肆 飛鳥馬一の女
力が漲って来る。
蟲が集ったお陰か。
力ある男を喰らったお陰か。
魂の内から大きな力が溢れる。
車を突き破り、弾ける蟲。
身体を作ろうとしても大きく膨れ上がっていく。
もはや人の形が保てない。
抑えても抑えても溢れていく。
俺は吠えた。
そして見つめる先は山を降りた向こう、山間に沈みゆく飛鳥馬の里。。
ただそれだけだったが――俺が手足を動かせば風が巻き上がる。
俺が転げれば地が震えあがる。
俺が叫べば雲すら割れる。
俺が進んだ後――木々は根こそぎ、なぎ倒されていく。
生物は食い荒らされていく。
草花は一本残らず腐り落ちていく。
いまや俺の姿は蟲の塊。
だが、どうでもいい。
もう人であらんと欲す必要はないんだから。
いまに俺の大きさは山を越え、この忌わしい里を踏みつぶす怪物とならん。
――逃げろ、惑え! お前らが踏みつぶしてきたものが、お前らを踏みつぶす!
家を喰らい、アスファルトを剥がし、電柱を割り潰す。
こんな里、二度と人が住めなくなればいい。
そうすれば二度と糞みたいな儀式も行われない。
だが、こんなゴミ溜めでも守ろうとする奴が現れた。
逃げる人々を運び、盾となって、青い制服が銃を構える。
「発砲を許可するわよっ!」
その声とともに耳を劈く音と共に何匹かの蟲が持って行かれた。
それが銃と分かったのは、そいつらの台詞からだ。。
足元の虫けらになど、いちいち構っていなかった。
俺の足元、つま先の先に居たのは警察官。青い制服が逃げ惑う姿。
「あんたたち、それでも警察官なの!」
それに檄を飛ばすスーツの刑事に――見覚えがあった。
頭のどこか、いや身体の一部、残った記憶の一欠けら、残滓から呼び起こされる。
吐き気を催す生理的な嫌悪感が湧き上がってきた。
その人の良さそうな濃い顔の刑事を見て。
――こいつ! こいつっこいつ! ようやく見つけたっ!
手を伸ばして、握りつぶさんとする。
足を振り上げて、踏みつぶさんとする。
口を開いた、噛み潰さんとする。
だが、すべて空ぶりに終わった。
「叔父ちゃん!」
女が攻撃を全て弾いた。
土くれで出来た腕で蟲を払って、叩いて、潰した。
異様な力だ。
デカい男よりもはっきりと、しっかりと見える能力を持っている。
土を自在に操り、蟲に臆さない――異常な敵。
「おい、亜麻子――出て来いよ」
「あら、呼んだぁ?」
俺は中に戻って亜麻子を呼んだ。
案の定、呼べばすぐ出て来る。もっとも蟲に埋もれている姿のままだが。
「あれは何だ?」
「あれ?」
「これだ」
頭頂にある蟲から手を差して、髪を掻き分け、皮膚を突き破り、頭蓋を割り進み、温い泥濘に蟲を放つ。
「ああんっ、あはっ、痛みで痒みを和らげてくれてるのかしら? 中々頭の中をかき混ぜられるのは経験でき――あら、公子じゃない? へぇ蟲を介して情報をやり取り出来るのかしら。あぁ、痛みが引いちゃったら。余計痒く感じて来ちゃった」
「公子?」
「竃土公子。12年前にも居たでしょ?」
「12年前――あの女か」
思い起こせば確かに居た。蟲たちの記憶の中、様々な角度の公子を思い出せば――確かにさっきのに似た陰気な女がいる。
だが、とてもあの時と同じ人間には見えなかった。
「まるで別人だな」
「確かに、何か吹っ切れたのかしら? 元々強いから当主になったと聞いてたけど、ここまでなんてね。ふふっ、これならちゃんと友達やってあげても良かったわ」
「言うことを聞かせられるか?」
「ちゃんとは友達やってないから。無理ね」
「そうか」
「陰気で後ろにいるだけで、その癖力はあるなんて――むかつく子でしょ? 心から見下げてるもの。絶対に無理よ。公子も分かってたと思うわ」
「なら他に居ないか?」
「あら、弱気ね。蟲獄の主がそれじゃ困るわ」
「勝てはする。だが、時間は惜しい。逃がしてはならん奴がいるからな」
「ふーん、ま、いいわ。じゃあ先生を使って」
「運戒――だったか?」
「長年付き合ってたからね」
「恋人か」と反復し、少し俯いた。
運戒は少し強情で――しかも力ある人間だ。
「そいつも今すぐは動かせないな」
「あら、意外と不便ね。脳みそ弄ればいいんじゃない?」
「それじゃあつまらん。脳を弄れば少なからず、お前たち自身を失ってしまう。下手すれば正気すらもな。それは駄目だ。お前ら正気でないといけない。正気なまま痒みの中で気が狂わんばかりの苦しみを――正気で味合わなければならない」
「ふふっ、何言ってるのか全然わからない。でも素敵よ。やっぱりそうでなくちゃ。そうじゃなきゃこんな素敵な場所を作れない」
「褒めても何もでないぞ。それで腹案はないのか?」
「ごめんなさい。痒くて中々頭が回らないの。ああぁそうだわ乙太が居たわ。母さんが言ってたわ。そう乙太を使いましょう」
「乙太?」
「小木坂田の爺さんよ。ここに居るんでしょ? それともまだ?」
「いや、ああ、そういやそんなのも居たな」
爺はすんなり言うことを利いた。
責め苦は終わらないし、罪の軽減はないとも言ったのに。相手が公子と聞いたら、むしろ喜んだくらいだ。
ただ、思ったより勝手に動いた。
「ふへぇへぇ、もう一度娑婆に戻ってこれるとはのう」
『出る場所は決めさせろって――楽しむためじゃないだろうな?』
出たのは家。広い庭の民家だった。
「ここは公子の生家じゃ。色々あるぞ。奴のトラウマをほじる道具がのう」
『トラウマ――ね』
「おほ、絵里ちゃん――勿体ないのう」
絵里と呼ばれた着物の――血だらけで首が在らぬ方へと曲がった女。
乙太は俺の話も聞かずに近寄って、女を抱きかかえる。
余程の間柄の知り合いで、死を悼みたいのか。
と、思ったが――抱きあげた手が着物の合わせに突っ込まれた。
「ふへぇへぇ、まだ暖かい――使えるじゃないか。どれ」
『爺、何裸になろうとしてんだ』
「よいじゃないか。どんな具合か――お主も共有出来よう。ふへぇへぇまさに冥土の土産じゃ共に楽しもうじゃないか」
痒みの弱いところだ。
ゆっくりとしかし確実に全身を蝕む苦しみ。逃れられず、慣れることもない苦しみである――代わりに恐怖がない。もっと強い苦しみをちらつかせて脅せない。
だから公子の前に強制的に置いた。
『やれ』
「ふへぇへぇ、仕方ないのう。じゃが公子をやったら時間は貰うぞ。親子揃ってやるのが夢じゃったんじゃよ。あの素晴らしい身体を貪ってやるぞぉぉ」
そう意気込んだ乙太だったが、結果は大炎上。
何も出来ず蟲を焼かれただけ。
もっとも奴が蟲のボスと思わせられたという収穫はあった。
お陰で隙が出来た。
「そんな叔父ちゃん! 叔父ちゃん!」
女は逃がされた。
だが男は絶対に逃がさない。逃がすわけにはいかない。
「何よこれ。何よこれ。いや、いや、かゆっ、いや虫苦手なのよっ、いやっいやっ」
蟲獄に連れて、魂が擦り切れるまで後悔しつづけさせる。
そのために蟲のもっとも深くに沈めた。
「あら、警視だけ?」
「警視? そこまで偉かったのか――女はまだだ」
「あら、じゃあ私は?」
「お前は大した知り合いじゃないんだろ」
「一応幼馴染なんだけど?」
「ちゃんと友達しなかったんだろうが」
「だから一杯いたぶれるわよ?」
悪びれず笑顔で頷く。
邪気のないような顔で、邪悪な物言い。
本当にたちが悪い。
血が繋がっていることすら吐き気がする。
「あら、嫌そうな顔。じゃ先生は?」
「まだだな。仕方ない相依を使うか。当主なら何とかするかもしれん」
「母さん? 良いわね。お手並み拝見だわ」
相依はすんなりとは受けなかった。
凄く嫌そうで、奴の出す条件を飲んで相手をさせた。
ただ、恐らく、やると言ったらやるだろう。
乙太のようなことはない。そういう信頼感がどこかあって――それが嫌だった。
「だが、ま――時間が惜しい。おい、運戒」
引き出した大きな蟲こぶ。
中には引きつったような顔の運戒が、沈黙したまま埋まっていた。




