陸 十二年前の一幕
十二年前、東館――
後ろ手で拘束された父さんと母さんが居る。
必死に訴える。
どんな台詞だろうか。俺はいい。ひとみは違うだろう。
こんな感じだろう。
何度も叫んだだろう。
父さんは必死で生きたはずだ。
恐らくは他の東の子と同じく、あそこで育った。ろくな教育も受けていない。儀式の日まで生かされるだけの人生。
それを婆ちゃんが逃がした。
病気、入院が必要な大病を患ったらしい。
飛鳥馬では無理な病気だ。そこで死を偽装。
婆ちゃんの親戚の親戚。まあ他人に預けられた。
きっと生きるのも大変だったはずだ。
読み書きの出来ない6歳児。喋るのさえ、ろくに出来なかったんじゃないか。
学校では馬鹿にされたろう。引き取られた家でも邪魔者扱いだろう。
それでも生きて、生きて、学校も卒業して、就職して、母さんと出会った。
そして俺を作った。
幸せだったはずだ。
家庭を持てるとは思ってなかったんじゃないか。
多分、母さんには話してたんだと思う。
それでも一緒になってくれた。
その相手だけでも何とかしようとしたはずだ。
だから必死に叫んだはずだ。
心の底から、全霊で叫んだはず。
だが、こいつらは止めることはなかった。
「若利――」
「東の――若利君――覚えてないか。五百人だ。ほら、一度――」
「誰の名前を――何をした相手の名を――呼んでいる」
「君の怒りはごもっともだ――だけど――」
「僕は居なかった――か?」
「そうだよ。その通り、違うんだ。やったのは私じゃない。幾人だ!」
「親父っ! 何を言ってんだ」
「だが、事実だ! 違う違うぞ。やるなら幾人だっ」
「糞虫が――相依っ!」
手を伸ばし、地に突き立てた。
相依――実の弟である父さんも眉一つ変えずに釜に放り込ませた女だ。間違いなく反吐の出る人間性だが――色々素直に情報を吐いた。
奴が何故、そこまで辰巳を憎むのか分からない。
けど、まあ情報分は報いてやっても良いだろう。
「やめやめやめっ! 違うって言ってるだろぉぉ」
「やっていいぞ」
手から飛ばした虫はケラとジガバチ。穴を掘る奴らだ。
そいつらが土中を掘り、後は相依に任せた。穴を続いていく虫の勢いがありすぎて地面が盛り上がっていく。
興奮が丸見えで、こっちが恥ずかしくなるくらい雑に五百人を追い掛ける。
「違うっ違うんだぁぁぁっ!」
「五百人ぉぉぉぉぉっ!」
「あ、相依君っ!? やだ相依君だけ――はっ」
蟲が無数の手になって掴んで地に引きずり込んだ。
相依の高笑いが聞こえるようだ。
「親父っ!」
「なんでここまで憎みあってんだろうな」
「あ、あんた――妹たちは違うんだ! 赦してくれっ!」
土中に連れ去られた父と、俺を交互に見比べた幾人は地面に頭を擦りつけた。
「なるほど、勝てぬと分かったら即謝罪。土下座もして見せる。率先して他者を守る善き人間を演じて赦しを得ようとする――流石熟練の卑怯者だ」
「ちがっ! ちがう! 俺はいいんだ。それだけのことはした。だが妹たちはっ! 何も知らない。儀式のことだって知らない。何も手伝わせてないんだ」
「ほう――じゃあ、こいつはいいな」
「へ?」
唾を吐きかけるように、口から黒い霧状の蟲――虻と蜂の塊を吐き出す。
向けた先は後ろにて、滝のような汗を掻いて逃げようとしていた爺。
「お前は幾佐――先々代の当主だよな? ってことは間違いなくお前もやった側だ」
「馬鹿者っ幾人っ! 何故儂も――ええいっ来るなっ来るなっ」
虻と蜂に刺された顔は倍以上に膨れ上がった。
勿論、ここまで差せばアナフィラキシーショックを起こすのは必然。顔以上に気道も腫れあがり、やがて顔は紫になって――身体を痙攣させながら絶命。
見せしめにわざとらしく蠅に死体を啜らせれば、残った奴らは腰が抜けた。叫び声も絶え絶えで、逃げることも出来ないでいる。
「ひ、ひぃぃっ。じ、爺ちゃんっ、爺ちゃんっ! なんでこんな酷いことをっ」
「ははっ、お前の親父は地の底でどうなってると思ってる。こんなもんじゃない! もっとだ! もっと、もっともっともっともっと――苦しむんだよ?」
「なんでなんで――そこまでっお前何なんだよ!」
「なんで? 儀式の犠牲者だからだ」
「知らない、お前なんか知らない。俺は知らない! 俺じゃないだろぉぉっ」
「若利という名に覚えは? 俺に似た贄は居なかったか? 居たはずだろ? 親父がひと目で父さんの名を呼んだんだから」
「若――ああぁ――でも、あれはっ! 俺は――ごめんなさいごめんなさいっ。謝るから悔い改めるから。そうだよっ、改めようとしたんだ。俺は贄を使わないで儀式をしようとしてたんだって!」
「嘘が上手だな」
「ほんとっ、ほんとだよっ! 実際今年は変わる予定だったんだ。俺がそうさせた。そう計画して手を回したんだよ。俺は悔いたから改めてるからっ本気でっ!」
「いいや、お前は悔いていない、だから改めることはないんだよ」
「ちがっ、悔いてるって。あんな儀式。生きた人間を使うなんて――」
「なら、なんで婆ちゃんを祓ったんだ?」
吾妻タエ。
吾妻の前の前の当主の嫁――だが、旧姓すら記憶にないほどに、婆ちゃんのことは分からない。俺の身体は記憶していない。
これまで行われてきた数十回の儀式の記憶はあるというのにだ。
つまり、当主だというのに怨まれても怨んでも居なかったということだ。
実の娘によって贄にされたというのにだ。
いや、贄ですらない。儀式でもないただ蟲の餌にされたのに。
俺の記憶にはない。
その時喰らわねばならなかった蟲たちから見えただけだ。
喰らった記憶も、喰らわれた記憶もない。
間違いなくいい人だったろう。
だからこんな儀式を終えようとしたんだろう。
だから殺されねばならなかったのだろう。
――十二年前
こいつらの声は良く聞こえた。
「――幾人、お前の役目だ」
「嫌だ嫌だよ。無理だよ。こんなこと。ほら、こう頭にマスクとか被せたり――」
「駄目に決まってるだろう? やるんだよ辰巳の坊や」
「ねぇ、はやくして? なにぐずぐずしてるの? はやくはやく蟲をみせて。ね? はやくたべられてよ。ふふっ、ね?」
「――うん、早く終わらせよう。戒兄」
「分かった。幾人、祝詞はなくていい――相依様。それでよろしいですか?」
「ふふっ、五百人が何と言うかね。はははっ」
怨まれているから、俺の身体が怨んでいるから。
そんな中に混じって婆ちゃんの声が微かに聞こえた。
「相依っ! やめてっ、あんた。弟を――実の弟なんだよ」
「ああ、亜麻子ちゃん、見ちゃ駄目。こんな儀式参加しちゃ駄目よ」
「運戒君、運戒君っ! お願い止めて――お願いっ」
必死に、誰にも届かないのに声を上げた。
「公子ちゃん、幾人君。聞こえてるんでしょ。貴方たちなら聞こえてるんでしょ? お願いよお願いだから。もう止めようって言ってくれたじゃない」
もっとも他の奴らも聞こえてたとて止めなかっただろう。
相依は亜麻子は当然としても、運戒も『使命』と言いながら釜に落とすのは変わらないのは分かる。それに公子はどうであろうと運戒以外は無視だ。
だが幾人は違う。
聞こえてた。丁寧にお願いをしていた婆ちゃんの声が聞こえてたはずだ。
”嫌だ嫌だ”駄々をこねながら、唇を噛んで婆ちゃんを睨んでいたから。
そして小さく幾人の口が動いて、婆ちゃんは薄くなっていく。
それでも最期まで諦めずに頼む婆ちゃんの消えゆく姿を見て――
「なじられたように感じたか? 責めているように聞こえたか? だから祓ってから――ほくそ笑んだのか?」
「そ、そんなことはしてないっ。断じてタエ様を笑ってないって!」
「なら何が可笑しかった。父さんと母さんが蟲に喰われるのがか?」
「ちがっ――緊張だ。緊張で、ほら笑っちまうことがあるだろ」
「なら何故、今笑っていない」
「違うっ、違うっ、そうだ! タエ様は極楽に送ったんだぞ。喜ぶことだろう。息子夫婦の無惨なさまを見ないですんだ――だったら笑うだろう」
「ならそうと最初に言えなかったのは何故だ!」
「うっ、だってだって! 昔の話だから、いちいち覚えてないよ。そんなこと」
「覚えてない、些末なことだと? 子供が目の前で殺されんとしている、失意の霊を除霊したことが覚えておく価値がない――出来事と言ったのか?」
「だから――そうじゃ、そうじゃない! どうしてそんな結論になるんだ。どうしてそんな悪い方ばかり捉える。だから怨霊なんかになる――はっ」
「やはり、それがお前の本性か」
「違う違う違うっ違うんだっ! 俺は違うんだよっ」
「別に、どんな答えだろうでも一緒だ。お前を蟲獄に落とすことに変更はないっ」
「駄目っ!」
「四八!」
妹の一人だろう、四八と呼ばれた巫女が俺の前に立つ。
目つき鋭く敢然と、袴を小便で濡らしているのにも構わず。
「お兄ちゃんは誰も殺してないんでしょ? そこまでのこと――」
「する必要がある」
「ないのっ――ええいっ!」
四八は近づいて来たと思ったら、手を伸ばし俺に紙を突きつける。
よくわからないごちゃごちゃした赤い字――恐らく霊験あらたかな札なのだろう。
「効く分けないだろう。お前、殺されないと思ってるのか」
そう、恫喝したが、今度は身体から突っ込んでくる。
「きゃ」
いや、幾人が突き飛ばした。
妹を突き飛ばして――逃げた。
「よくやった四八っ! 時間を稼げっ」
「ああ、おめでとう。お前は本当にクズだった」
正直、ぎりぎりまで悩んではいた。
単なる小心者の可能性は否定できなかった。少なくとも俺には。
だが、もう迷いはない。
既に10mは向こうにいった幾人はに狙いを定めて右手を伸ばした。
肘から先が滑りながら伸びていく。ミミズのような蠕虫、ミルワームのような幼虫を幾百と編んで触手を象り幾人を追い掛けて――止まった。
「なっ」
何が起きたか分からなかった、ただ触手の先の感覚が失われ。
――キン
後から金属音が響き。
それに合わせて、触手の真ん中から向こうが寸断された。
「逃がすかっ!」
何が起きたか判断する前に、左手を同じように伸ばばした。
すぐに幾人に追いつき掴まんとすると――阻まれた。
堅い何かに当たって、後10cm先の幾人に届かない。
「結界?!」
下手をすれば神社の物より硬い。
何が、どうしてこんなものが出来るのか分からなかった。
幾人がこれを出来るなら、逃げないだろう。
他に誰か力あるものが――と考えていたら、上空から落下物があった。
「うっひょー! おっしっ! 間に合った!」
「馬鹿が、飛んでるヘリから降りる奴があるか!」
「んだよ。あんくらいの高さなら平気だろ?」
「高さの話をしたか? 何百キロで飛んでたと思ってんだ。ずれたらどうする?」
男が二人、落ちてきた。
地面に着地し、一回転して事も無げに立ち上がる――スーツ姿の男が二人。
「おんやぁ驚いた顔してんな。この怨霊」
黒いスーツに赤シャツ。ぼさぼさの茶色い腰まである髪に、やはり赤いバンダナを巻いた挑発的な目。
「ふん、まだこれだけ人が生きているなら――話が出来るタイプか」
もう一人は黒いスーツに青シャツ。こっちはしっかりネクタイもしている。清潔感ある64分けの黒髪、眼鏡を掛けて――やはり余裕な目。
どうやら上空のヘリから――既に見えない速度の、気付かなかった高度のヘリから飛び降りた男たちは、俺を見ても余裕の表情――いや、むしろ下に見ている。
「やった、やった! 間に合った! ははっ、やったやったぞ! 頼む陰陽師。あの逆恨みクソ怨霊をやってくれ!」
ああ、どうしてこうこういう奴ばかり助けが来ると言うのか。
溜息が黒く染まりそうだった。




