3章 3
「あれ、タケちゃん、仕事は?」
七時ちょい前に起きてきた千尋が、驚いた顔を浮かべた。
さすがにその時にはもう、涙は引っ込んでいたけれど、千尋だって気付いてはいるだろう。
さっき顔を洗いに行った時に、洗面所の鏡で見たオレの目は真っ赤だったのだから。
タケさんは、泣きじゃくるオレに気を遣って仕事を休んだ。
オレが休ませた。
「こっちの方が重要や。それに一日くらい休んだところで、影響あるような働き方、しとらんけん、心配すんなや」
そう笑うタケさんだったが、簡単に出来る判断じゃないのは分かる年だ。
タケさんに言わせると、「まだまだガキや」そうだけど。
オレが仮に、父さんと母さんの前で同じように泣いたとしても、仕事は休まない。
「帰ったら聞くから」
と言って、うやむやにして終わりにするはずだ。
昨日、初めて会ったばかりなのに。
優しくしてくれるタケさんに、申し訳なくて。
「……ごめんなさい」
気づいたら、オレの口から謝罪の言葉が出ていた。
「そんなの、かまへん。大したことやないわ」
タケさんが、気にするなというように、オレの頭を撫でる。
「そうそう、気にしなくていいよ。タケちゃんは悩める親戚を、引き寄せる星の下に生まれているから」
顔を上げたオレの上から、タケさんの呆れたような声が振ってくる。
「こら、千尋。俺が悪いみたいに言うなや」
「だって事実でしょ」
そうして、オレと目線を合わせた千尋は、やっぱり父さんの浮気相手の女によく似ていた。
「でも安心して。タケちゃんは、自分がイヤなことは一切しないから。だから、今日仕事休んだのも、タケちゃん自身が陽太くんの傍にいたいと思ったからだよ」
「そんなこと言われたって……」
目を逸らせたいのに。千尋の目が何かを訴えてくるから、できないままのオレに、千尋は呟いた。
「困るよね、こんなことされたら。重いよね」
オレは千尋のセリフで、ようやく自分の中のモヤモヤを、うまく表す言葉を見つけられた。
「責任、取れないから。オレは……」
「うん」
「今日オレのせいで休んで……。クビとか、仕事無くなったら、オレには責任、取れないじゃん」
「そうだね。気にしちゃうよね」
千尋の後ろで、タケさんがしまった、と顔をしていたのが見えた。
違う。そんな顔をしてほしかったわけじゃないんだ。
嬉しかった。オレのために仕事を休んで、傍にいてくれるのは、本当に嬉しかったんだ。
でも、同時に。
「罪悪感はあるよね、自分のせいで会ったばかりの人間に、急遽休みを取らせた、って思うと」
そうなのだ。オレのせいで、タケさんは……。
その時。
「……ったく。なんや、二人とも。気ぃ遣いすぎやけん」
ため息交じりに吐き出されたタケさんの言葉に、オレと千尋は顔を上げた。
「東京の人間は、みんなそうなんか? 人の顔色ばかり伺って生きとんか?」
「そんなことはないけれどね」
千尋は立ち上がると、タケさんに向かって微笑んだ。
「でも、慣れないのよ。タケちゃん基準の優しさを与えてくれる人って、中々、いないから。生き急いでいないと、取り残されちゃうしね」
「大変やな、都会で暮らすんは。目の前のことだけ見よって、生きたらええのに」
タケさんのセリフに、千尋は笑いながら首を振る。
「それが出来たら、苦労しないのよ」
しみじみと呟く千尋の言葉に、オレは静かに頷いたのだった。




