参 一転攻勢
飛鳥馬の山々から虫が消えた。
後はただ待つだけ。
何百万と何千万の虫が集合するのを待つだけ。
「おい」
「――なんだ? もう300京年経ったのか?」
地獄の底から相依を掘り出す。
まだ正気を保っている。
まだ平気そうな顔をしている。
時折悶えるように口の端を噛むが、まだ生意気な口は利けるようだ。
「まさか、お前に聞くことがある」
「ふん」
ただ元気はないのか、そこまで口数は多くないし目が泳ぐ。
というより、俺の後ろを見ている。
「あら、見つかっちゃった?」
「お前――勝手に?」
そこには亜麻子が居た。
相依と同じように蠢く蟲に埋もれた姿だ。自由は利かないはず。
なのに俺の意思に反して勝手に底から上がって来た。
「あはっ、何故かこれちゃったの。だって母さんの声がして――あぁ、良い姿よ流石母さん。この痒みの中、声も上げずに耐えられるなんて。素晴らしいわ」
「亜麻子こそ、平気そうじゃない」
「効いてるわ。痒いもの。掻きむしりたいのにまったくかけないもの。もどかしさと痒みで――ふふっ狂いそうなくらい。舌くらい噛み切れればよかったのに――ほはっ蟲が邪魔するの。素敵じゃない。お前、いい苦しめ方じゃない。ははっ痒いわっ」
「亜麻子は――する側が好みだと思ってけど」
「ええ、私もそう思ってた。やられるなんてまっぴらって――でも違ったの。きっとやる側の意識の問題なのよ。ちゃんと相手を苦しめたり、もっと面白く責めたりね。そういうことが出来そうな人が居なかったから。痒みは中々いいわ。本当慣れる気がしないもの。あはっ」
何故勝手に動いているのか分からない。
亜麻子自身が言っている通り、責め苦は終わっていない。
間違いなく蟲たちは喰らい続けている。
「ふっ、分からんか。お前には」
「何の話だ」
「何故亜麻子が勝手を出来るか疑問なのだろう? 簡単だ。ここは地獄なんだろ? じゃあ罪に値した罰しか与えることは出来ない。亜麻子の罪は何だ? 何なんだ? 別に人を殺してはいない。儀式に参加した時もまだ5才」
「あら、6才よ。母さん」
「ああ、そうだったな。この子はただ楽しんだだけ。それが罪か?」
確かにそうだろう。
俺自身もそう考えた。
相依たちをやった時より、身体から湧き上がって来る感動が足りなかった。身体もそう判断している。
「なんだお前。この地獄で公平に罪を裁く閻魔を期待していたのか? 俺は恣意的に怨みを晴らす怨霊だぞ?」
「まさか。それでいいさ。この子はきっと誰より邪な性質を持っている。歴代吾妻の誰よりもずっとな。この地獄に相応しいさ」
「あら二人とも駄目よ駄目。そんなの”地獄”だなんて。そんなダサいネーミングはここには相応しくないわ」
「お前何を言ってるんだ」
「あら、名前は重要よ。それそのものを表す言葉でしょう? 呪詛を掛けられるほどに本質むき出しの音。ならここは地獄なんて読んじゃ駄目よ。だってここは地の底の獄門ではないんだから。ここに地面はないでしょ? あるのは――」
落とした視線。
そこにあるのは土でも草でもなく――
「蟲か」
「そう蟲なのよ。だから、ここは地獄ではなく蟲獄! ああ、素敵な名前!」
「勝手に――」
「いいじゃない。私地獄を作ってみたかったのよ。まさにこんな風に。まあ、私ならもっとゴージャスでエレガンスでクルーエルな! 地獄にしたでしょう――でももう出来ないわ。あと何京年も出来ないの。せめて名前くらいはいいじゃない? だってこんなに似合ってるんですもの」
「好きにしろ」
溜息が出た。
痒みで息も絶え絶えだと言うのに、まったく調子は崩していないようだ。逆に俺の調子が狂う。
「それで何の用だ? 亜麻子に会いに来たわけではあるまい? 私は痒いので忙しいのだが?」
こいつもだ。普通に喋れる状態じゃないはずなのに。
間違いなくこいつの身体は蟲に食われているというのに。一切姿勢がぶれない。
「ああ――」
「そうそう、何のお話だったのかしら? わざわざ――きゃっ」
「五月蠅い」
地面に埋め戻した。
いや、奴風にいるなら蟲面か。
「くくっ、大した閻魔だ」
「ちっ、やはりいいか」
「おい、待て待て。話を聞け。私だってお前の目的を遂げさせたいと思ってるんだ。特に残った家は処理しておいてくれないと――」
「別に奴らのことはいい」
「いいのか? お前のような存在にとっては強敵だろう?」
「もう、勝てるさ。黙っておけば俺が負けるとは考えないのか? 俺が消えればここから抜けられるとは?」
「ふふっ、奴らの風下に立つくらいなら蟲獄のほうがマシだ。終わりもあるしな」
「はっ、終われるかな? それより聞きたいのは12年前のことだ」
「両親の仇か?」
「そう、何故見つかった? 父さんは里の外に出て20年以上経ってた。更に戸籍も変えてたはず。外でお前らがそこまで権力を持ってるとも思えない」
俺の記憶を探ってもそれは分からなかったこと。
だが絶対に見つけ出さねばならない奴らだ。
「協力者がいると踏んだか――正解だよ。だが何故お前に教えてやる必要がある?」
「答えないと?」
「質問すれば答えが返ってくるのは学生時代までだよ。防や」
「まあ仕方ない。なら暫く待ってろ。残りの奴らをここに連れて来て――希望する奴にはお前を齧る権利をくれてやる」
「くっははっ、良いことを考えるじゃないか。悪くない責めだ。分かったよ答える。流石にそれは許容出来ない」
「ふん、最初から素直に教えてればいい」
「ただ、一つ教えてくれないか?」
「何故お前が質問出来ると思った?」
そう脅しても相依は勝手に喋り続けた。
「昭雄さんには聞いたのか?」
「ああ、もう駄目だった」
「駄目? 駄目とは」
「魂ごと消えかかってる。もうコンタクト取れる状態じゃない。いずれ消える」
「消えたら――どうなる?」
「どこにも居なくなる。ただの俺の栄養だ」
とは言い切れない。俺だって消えた魂がどうなるのかなんて知らないから。
「――まだ一週間も経ってないぞ」
「もう時間の感覚なんて残っちゃいない。奴の中では永遠に等しい間責め苦を受けている。とせめてそう願うね」
「そうか――憐れな」
意外にも相依はショックを受けているような顔をした。
蟲の責め苦のせいかもしれないが、苦しそうな表情すらした。
情なんてものがこの女に備わっているとはとても思えないが。
「分かった何でも聞け」
「ああ――いや、待て」
敵の気配が表にあった。
東館に向かう車――あの笛の男のものだ。
「なんだ。急用か?」
「ああ、客だ」
「え、また蟲獄に人が増えるの?」
「おい、また勝手に来るな」
「誰? 誰なの? いいじゃない教えて」
今度も俺の後ろ。ほとんど密着するぐらいに現れて鼻息を荒くする。
「ったく、デカい男だよ」
「あら! 先生なの?」
「ふはっ、なんだ亜麻子。その呼び方。もうそんなプレイをしているのか? 帰って来てから何日だよ」
「もう違うわ母さん。私は純潔――でもなくなってるかも。痒くて分からないわっ」
「おい、勝手するなと言ったんだ」
「いいじゃ――ああんっ」
再び蟲たちに向けて指令。地に潜れと。
が、やはり勝手に出て来る。
「やっぱり戻ってこれた」
「何をしたんだお前は」
「許せないって話よ。西原が吾妻の私に”先生”と呼べなんて――許せない。でしょ母さん?」
「確かに――許せんな」
「どうでもいい」
「ねぇ、私にやらせてよ。先生を連れてくるわ」
「何を言い出してる。やらせるわけがないだろうが」
「責められたままでいいわよ? ふふっ、痒いままでいいわ」
「行かせないと言っただろう」
「いいじゃない? 西原にあいつらに思い知らせたいんでしょう? 私が出て行けば間違いなく思い知るわ。守れなかった相手の顔を見れば間違いなくね。それに西原は私を倒せない。蟲の在庫も減らないわよ?」
恐らく言っていることは事実だろう。
今の俺なら西原とかいうのは倒せるが、無傷というわけには行かない。
「言っておくが、西原より辰巳の方が――怖いぞ」
相依の援護も恐らく本気で言っている。
奴の残りの家に対する執念じみた嫉妬から出た言葉だろう。
「自由は与えないぞ」
「いいわっ! 口だけで西原は落として見せるから。あ、でも見た目はよろしくね。流石に声だけじゃ私と分からないかもしれないもの」
「いいだろう」
駄目でもいい。
一瞬でも躊躇するならば、一瞬でも結界がなくなれば。
だがそんな構える必要はなかった。
確かに西原は簡単にここに落ちて来た。
「はーい、やったわっ」
「ああ、だが――撃たれたな」
そういうと、初めて亜麻子の顔が歪んだ。
この場所に相応しい、責め苦を受けている者の在るべき表情に。




