒の沈黙だが、長く感じられた。


やがて関は、ゆっくりと息を吐いた。


「……確かに他の者は現場で生の事件に触れている。同じ履修が出来ないなら、……そうだな。……いいだろう。ただし、条件がある。」


「はい。」


「単独使用は認めない。必ず私の立ち会いのもとで行うこと。それと、おそらく…」


関は一度言葉を切り、わずかに視線を外した。


「初回は、上の連中が来るだろう。」


「……上層部ですか?」


「ああ。前例がない運用だからな。厳しい監督の目が付くと予想される。それに、生臭い事件記録を、男性が見るに堪えるのかという確認もあるだろう。」


それは、大阪の自殺未遂の件を踏まえれば当然の判断だった。


「それにな、2年連続主席なのに、現場派遣無しだからな。……今年の評価をどうするかという声があったが、……上層部に来てもらえれば、それがそのまま佐藤の試験になりそうだな。」


合理的であり、俺には絶好の機会にも思える。


「構わないな?」


「問題ありません。」


結果を示す相手としては、これ以上ない。


関は小さく頷くと、出席簿を閉じた。


「準備しておけ。今から上に報告する。」


それだけのやり取りで話は終わったが、空気は明らかに変わっていた。


関は何も言わないが、その判断は一種の賭けだろう。


俺が結果を出す前提でしか成立しない判断ならば、応えるだけだ。

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