13章 3
「あー、びっくりした」
母さんがやっと喋ったのは、船が出発して五分程経ってからだった。
二階の展望デッキで、海風を受けながら母さんは気持ちよさそうに目を細めた。
十一月の末で、東京は随分冷え込んできているが、愛媛はまだ温かい。
タケさんや千尋は、これくらいでも「寒い寒い」と言っていたから、きっと体温がバグっているんだ。
一緒に来た母さんも、
「こっちはちょうどいい気温ね」
と、目を細めているんだから。
母さんと船に乗るのは、初めてだったけれど、どうやら船酔いはしない体質のようだ。
「千尋と船乗った時、散々だったんだよ」
オレが喋ることを、うんうんと頷いて聞いていた母さんは、ふいに目を細めた。
「千尋さん、船、苦手なのね。それなのに陽太のために乗ってくれたんでしょう? ありがたいわね」
母さんの言葉に、オレは小さく頷いた。
「本当にさ、お節介なんだよ。千尋って。タケさんもだけど……」
「そう」
母さんは続きを促すように、相づちを打った。
「でもさ、あの二人がいたから。離婚の話し合いが終わった、って聞いた時も冷静でいれたし、家族バラバラで暮らしていても、平気」
「そっか」
母さんは少しだけ悲しそうな顔をして、オレの頭をそっと撫でた。
タケさんとは違い、優しい手つき。
小さい頃と同じ感触なのに。
いつの間にか、オレは母さんと同じくらいの身長になっていた。
「いつの間にか、大きくなっていたわね」
母さんは笑顔になる。オレは胸をキューッと締め付けられる。
作った顔だと、知っているから。
「無理に大人にさせちゃったね。ごめんね」
「いや……」
オレは首を振った。
確かにさ、しんどかったよ。
父さんと母さんの望むように出来ないことが。
同時に、オレは知っていた。
父さんと母さんが、オレを大切に思ってくれていたことも。
オレはここに来るまで、自分の置かれている環境が恵まれているって、正直理解していなかった。
だってオレの周りは、小学生から塾に行って、親の金で大学まで進学するのが当たり前だったから。
でもさ、それってめちゃくちゃ幸せなことだ。
進学先を選べるということ。そして、自分がやりたいと言ったことには、ポンッと金を出せること。
オレはずっと東京にいて。更に二十三区内では学力が高いエリアに住んでいたから、それが普通だと思ってしまっていた。
それってさ、父さんが歯を食いしばって稼いでくれているからだし、母さんが教育熱心っていうのもあって、勉強する環境には困らなかった。
負担に感じていた部分はあったよ、もちろん。
これだけ金をかけてもらっているのに、何の成果も出せていないし。
贅沢な悩みだよな、よく考えると。
けど、東京にいた時のオレは、めちゃくちゃ視野が狭くて、自分だけが不幸だと思っていた。
両親共々、ダブル不倫しているなんて、ネットしている時に出てくる、マンガの広告でしか見たことないんだから。
自分だけが苦しいんだと勘違いしていたけれど、父さんも母さんもしんどかったんだと思う。
自分たちが良かれと思ってしている行為が、ことごとく失敗するのだから。
だって、オレが気持ちをちゃんと伝えたら、理解しようとしてくれるんだから。
オレは、母さんから目線を外し、海を眺めた。
ギラギラ照り返していた夏とは違い、秋の海は穏やかに見える。
油断したら、自然の脅威に飲み込まれてしまうと分かっていても。
美しく、どこまでも続く壮大な姿に、来るたびに見とれてしまうのだ。
ここにいたら、東京で悩んでいたことなんか、ちっぽけなことに思える。
そうさせてくれたのは、海と。
認めたくはないけれど、タケさんと千尋のおかげだ。
いや、それだけじゃない。
今治の町と、ここに住む人のおかげだ。
東京よりもゆっくり時間が過ぎる町。
かと思えば、夜は早くに店は閉まるし、子どもだけで遊びに行ける場所なんて、限られている。
「東京には、何でもあるんやろ? うらやましい」
塁斗たちに散々言われたけれど。オレからしたら、塁斗たちの方がよっぽど、うらやましい。
だってさ、東京にあるものって、金さえ出せば手に入るものが多いんだから。
オレは、オレは……。
「父さんと母さんがオレのために、色々してくれたのは知っている。けどさ、オレは……」
これを言ってしまえば、母さんを傷つけてしまう。それでも、オレはその台詞を口にした。
「タケさんや千尋みたいに、もっとオレのことを見て欲しかった。受験のための勉強じゃなくて、生きるためらっていうの? そんなことを一緒にしたかったし、三人で食卓を囲んで、他愛のない話で時間を過ごしたかった。家でのんびりとゴロゴロ転がりながら、配信見たり、音楽を聴いたりしたかったんだ」
横目で見た母さんは、案の定、ツラそうな顔をしていた。
でも。
ごめんね、とは言わなかった。
代わりに。
「本音を話してくれてありがとう、陽太」
と言った。
オレはその言葉に、思わず泣いてしまったのだった。




