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男女比1:96の世界で、女性だらけの警察大学校に男一人で入学しました(1/96前日譚)  作者: Pyayume
三年目「隔靴掻痒」

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第27話「意志堅固」

残暑厳しい初秋から始まった1人だけの教場。


同期たちはそれぞれの配属先へと散り、教室に残ったのは俺だけだった。


黒板の前に立つ教官と、空席だらけの教場。


形式上は講義ではあるものの、実態は個別指導に近かった。


過去の捜査書類の精査。

供述調書や不同意報告書の構造・傾向分析。

証人出廷時の質問設計と証拠能力の検討。

類似事案判例の変遷整理。

刑事手続上発生した訟務事案の再発防止検討。


扱う内容は決して軽くなく、むしろ実務に直結するものばかりだった。


だが、それらは全て机上で完結する。


証拠品に触れることはあっても、それが現場からどう回収されたかを体感することはない。


供述を読むことはあっても、その言葉がどのような空気の中で引き出されたのかを知ることはない。


俺が取り組んでいる事は、重要で意義深いとは分かっている。


捜査は積み重ねであり、先人達が必死に積み上げてきた過去の記録から導出される理論なくして成立しない。


それでも、この三ヶ月。


俺は一度も現場に立っていない。


走ることも、追うことも、対峙することもなかった。


俺に与えられたのは、極上の静けさだった。


学習効率はその分上がり、現場で使える座学が充実していった。


同期が皆、泊まり勤務についていることを考え、余暇を削って学習時間に当てた。


記憶の中にある現場の匂いを、なるべく現時点の法律で引き直して、ノートの上で再現した。


だが俺の中で、何かが決定的に欠けている感覚だけが、消えなかった。



そして、十二月中旬、同期たちが一時戻ってきた。


実務修習も折り返しとなり、教官への経過報告のため集められているのが理由だ。


教場の空気が、明らかに変わっていたことに気づいているのは、俺だけなのだろうか。


静かなのは同じだが、以前より落ち着いている感覚が有り、静けさの質が違うようだ。


それは恐らく、経験を持った人間の静けさだった。


3ヶ月という短い間だが、現場で揉まれて揃った同期たちは皆、何かを持ち帰っている。


「……で、被疑者が急に走り出してさ。咄嗟に追いかけたんだけど、ああいう時って本当に足が動くんだね。」


朝倉の少しだけ抑えた話し声が聞こえた。


以前のような軽口ではなく、実感を伴った言葉だった。


「分かる。私も似たようなのあった。頭では分かってても、実際に動くと全然違う。」


朝倉の隣にいた干川が頷く。


その表情には、これまでになかった種類の真剣さを感じた。


「……被害者の人、最初は全然話してくれなくて。でも、最後にちょっとだけ笑ってくれたんだ」


その一言に、誰かが大声で共感した訳でもないのに、教場全体に分かるという沈黙が広がる。


各々が体感した現場、その共有が成立している空間かのように。


その空間に俺だけがいない感覚。


視線が何度かだけこちらに向くが、すぐに逸らされる。


皆が俺に気を遣っているからこそ、誰も俺に話を振らない。


それが、余計に距離を強調していた。


その沈黙を破ったのは、やはり横峯だった。


「……佐藤は、どうだった?」


自然な問いかけだったが、教場の何人かが一瞬だけ動きを止める。


その所作には、それを聞いていいのかと言わんばかりだ。


「講義と、資料分析が中心だった。過去の捜査記録の精査と、法的整理。」


俺は事実だけを述べると、横峯は「そっか……」

と言いそれ以上踏み込まなかった。


おそらく、踏み込めないと判断したのだろう。


その様子を見ていた朝倉が、俺に向かって軽く笑う。


「でもそれ、かなり重要じゃない?現場って結局、後ろがしっかりしてないと回らないし…」


あからさまなフォローだが、言葉の選び方が慎重すぎて、逆に距離が出る。


「……うん。そうだね。」


干川も頷くが、前のような距離の近さはない。


姫野は何も言わず、ただ一度だけこちらを見て、すぐに視線を戻した。


最上は腕を組んだまま、静かに口を開く。


「現場は、記録通りには動かない。記録で理解したつもりでも、意味はない。」


それは、端的な言葉での事実提示だった。


「人は想定通りに動かないし、一つとして同じ現場もない。だから、その場で確実な判断をするしかない。」


最上は俺と視線は合わせないが、その言葉は明確にこちらへ向けられていた。


「……分かってる。」


俺は反射的にそう答えた。


前世で、何度も経験してきた。


現場は理論を裏切るし、人間は予測を外れる。


だからこそ警察官は、現場での判断力を、現場で鍛えなければならない。


俺は知っているはずなのに、今の俺はその場に立っていない。


前と同じことを、この身体で経験していない。


その差が、言葉にならない違和感として残る。


会話は自然と再び同期たちの間に戻り、誰も俺を排除しようとはしていない。


ただ、共有できないものがあるだけだ。


それだけで、人は同じ場所に立てなくなる。



その日の夜、寮の自室でノートを開き、現場判断に必要な要素を並べていく。


状況把握、根拠法令、危険予測、即時報告、対象心理、動線確保、証拠保全。


どれも理解しているし、どれも説明できる。


なぜなら、どれも、前世で使ってきたものだ。


だが今の自分に、それを使った実感がない。


この身体、この細胞、この神経に刻み込まれていない。


息が上がる中で判断した記憶がない。


目の前で人が泣く中で、言葉を選んだ経験がない。


走りながら、次の一手を決めた感覚がない。


知識や経験があるのは、過去の別の自分のものであり、今の俺ではない。


ノートを閉じて天井を見上げると、静かな部屋に、昼間の空気だけが残っている。


あの場に立てず、同じ空気を共有出来ないという事実が、初めて明確な形を持つ。


この身体では、警察官として認められない。


それが胸の奥に、鈍い重さとして沈む。


それでも、『刑事になりたい』という意思だけは、揺らがなかった。


足りないものが分かったからこそ、このままでは届かないと理解したからこそ、その距離をどう埋めるか。


答えはまだ出ていないが、1つだけ確かなことがある。


このままでは終わらない、終わらせない。


その確信だけが、静かに残っていた。

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