弐 邪悪の一等星
次は簡単だった。
周りに民家のない人里離れた寂しい場所だったし、爺は女にかまけてまったく気付く様子もなかった。
あっさりやり過ぎたぐらいだ。
「女はっ?! ひっ、かゆっかゆいっ痒い痒い痒い痒い痒いっ!」
きっちり罪を突きつける前に深くに仕舞い込んでしまった。
問題はそこからだった。
次に怨みを晴らす対象を見つけるため、人里に虫を放った。
ただ、里に入れない場所がある。
「ちっ、また潰された」
それどころか、近づくだけで消される場所が幾つかある。
特に神社は中を見られる位置にも行けない。
「どういう仕掛けだ? 神社はともかく――あ、車?」
山の入り口から車が入って来たのが見えた。
この東館へと向かう道を上って来る、大きな黒いミニバンだ。
「誰だ――獲物だろうな。ここに来るってことは」
東館の前で止まる。
そして降りるのではなく、音が響いた。
恐らくは笛だ――良く聞こえない。
何故なら、偵察用に置いていた蜘蛛が弾けたから。
「やはり締まっている――」
扉の鎖を動かし、施錠を確認。
去っていく音が聞こえて――全身が安堵する。
「なるほどね。道理で《《俺が》》秘密裡にやりたがったわけだ。まあ怨霊なんているんだ。退治する側もいるよな。じゃなきゃ人間なんてとうに滅びてる」
今のままでは勝てない。
このままでは怨みは晴らせない。
現状を打破しなければならない。
奴らより強くならなければならない。
考えられる強くなれる可能性は2つ。
一つは魂を喰らう。
こうなったのも蟲にこびり付いていた魂や、その残滓のせいだろうから。もっと魂を増やせば強くなれそう。
ただ、それは簡単には出来ない。
無差別に人を殺す気はない。仮に殺しても魂まで奪うのはそれ相応の罪が必要だ。じゃなきゃ気乗りしない。気乗りしなけりゃ地獄まで連れて来れる気がしない。
そしてその罪人たちは大抵入れない場所にいる。
もう一つは虫を喰らう。
俺は強い。並みの人間なら束になって掛かって来ても余裕だ。
俺と喰らい合った魂の数を越えてる。
なら何故強いのか、蟲の身体だからだ。
人の大きさで蟲の強さを持っているからだ。
「まあ、幾らでもおかわりできるしな」
全身を糸のようにばらばらと解いていく。
欲したのはスピードと凶暴性。それで居て見つからない地を這う虫。
つまりゴキブリを捕らえるゲジゲジのスピード。
それと後退を知らない、ムカデの凶暴性。
――なら両方だ。
足のやたら長いムカデ、頭のやたら厳ついゲジゲジ。存在しないはずの虫、多足類のキメラになればいい。
解けた糸は無数の蟲のキメラとなって館を這い出て山に放たれた。
木立に絡む蜘蛛を喰らって。
ウロに溜まった蟻を喰らって。
根に潜むヤスデを喰らって。
葉を齧るカミキリムシを、土中で眠るシデ虫も、落ち葉に隠れるゴキブリも、花の蜜に集まるミツバチも、目につく虫を片っ端から喰らっていく。
そうして半日が過ぎた頃――
「この女――」
里に入って来たタクシーがあった。
後ろに乗っている女にざわついた。
朧げな記憶がある。
微かな面影がある。
12年前――父さんと母さんが贄にされた時に居た女だ。
――パシィッ
怒りに任せて、窓のシミになってしまう。
「落ち着け――落ち着くんだ」
だが落ちつけるわけがなかった。
あれは吾妻相依の娘だから。
こっちに向かって来る。
麓の家。揚羽紋の鬼瓦のある派手な庭の家にタクシーは向かって来る。
近づけば近づくほど、鮮明にあの日の記憶が浮かび上がって来る。
あの日使われた蟲たちの、あの日食われた両親の残滓が思い出した。
だが相依の時と違ってすぐに襲わなかった。
我を忘れて飛び掛かるなど出来なかったのだ。
何故か――別の車の音がするなり、蟲が引いた。
近くに居た蟲たちが引き波のように下がっていった。
俺も冷や汗をかいたような、生理的嫌悪感が背中に走る。
その車が去るまで吐き気すら催していた。
「ヤバい奴らは去ったってのに入れない――結界ってことか」
その後、屋敷に入ることは叶わなかった。蟻一匹中に入れなかった。
窓の隙間、ドアの隙間、換気扇からすら中に入れない。
陽が沈んでも、月が上っても、どこからも侵入出来ない。
「外からは入れない、なら、中から開けさせたらどうかな?」
思いついたことがあって、地獄に戻った。
地獄とは言ってもそれは俺の心の中、頭の中、魂の中。
簡単に来れる。念じればいい。
「えーと、ここか?」
”ここ”というのもない。単にそう思えばそこに居る。
手を突っ込んで蟲の地面を掴みあげた。
こぶが生まれて、そこには片目の白い爺の顔だけが浮かぶ。
「痒いぃぃぃ痒いぃぃぃ痒いよぉぉ――ああぁっ! 誰か! 誰かぁぁっ! 掻いてくれぼりぼり掻いてくれ、血が出るくらい。ねぇねぇ頼むよぉぉあぁぁぁ」
既に目の焦点があっていない。
目の前に俺がいるのに、どこかの誰かを虚ろに探すだけだ。
「望み通りにしてやるのはシャクだが。多分これが一番目立つんだよなぁ――っと」
指を目に突っ込んで引き抜く。
白い目をゲットだ。
「あぁぁぁっ! 痛い痛いっ! 痛いのいぃぃっ!! あぁ、もっともっと! 痛いのがいいのぉぉぉっ!」
所詮は魂。意味のない行為と思う――けど、妙な自信があった。
これを使ったら本物が出来るという確信があった。
そしてそれは上手くいった。
「あ――あ、あああぁぁっ!」
窓に引っ掛けた目を見て亜麻子は父親のそれと認識。
無事に救出のために窓を開けた。
ただ一つ誤算があった。とても大きな誤算だ。
すぐに笛の男が現れてしまったのだ。
中に入れたのはせいぜい10匹だったが、ほとんど笛の男に退治される。
残ったのは1匹。
1匹では人を殺すのは難しい。
じゃあ結界の中から窓を開けるかと思ったが。
「硬っ――1匹の力じゃ足りないのか。それとも結界のせいかな」
また待つことになった。
まあ、どうせ時間はある。
まだまだ山に虫はいるんだ。
翌朝――虫を喰らい続けていると、屋敷が空になっているのを気付いた。
「なんだ? いや、そうか葬儀か。そういや両親死んでるんだもんな。てかそもそもそのために帰って来たんだな」
あいつらヤバい奴らも里の有力者。つまり葬儀に出てる。屋敷には来ないはずだ。
色々試すことにした。
色んな虫で、外から結界を抜けようとする。
地面は無理でも、空から、土中から。
だが、どうやっても結界を通れない。割れない。覆せない。
「なら――数だ!」
万単位の群れを結界に取り付かせる。
もっとも力のありそうなカブトムシ、クワガタの甲虫二大巨頭体勢だ。
万を越える黒光りする甲虫が建物に取り付く姿は実に壮観。
行けるような気がした。
そして、ヒビが入って割れた。
「よしよし、パワーだな。やはり数を揃えればいいんだ」
更に運が良いことに昨日と同じく女2人で夜を迎えてくれた。
つまり、あの3人はいない。
『亜麻子を地獄に落とす』
その決意は実のところ少し揺らいでいた。
あの女の12年前は6才だからだ。
果たしてそんな子供を罪に問うべきか。
別段、刑法に囚われているってことじゃない。
何の判断能力もない時のことで地獄に落とすまでやることか。
――まあ、そんな考えは無駄だったけど。
「母さん。これで、こんなもので私が満足するとでも!」
俺が藻掻く動画を見て、狂喜する姿のお陰で。俺の身の内から湧く、どす黒い怨念を抑えなくて良くなった。
「かゆい、ああぁ――あれ? ここは――何かしら? 誰かしらお前は?」
「ここは地獄で俺は――ここの閻魔ってところかな」
同じように蟲のこぶに埋もれて指先すら動かせないというのに。母親と同じように動じる気配がない。
「そう地獄――地獄なのねっ! ああぁ、ここが地獄。それで何をするの? どんな責め苦を見せてくれるの。でも何もないわ。血の池は? 灰の川は? 針の山は? ねぇ何かないの? これだけ?」
やはりこいつも気が触れている。
そういう一族なのだ。
まあ、俺も同じ血が流れいるらしいが。
「責め苦はそれだ」
「これ? 蟲? あぁ、痒いわね。それだけ? 爪と指の間に針を差したり、電気を身体に流したり、水で責めたり、そういう我慢出来ない系はないのかしら?」
「ないよ。痛みは与えない――まあ、例外はあったが」
「えぇ、つまらないわ。つまらない。お前つまらない。こんなもので責められても、私はどうにもならないわよ。ただ痒いだけじゃない。大した地獄じゃないわね。折角だから無間地獄くらい用意なさいな」
「果たしてそうかな?」
「あら、自信ありげね?」
「辛いのは好きか?」
「ほどほどかしら?」
「そうか。俺は嫌いだ」
「あら、閻魔を自称する割にはお子様じゃない」
「みんなそう言うがな、辛味とは味ではないんだ」
「へぇ味じゃないんだ?」
「そう、あれは痛みだ。痛いからそこから逃避するようにエンドルフィンを出す」
「閻魔様、脳内ホルモンとか語るんだ。おかしい。ふふっ」
「笑っているがいいさ。痛みとはそうやって快楽に出来てしまう。長くやっていれば慣れてしまうどころか気持ちよくなっちまうもんさ」
「だから与え――ふふっ、確かに痒いわ。痒い」
「だろ? お前の身体――いや魂は蟲が齧っている。俺もやったから分かるんだが、魂は回復する。傷が治るみたいにな。だから蟲はお前が治るのを待ってまた喰らう。何度も何度も喰らう。治るのを待っては喰らう。また喰らいまた治る」
「ああ、そうなのね。この動いてるの――蟲なのね。ああぁ、痒い。痒いわっ。ああつまりかさぶたが永遠に――ああ痒い痒いわっ痒いぃぃぃっ!」
「そういうこと。治り掛けが一番痒いだろ? まあ349京2413兆4400億年で終わるんだ。大した地獄じゃないだろ?」
俺の全身が震えた。沸き立つように打ち震えた。
嬌声を上げ続けて口角を上げ続ける亜麻子を前にして――
俺も頬を緩めた。




