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怨鎖 ~蟲獄~  作者: 玉部×字
其の二 西原は守れない

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8/30

壱 虫九皐に鳴き、声谷に谺す


 飛鳥馬山を上る朝日とともに、目覚めた蝉たちは盛んに鳴き始める。

 それは里の西側にある俺の家にも届くほどで。国道の繁華街から少し外れた里では山からもっとも遠い位置の我が家でも、目覚ましの要らないくらいに五月蠅い。


 だから日課の早朝のランニングも遅れることなく出発できる。

 コースは適当に田畑の中だ。ただ夏は主に田んぼの隣を狙う。この時期、田んぼのあぜ道はまだ水が張っているお陰がかなり涼しい。


「先生、おはようございます」

「おはようっす!」

「おう、おはよう。軽トラに気を付けろよ。そろそろ畑に出て来るからな」

「はーい」


 近くに住む生徒たち3人も同じ理由でコースを選んでいるのか毎朝すれ違う。

 坊主頭の野球部、センター分けのバスケ部、細く絞られた身体の陸上部。

 いつもの面子だ。部活はバラバラで、自主的に体力づくりで走っているらしい。


 仲のいい友達同士、部活は違えど朝から自主練。

 3人並んであぜ道を走る姿を見るたびに、畑仕事に来る軽トラに注意をするが。

 すれ違った後は頬は緩みっぱなしだ。


 だがそれと同時に寂しさも感じる。

 昔は違った。もっと居た。

 子供たちは確実に減っている。年々クラスの人数が減っている。

 いずれ違う学年なのに同じクラス。という日も来てしまうかもしれない。


「守らないとな」


 だが、その決意は無為に終わった。

 スマホが震えた。

 立ち止まらず取って、画面を見ると『澤さつき』――慌てて通話。


 電話越しの澤さんの声。涙ながらで言っている言葉ははっきりしない。ただ一つ、分かったのはお嬢様の訃報だった。

 俺は取る者も取らず、スウェット姿のまま車を駆った。


 既に坂にまで警察車両が溢れている。途中で車を乗り捨て坂を駆け上った。

 警官が止めるのも無視した。

 息が苦しくても走った。

 靴も脱ぐのが煩わしくてそのまま三和土に飛び乗った。

 100mダッシュのように全力で廊下を駆けて一番奥の人だかりに向かう。

 スーツの刑事を押しのけ、部屋に入る。

 泣きはらす澤さんと、見知った警視の間に身体を滑らして――見えた景色に叫ぶ。


「おおおおぉぉぉっっ!」


 赤く染まった部屋の中央、仰向けの吾妻亜麻子からはどうみても魂が抜けていた。


 俺の家、西原家はその名の通り西の平野に居を構えた一族だ。

 山間の里の狭い平野部は低い石高の大半を稼ぐ。

 また高い山に囲まれた里の唯一の外界への進路でもある。

 街道を整備して交易も行われ、里の中心へと発展した。

 それは近年の平和な時代があってのこと父は言った。


『平和な時代の物流の経路は争乱の時代の侵入経路となる』

『里の西に住む家の者は飛鳥馬を守る盾とならん』

『この里を守る義務がある』


 幼少期よりそう言われて育った。

 それが西原という家に生まれた誇りでもあったのだ。

 為すことを出来ずに、早くに命運尽きた父の代わりに守らなければならない。


 それゆえ贄に死体を使うことを考えたのだ。

 吾妻は支配者たらんと、贄を自前で用意する。

 血を守るための方策だったというのに。

 子を守る秘策であったというのに。


 結局、俺には何もかも守れないのかもしれない。


「西原君――落ち着いた?」

「すみません、竃土かまど警視。お手数かけました」


 警視に連れられ庭の東屋の椅子に座ることになった。

 花に囲まれた白い洋風の東屋。大の男2人には据わりが悪い場所だ。

 だとしても、ここに座るべき人はもう居ない。


「いいのよ。西原君の気持ちは分かるつもりよ。私だって警官よ? 里を人を守ろうって思って目指した仕事だもの」

「ありがとうございます。ただ――お嬢様は若い。これからだったというのにっ」

「そうねぇ。ただでさえ子供が少ないってのに。まだ18歳でしょう」

「それで警視。一体何が?」


 竃土かまど警視――公子の叔父に当たる人。言葉遣いはおネエで、パーマをかけたようなウェーブがかった癖っ毛で、腰にしなを作る所作が癖だが、歴とした二児の父。

 しかも良識人。だが同時に飛鳥馬の人間でもある。俺が聞けば捜査情報は幾らでも教えてくれる。というよりそのために警視という身分でありながら一番に来たはず。


「今現在の――って前置きするわよ?」

「はい」

「首を斬ってて――頸動脈までね。見た感じ自殺じゃないかって」

「自殺ですか?」

「ええ、ご両親を亡くしたばかりだし」

「彼女は吾妻のお嬢様ですよ?」

「そうは言っても多感な時期だからねぇ」


 少なくとも12年前、俺たちとともに”虫入り”を見ていた様子からはだ。

 まだ小学生上がりたてだというのに――正直吾妻家は胆力が違い過ぎる。


「それに躊躇い傷があって――あんまり首でって聞かないんだけどね。あとパソコンを見てたみたいよ。ご両親の。っても、大したものはなくて。吾妻家の持ってる法人の資料ばかり。公益とか一般だとかの社団法人とか、福祉系の法人とかのばっかで、自分宛ての何かがなくてがっかりしたとかじゃない?」

「他には? 自殺でおかしいところは?」

「っても私たちも来たばっかだからね。あ、引っかいた跡が一杯あるって」

「引っかき傷――ですか」

「いえ、引っかいた跡。傷じゃないわ。こう爪で軽く薄皮を切ったくらいの」

「爪で――全身を?」

「ええ、ほとんど全身にあるって」

「馬鹿な――まさか」


 嫌な予感がした。

 見えた気がしたのだ。

 お嬢様を包む影を――身体中を引っかく足を――


「失礼、警視。他の面々に連絡をしたいのですが」

「ああ、うん。公ちゃんにもまだ連絡してないから。西原君お願いね」

「――はい」


 案に公子に連絡しろと言っている。

 多分、竃土かまど警視は気を利かせてくれたのだろう。


 警視は前からそうだった。父と年が近く仲が良かった。

 家に公子を引き取る時。まだ高校生の俺の代わりに矢面に立ってくれたりもした。


 スマホを取り出し警視に背を向け、しばし逡巡。

 取り出しただけだというのに、手は勝手に『竃土かまど公子』の電話帳を開いていた。

 警視に言われたからでない。いつもの癖だ。

 そしていつも通り『通話』を押す。


 ベル音はした。

 二度、三度とベルが鳴る中、画面を凝視。

 通話に切り替わる瞬間に受け取って耳に。


『ただいま電話に出ることが出来ません。ピーとなりましたら――』


 いつも通り流れて来たのは電子音だった。


「あら、出ない?」

「ええ、寝ているのでしょう」

「ええ、そう、勿論そうよね」


 警視から更に一歩遠のいて、次は幾人に電話を掛ける。

 聞かせられない話だ。警視も察して「じゃ戻るわ」と言って去る。


「運戒だ」

『やあ、戒兄かいにいどうしたの? 警視に連絡? ああ、みこ寝てたんだ? じゃあ僕から連絡しとこうか?』

「ああ、それはいい。もう来てるからな。それよりお嬢様が亡くなった」

『何、は? 家出? 東京が恋しくなったとか? 昨日いじめすぎちゃったかな?』

「違う。居なくなったじゃない。亡くなった。死んだ。いや恐らく殺されてる」

『はあっ?! ちょ、ちょっと待ってよ。昨日の今日で? え、じゃあ吾妻の血統は滅んだってこと?!』

「ああ、残念ながら。正真正銘――もう吾妻はいない」

『え、ちょっと待って? 殺されてる――って目の前にいる?』

「ああ、邸宅には居る。亡骸も見た。首を切られている。それと全身に引っかいた跡があったそうだ」

『うへぇ、血だらけ? 気持ち悪――ゲロゲロ』

「ふざけてる場合か。それに傷じゃない引っかいた跡だ」

『はいはい、跡ね。それが? 今際の際に引っかいただけじゃないの? 甘引っかきって感じで』

「なんだそれは」

『亜麻ちゃんだけにね」』

「ふざけるなと言ったが」

『怒らないでよ。大体引っかいた跡がなんだってのさ』

「儀式を思い出さないか」

『思い出さないよ。食うでしょあれなら』

「だが、他に全身を引っかくことがあるか?」

『だからあれでもそうはならないって。大体穢土(えど)はどこから調達するのさ』

「それは一つだろう」

竃土かまどの本家が? 当主に断りもなく? あ、それはめっちゃしそう。えい君のこと、未だ根にもってるもんなぁ』

「だろう?」

『でも意図がわかんないよ。なら俺らと対立してる亜麻ちゃんやらないって』

「取引ということは考えられるだろう?」

『取引――あーんーそこが出て来る?』

「分からん、乙爺おつじいなら何でもやりかねない。お嬢様を気に入り兼ねないしな」

『いやータイプ全然違くない? もっとこうムチムチとした――いや、ま、いいか。あの爺は結局誰でもやりそうだしね』

「ああ、だから俺は乙爺おつじいのところにいく。どの道知らせなきゃならないしな」

『ああ、気を付けてね。俺は竃土かまどの家を探っておくよ』

「頼む」


 小木坂田の家は里の中央北にある。吾妻の家と飛鳥馬神社への道の合流する地点を北に少し上ったところ。

 そこに木々もまばらなやせこけた土地がある。

 緩やかな丘陵で、かつては里で使う炭を焼くための場所だった。

 木を使い過ぎた結果、虫も木も人すらも遠ざけるように寂しくなった土地。

 里の者であるならば誰も近寄らない。

 里の者でなくとも不気味で遠ざかる。


 嫌な雰囲気のこの土地一体が、小木坂田の支配領域だ。


「おい! 乙爺おつじいはいるか?」


 丘陵地帯の入口の、今にも潰れそうな小屋の前で声を上げた。

 降りるのも面倒でパワーウインドウを下げてそのままで。


「あいあい、どなた―ああ、西原の坊ちゃんじゃありませんかー」

「今はもう当主だ」

「ああ、そうでしたーそうでしたー」


 小屋を軋ませ、転げそうになりながら扉を壊さん勢いで老人が出て来た。

 眼窩は落ちくぼみ、眼から光は消え去り、それでいながらたるんだ腹をしている。未だ爺か婆かも分からない老人が。


「それでー? なんですかー?」

乙爺おつじいはいるか?」

「あー乙太様は工房に籠ってー」

相依あい様の神葬祭にも出なかったが生きているのか?」

「へーへーそりゃもう。ここ三日籠ってますー」

「じゃあ、向こうに居るんだな?」

「しかし、今はーねー? お邪魔できません」


 小さくなった歯、ヤニで汚れた黄色い歯の隙間から空気を漏らすように笑った。


「居るなら。通るぞ」

「へーいいですがー今はーねー? お邪魔してどうなってしまうかー」

「構わん!」


 再び笑う老人。拭えぬ嫌悪感。目を逸らすして、舌打ちして、アクセルを踏んだ。

 坂を登って丘を越えればすぐに立派な家が出迎える。

 二棟の平屋。瓦も欠けがなく、壁にも穴はなく、塀には釜が並べられていた。


「吾妻家の神葬祭に出ず、三日籠ってるか――まずいな」


 車を飛び降り、門を潜る。

 と、響く金属音。槌で鉄を打つような音だった。


「まさか、虫釜作りに没頭してる――時期が時期だけにありえるか?」


 そういって大きい方の平屋、両開きの開口部を広く取ってある工房に入る。

 が、そこは無人。

 3mの巨大釜の周りに人影はなく。金属音も母屋からだった。


「母屋ってことは――ちぃっ、またか! あの変態爺がっ!」


 慌てて踵を返して、今度は母屋の木戸を開いた。


――カン! カン!


 音が一際大きくなる。そしてそれは鉄を叩く音だけじゃないと気付いた。

 鉄の音だけじゃなく、もっと水気のあるものを叩く音が混じっている。

 いや違う。潰すような、叩き潰す時の音だ。

 そう例えばかぼちゃ、トマトのような。


「ふーっ! ふーっ! ああっ! 外れてっ外れてっ」


 女が居た。顔を真っ赤に染めて、厳めしく歪んだ形相の女だ。

 女の手が盛んに上下に振られていた。

 ふり乱す髪を一緒に掴んで千切れているのも構わず振り下ろされていた。


 見知らぬ女だった。

 けども、それは見たことがあった。

 餓鬼のように下腹の膨れた痩せぎすの爺。

 獄卒に繋がれたように鎖をまかれ、悪鬼の持つようなイボついた鉄塊を手にして。

 何度も何度も餓鬼の頭に振り下ろしている。


 グシャグシャに潰れて、血と骨と脳しょうが混じり合ってヘドロになって。

 たかる虫と狂乱した人間で出来た――見知った地獄がここにあった。



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