7章 3
「……千尋」
オレが部屋から出て、声をかけたのは、夕方だった。
「なあに?」
今日の夕飯は、タケさんが作っているようだ。千尋は一階の居間でパソコンに向き合っていた。
視線を上げず、返事をする千尋。
さっき起きたことなど、何もなかったかのように接してくる。
オレは部屋で出した決断がにぶらない内に、聞くことにする。
「……教えてよ」
「ん? なにを?」
「結婚していた、と知って付き合ったの?」
千尋は初めて、目を上げてオレの顔を見た。
「……知らなかったよ」
ポツリと呟いた千尋は、苦しそうな表情を浮かべる。
「なにを言っても、後からだから言い訳にしかならないけれど。バツイチって聞いていたの、私は。既婚者だと知っていたら、付き合わなかった」
「……言い訳だね」
「うん。そうだよ」
千尋は、きっぱりと言い切った。
「知らなかった、と言っても、一つの家庭を壊したのは、事実だよ。だから、ケガしたことも、仕事を失ったのも、当然だと思っている。二度と会わないように、って、今治に来たのも」
千尋のセリフに、熱がこもる。
「東京に居られなくて、逃げてきたの」
「そんなこと、無いやろが」
いつの間にかタケさんが、居間の入口に立っていた。
千尋は、タケさんに振り向いて、「聞いていたの?」と首をかしげる。
「聞いていたの、じゃないわ。っていうか、そんなこと、思ってたんか?」
「うん」
千尋の言葉にタケさんは、はぁ、としゃがみ込みながら、ため息をついた。
「言えばよかったやんか、俺に。いつでも話、聞いたるのに」
「ダメ。これは私が持っていないと、いけないことだから」
千尋はオレに向かい合った。
そして。
「だから、ちゃんと考えてね。その場限りじゃなくて。タケちゃんはともかく、私は汚い大人だし。それに……」
「それに?」
「東京よりも、確実に人との距離は近いから。私は、気にかけてくれる人の温かさに救われたけれど。みんなが合うわけじゃない。……そんなこと言ったら、どこでも同じだけどね」
この間、どこかで聞いたような話だ。
そうだ、タケさんだ。
祭りの日、タケさんが詰所で話していたんだった。
タケさんだけじゃなくて、千尋までわざわざ言ってくる。
そんなに、こっちで生活するのが大変なのか、とオレは少しだけビビってしまった。
反論しなくなったオレに、千尋は微笑む。さっきとは違い、イタズラを企んでいるような目だ。
「それにさ。陽太くんにはもう一つ、考えないといけないことがあるよ」
「な、なんだよ?」
ドキドキしながら、オレは答える。
そんなオレに、千尋は厳かに告げた。
「進路。少なくとも、高校は行くでしょ? そうすると、高校の数は東京に比べて、グンと減る。人口が違うんだから。それに公立校なら、内申点も関係してくるし」
「ああーっ!!」
思い出したくないことを!
中学受験を辞めたとはいえ、高校や大学は受験しないと入れない。
将来の夢は、まだない。
けれど当たり前のように、大学まで進学するものだと思っていた。
父さんも母さんも、大学を出ていたから。
「そりゃそうやな」
タケさんも納得顔で頷いた。
千尋はフォローするように、言い添える。
「選択肢がない、ってわけじゃないよ、話しているのは。今は通信制も充実しているし、松山にある私学まで通っている子もいるって聞くから、陽太くんが決めさえすれば、どんな方法でも取れる」
「……よう知ってんな、そんなこと」
タケさんは感心したように、頷いた。
「そんなことを話せるくらいには、私もここに馴染んでいるから」
千尋はニコッと笑った。ようやくいつもの千尋らしい顔。
タケさんも安心したように、息を吐いて笑った。
「それならええ。さて、と」
タケさんは、オレの方を見た。
「陽太が本当にこっちに居りたいんなら、いつでも口添えしたる。やけん……」
一呼吸おいて、諭すような口調になった。
「本当にここに居りたいんか、しっかり考え。進路のこともそうやし、今治で過ごしていけるんかも。もちろん、俺と千尋と暮らしていけるんかも。一時的なんと、長い間住むんとでは、また話が違ってくるけん」
「…………はい」
神妙に頷いたオレに、タケさんも千尋も、優しく微笑むのだった。




