伍 虫と釜の使いよう
12年前の儀式の時。
私は母さんに連れられ東館で行われる虫入りの儀式に同席をした。
代替わりしたばかりのみこちゃんと、先生とで勉強も兼ねての会だったから。私と辰巳の次期当主もついでに経験をさせるとのことで参加を許された。
煉瓦の壁、閉ざされた鉄扉に楔打つ閂を縛る鎖を外して入った。
中に入って初めて八角形の建物。
土中に埋められた大きな虫釜。
12年炒られ続けた竃土家の釜。
そして母さんによって準備された儀式の――
私はあれをもう一度見るために今日まで生きて来たのだ。
出来るなら東京で良かった。
でも出来なかった。
どうあがいても無理だと悟った。
生活は向こうがいい。
楽で、清潔で、スマートだった。
でも、もういい。
儀式が出来るならばもういい――そう思って帰ってきたというのに。
だから何とか続けたい。続けなければならない。
どうしても、何としてもだ。
「ここが、母さんの部屋――」
私は夜中、起きて一階の最奥の部屋に入った。
当主の間――父さんと一緒に書斎として使っていた部屋。私も澤さんも入ることを許されていなかった。
そのせいで普段から掃除が行き届いていないのか、重厚なマホガニーの扉を開くと漏れ出た空気は誇りっぽかった。
「うっ、カビ臭い。まだ三日しか経ってないのに」
亡くなっても、入らない。
恐らく相当厳しく言いつけられていたはずだ。
なら当然ここには秘密にしなければならないものがある。
当然儀式関連の何か。
辰巳への対抗手段も。
いや、ないかも知れない。
けど、もうここくらいしか頼れるものがない。
ここは三方を見ることが出来る。すぐ上の私の部屋から突き出だ形だ。
当然その分広い。教室とは行かないまでも――その半分、体育教官室くらいある。
中もどことなくそんな感じだ。ガラス戸の灰色の棚に収まったファイルが並ぶのも二つだけとはいえ机が並んでいるのも。職員室っぽい。
「これは――帳簿かしら? 老人福祉センターと女性福祉センターと保育園――確かここらの組織は家が運営してたはず」
取り出し開いても、文字と数字で意味が分からない。
多分運営している組織の帳簿だろう。だとしたら大事な収入源だ。
けど今はそうじゃない。
壁の棚は全部同じ書類。残すは机。
向かい合わせの一組机の内、奥側に位置する上等な黒の深い木材を使ったデスク。その上にあるデスクトップパソコンに目を向けた。
「お願いよ。母さん」
古臭く、薄汚れて白だったものがベージュになったパソコンの電源を入れる。私は椅子を引いて座り同様の色合いになった液晶ディスプレイに顔を近づけた。
やたら遅い――今時SSdじゃないのかも。単に私の気が逸っているかもしれないけど、ともあれヤキモキしながら起動を待つ。
デスクトップはファイルで一杯。それでいながらファイルの種類ごとにきっちりと並べられている。雑然としながら整頓されている――実に母さんらしい。
「ああ、母さん」
そんな中、私が注目したのは一つしかない形式のファイル。
画像中央に配置され、わざと目立たせている――映像ファイルだ。
ファイル名は『202X/08/18』
今年の夏、つい先週の日付け。
私へのメッセージ――何故か直感し再生をする。
『ここが――その場所ですか?』
聞きなれない声。見えない景色。
真っ黒な中、若い男の声がした。
『ああ、そうだよ。最後にここに来たようなんだけどね』
聞きなれた声、カメラがせわしなく動き母さんを映した。
少し下からアオり気味の画角。恐らく撮っているのは父さん。ポケットでカメラを起動して取り出したところのように思えた。
『うわっ、深いですね。あ、これがひょっとして虫釜って奴ですか?』
更にカメラは横に動いて男を映し部屋の全貌が見えた。
煉瓦の壁の部屋の中、薄く入って来る光だけの中、緑と白のアロハシャツに短パンの大学生くらいの男が東館の中にいる。母さんと父さんと一緒に。
門外不出で、あることにしか解放されないはず東館の中にだ。
『そうよ。あ、足元危ないわよ。中には手を掛ける場所がないし、3mあるからね。落ちたら怪我で済まないし――出て来られない』
『あ、ほんとですか――』
思わず「あはっ」と声が漏れた。
男の注意が下のみに向いた。ずっと半身で視界に母さんを収めていたのに、背中を完全に向けてしまう。
きっと画面の中のもう一人も”チャンス”そう思っただろう。
母さんの反対側から突然パンして来た黒い物体。鉄製の何かが男の頭を撃って、背を押して、男は悲鳴も上げる間もなく、足から下に消えていく。
暗い虫釜の底に落下したドスンと言う音――そこに混じる鈍重な粉砕音。足の骨を折ったようなボキッという音。
『あぁ、だから言ったのに』
心にもないことを言う人だ。
足元の注意したのも完全にフリ。貴方を案じているというフリをして、背中側への注意を無くさせたというのに。
「まったく母さんたら」
そこから先は想像通り。だから片時も目を離せない。
『では”虫入り”を始める――穢土を』
満面の笑みの母さんが指揮をして父さんが録画して儀式が始まった。
虫釜に投下されていく穢土。
穢れた土、飛鳥馬のもっとも穢れを孕む土。
穢れとは即ち、人に作物に害を齎す土に巣くう者。
それは即ち、虫。
釜に満たされる害虫たち蜚蠊、死出虫、百足、蚰蜒、馬陸、蜘蛛まで。
12年かけて竃土が用意した特別な虫たち。
人に怨みを持ち、人を攻撃し、人を喰らう。
振り払っても振り払っても、感情も痛みもなく突進してくる。
だというのに、怨みだけを持っているからけして後退はない。
服を喰らい、下着を喰らい、髪を喰らい、皮膚を喰らい。
鼻の中から、耳の中から、尻の中から、尿道の中から喰らってくる。
「どんな感じなのかしら」
私の言葉を画面の中の母さんがトレースするように発した。
男は藻掻く。虫たちの海の中を必死の抵抗をする。
手で潰して、足で踏んで、身体を転げて潰し回って――最後には喰らう。
口に頬張り、顎を締め、歯ですりつぶす。
皮膚を食われ血が流れ、虫たちが潰され汁が漏れ。
血と液の混じったヘドロのような海で双方が喰らう。
虫たちは巨大な人に潰され、それでも歩みを止めず喰らう。
人と虫が互いに喰らい、喰らわれ、喰らい合うのだ。
”地獄とはどういうとこだと思いますか?”
なんて授業が高校であったっけ。
私は”人虫一体となった釜の中です”と口にしそうになった。
地獄巡りという温泉地に行ったっけ。
まったくお笑い草だった。
ただ赤い湯が沸いているだけなんだもの。
地獄とはこれだ。
地獄とはここだ。
吾妻は地獄すら作り出せる。そう思うと私の万能感は天にも届く。
「素晴らしいプレゼントだわ母さん。これ以上ない遺産だわ――ああ、でも駄目! 駄目駄目。こんなもの動画じゃ駄目なのよ。母さん。これで、こんなもので私が満足するとでも!」
もう無理だ。
我慢の限界だった。
だってずっと我慢してきたんですもの。
東京でだって、ずっと我慢してきた。
こっちじゃしきたりでやれないから、出て行ったというのに。
私を慕う後輩は幾らでもいたというのに。
多分言えばついて来ただろうに。
なんでもやれただろうに。
だけど我慢した。
穢土も手に入らない。
捕まるのは本意じゃない。
ここでこの地で、吾妻だから合法的に地獄を生めるのだ。
だというのに――
「ああ、なんてこと。今年の儀式は終わったの? ははっ、吾妻の仕切りで終わらせていた。辰巳が幅を利かせられない。少なくとも12年は。駄目よ駄目駄目。そんなもう待てないわ――ああ、そうよ! 見なかったことにすればいい。なかったことにすればいい。出来るじゃない。あはっ」
だからすぐやろう。もうやろう。と、気が逸っていた。
焦ってもいた。
集中しすぎていた。
楽しみすぎていた。
だから何一つ気付かなかった。
「あれ? かゆい」
痒みが首筋にあった。
気付けば目の前には天井があった。
そして天井に走る赤いラインが目に入った。
「あ、あ」
何故か顔は勝手に上を向いていた。
何故か天井には更に引かれていく赤い線。
ぽたりぽたりと顔に当たるもの。
鼻腔をくすぐる鉄の匂い。
力と意識が抜けていく感覚は覚えがあった。
長すぎる理事長の挨拶の時、体調の悪い時のそれのように。
「ああ――血――首――から?」
首に手をやる。触れる堅い物。
力強く動く何かがある。かさかさと動く何かがいる。
それは指に張り付き、手に上り、袖から、首元から入り込んで、下着に取り付き、私の肌と言う肌を引っかくようにガサガサと動く。
手も足も、顔も、身体全身を覆って。
「ああぁ――なんだ――かゆ」
目蓋を閉じても居ないのに目の前が暗くなって――私は虫の中に落ちて行った。




