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海にいだかれて  作者: 雪本 風香


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4章 1ー③

「大丈夫なの?」

「何がや?」

「走って。タケさん結構年……。ってぇ!!」

 オレのイヤミに、飛んできたのは、ゲンコツだった。

 とっさに痛い、と言ったけれど、コツンと触れるくらいだ。痛みはない。

 タケさんが手加減しているのは、充分に伝わってくる。


 実際、タケさんみたいなガタイのいい男に本気で殴られたら、オレなんか簡単に吹っ飛ばされてしまう。

 タケさんには、見破られている。


 オレが皮肉を言っているのも、それで何とか胸の痛みをごまかそうとしていることも。

 反抗期を装って、歯向かいながら、心のバランスをとっているのも。


 くそぅ、ますますガキっぽいじゃんか、オレ。

 でも、こうすることでしか、泣かずにいられない方法が分からないんだよ!

 気を抜くと、今朝みたいにピーピー泣いちゃいそうなんだから。


 そんなことを考えているオレの頭に、タケさんはポンッとてのひらを乗せた。

 そして、ぐしゃぐしゃと撫で回す。


 タケさんは、よくオレの頭をこうして撫でてくる。

 大きい手で、少し……いや、だいぶ大雑把(おおざっは)に撫でてこられるのは、恥ずかしいんだけど。


「嬉しいんだよなぁ……」

「ん? 何や?」


 聞こえていたはずだ。だって、タケさんの手の動きが、激しくなったのだから。

 なのに、この人は……。

 ニヤニヤとしながら、オレを子ども扱いしてくる。平日だから少ないとはいえ、人はいるんだぞ!?

 チラチラとこっちを見てくる視線に、居た堪れないじゃないか!

 

「ちょっ! やめろよ! 髪の毛、乱れるやろ!」

 振り払ったオレを、タケさんは笑って見下ろした。

「人を年寄り扱いした、バツや」

「じゃあ、いくつなんだよ!?」

 売り言葉に、買い言葉のオレの質問に、タケさんは胸を張る。

「まだ三十になったばかりや。まだまだ若手やぞ?」

「え!? 三十歳ってことは……オレの二倍以上……ってえな!」

 盛大に驚いたオレの頭を、ゲンコツが炸裂(さくれつ)した。もちろん、痛みはないけれど。


「何すんだよ!?」

 聞き捨てならない、とタケさんは、オレの(ほお)を引っ張る。

「どの口が、言いよんのや? え? この口か?」

「ひゃめぇろ!」

 オレはバシッと、タケさんを突き放した。


 タケさんは、オレを見下ろしながら、静かに口を開く。

「勝負や、陽太。どっちが()よ三周回れるか。負けた方が、勝った方の言うこと、聞くんや」

「そんなの、やるかよ! そもそも走る気、ねぇし!」


 タケさんは、不敵(ふてき)という言葉がぴったりな笑みを浮かべた。ついでに腕組みなんか、している。

 エラそうに。

 オレが思ったと同時に、タケさんは口を開いた。

「ということは、俺の不戦勝(ふせんしょう)やな」

 

 カチンと来る言い方は、さすがだ。

 ってか、本当に三十歳なのか。精神年齢、オレと同等じゃない?

 自分がガキなのは、自覚しているよ。でもさ、売られたケンカは買わないと、男がすたるじゃん?

 

「明日、動けなくなっても知らないよ?」

 オレのセリフを鼻で笑ったタケさんのワードが、スタートの合図だった。

「海の男を、舐めんなや」

 

 同時に走り出したオレたちは、すっかり忘れていたんだ。


 これが、おまじないだということを。

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