参 蟲尸解
二三人が鳥居の札を剥がすと蟲たちが飛び出してくる。
先端を摘ままれたホースから解放されたように勢いをつけて。
参道とは神の通り道、そして神へと至る道。神域の外から人が来て参拝するために通る道だ。
常に清い人間が来るわけじゃない。穢れを運ばれても困る。
だから、常に参道は清められている。
玉砂利を敷き、掃除をして、綺麗にしておかなければならない。
神の御前に出る者を清められるようにしておかなければ失礼だからだ。
一七と四八は鈴を振りながら舞い、五六は太鼓を叩く。爺ちゃんは篳篥で婆ちゃんは笙。母さんも意外にも琵琶が弾けた。
親父は笛、龍笛だ。
少し違和感がある音色の中で俺は詞を唱えた。
「祓へ給へ、清め給へと白す事を、聞食せと恐み恐みも白す」
参道を進めば進むほど勢いは落ち、色も落ちていった。水中に打ち込まれた弾丸のように参道半ばで地に落ちて止まった。
「よし、やっぱりここなら」
「止めるなっ! 消えておらん!」
「なっ」
親父の言う通りだった。
蟲たちは勢いを失い地に落ちた。後続も同様に壁でもあるみたいに進めない。けど消えてはいない。
地面の上でどろどろの塊になりながら消えないでいた。溶けてヘドロのようになりながらも、よくよくみれば粒が見える。目を凝らせばそれは小さい蟲の集合体だ。
「うえー気持ち悪いよ、兄ちゃん」
唯一口を開く余裕のある五六の言う通り。身もだえするくらい気持ち悪いし、胃酸が逆流してくるのが分かる。隣で舞う四八の首筋にも鳥肌が立っていた。
スライムを形成した蟲は羽根を広げ振動を始める。回転しながら上に伸びると――
「ふへぇへぇ、まだ出番があるとはな――しかも若い女子がおるではないかっ」
下品な声がして蟲たちが裏返る。
すると下品な顔に、手足の短い下品なスタイルの乙爺そのもの――唯一違うのは目が、黒目部分が虫みたいに沢山集まったようになっている。
「幾人! 揺れるなっ」
『分かってる。というより、さっきまでよりやる気が出たよ』
と返す代わりに気合いの祝詞で返答。
「う、げぇぇ――辰巳の倅――如きにぃぃぃっ」
「まだだ!」
親父が言うまでもねぇ。どうみても終わりじゃなかった。
散り散りになる乙爺だが、蟲は消えず地面に溜まる。
挙句更に鳥居を潜って来た蟲の一団と合流。
さっきより大きく、つむじを巻いた。
大きく円を描くように、段々と収束していき人の形となる。
さっきと違い、すらっと長い黒い影が現れると親父が俺の前に踊りでた。
「そのシルエット――やはり相依君かっ!」
「は――ははっ! 五百人ぉぉぉぉぉぉっ!」
相依さんの咆哮。蟲であることをさっぴいても異常な憤怒の表情だったけど――俺の目を奪ったのは親父の後ろ姿だ。
私服で寝間着でもある、白い衣に白い袴姿。その背にカーキ色のタンク。そこから繋がるホースを両手で持っている。
そして閃光と熱が走って――相依さんと妹たちの絶叫が境内に響いた。
「うわっ」
「あっつっ」
「下がれ二人とも!」
親父の持つホースから放出された炎。
ならあれは火炎放射器ってやつだろう。
「おのれぇぇぇっ五百人ぉぉぉぉっ! こんなものまでぇぇ」
「はっはぁっ! 効果は抜群だぁぁぁぁっ!」
悶え苦しむ相依さん――いや、だったもの。
髪に火がつき、服は燃え上がり、肌は爛れて――蟲の地が羽根を震わせ、足をばた付かせて結合が溶けていく。
「やっぱり火だなぁ。古来より蟲には火と相場が決まってる!」
「親父――それ何?」
「M9火炎放射器だ! ベトナム戦争で実際に使われた奴だぞ」
「いや、そうじゃなくて、なんでそんなもん」
「軍オタと呼ばれる者たちがいる。彼らはこういう実際に使われた者が好きなんだ」
「親父もそれってこと?」
「違う――あいや好きだがな。つまりその手に向けた市場があるということ――なら金で解決できるということ。なら、手に入れられるのが道理だ」
「んなもんあるなら最初っから使えばいいじゃん」
「物理で解決しては辰巳の神性が薄れる。出来れば使いたくなかったんだがな。相依君を見たらたまらなくなってしまった。まだ若いな私も」
「ねぇ、お兄ちゃん、法律とか大丈夫なのかな?」
一七が心配そう。多分駄目だろうけど、何とかすんだろう。
俺は頷いて返すのが精一杯だった。
「何緩めてる二人とも、まだ終わりじゃないぞ」
「え、でも、相依様がボスじゃないの?」
「そうだぜ。吾妻のお館様だろ? 蟲のトップみたなもんじゃね?」
「まさか、相依君が根源でもここまでんはならんさ。それに上を見ろ」
まだ暗い。
まったく減っていない。どころかむしろ増えたようにも思えた。
「おっと、させるかっ!」
「うわっ! あっつ、なんだよ突然」
「こっそり近づいて来ていた。まさか死んだフリまでするとはな」
蟲が参道の中央付近で焼けていた。
さっきまでは鳥居の下まで押し返していたはずなのに。
「あはっ、あははっ、バレちゃった?」
蟲たちの羽根の振動――震えるような女の声。
「亜麻子ちゃんもか――」
「ふふっ――あっつ――もう――ちょっと――喋ら――ああ、あっつーいっ!」
親父は容赦なく火炎放射を浴びせる。
「幾人、手を緩めるなっ」
「確かに蟲はまだまだいるしな。一七、四八、爺ちゃん婆ちゃんまだ行けるか?」
明らかに疲労の色は濃い。特に婆ちゃんは80近い。顔が青くなっている。
「まかしぇろ」
入れ歯も飛ばしながら、何とかサムズアップ。
無理はさせるけど、後はない。
頑張って貰う他ない。
「27歳以下の女を焼き捨てる趣味はないんだがねぇぇぇっ!」
「あははっ、あっつーい! でも蟲獄ほどじゃない――捨てられるかしらぁぁぁ?」
楽器の音色。神域の中、炎に焼かれる亜麻子ちゃん。
親父の炎は素人にしては正確だろう。左右に振りながら、前に出ようとする亜麻子ちゃんを的確に捕らえている。
だが、当たっても密度の高い蚊柱みたいになって霧散するだけ。炎が過ぎればまた集まって身体を再構成し――高らかに笑う。
「あはっ、それ何時までもつのかしら? 10秒? いえ5秒持つのかしら? ガスが切れたらどうなるか分かる? 私のいるところに来るのよ。この蟲獄で永劫の時を一緒に蟲に責められるのよ。あははっ」
そうだ。親父も亜麻子ちゃんが現れた時のみ炎を撃つだけになっている。
恐らく弾切れを心配しているはず。
「ふふっ、亜麻子君。君は私を分かっていない。二三人!」
「あーい、おかわり持ってきたよ」
新しいタンク。
しかも二つだ。
「あははっ、いいわ。おじ様おもしろーい。もっと来てもっと!」
挑発するようにくるりと回る亜麻子ちゃん。
恐らく向こうも余裕はない。何故なら炎がある限り前に出て来れない。
ただ、いつか燃料は切れる。
予備だって無限じゃない。二三人をどこにもパシらせてない以上、これで仕舞い。
「掛けまくも畏き常世の神――」
俺は祝詞を唱え、親父は火炎放射。
亜麻子ちゃんは悲鳴と嬌声を上げながら境内を広く飛び回る。
ただ、ラインは確実に戻されていた。
着々と、歪んだ笑顔が近づいて来ている。
既に半分は距離を縮められた。
祝詞の効果が薄いのか、参道が蟲で穢れたからか。
親父の炎の直撃だけは避けながら、前に出て来る。
「くそっ祝詞は効いてんのか――火しか意味ないんじゃ――」
「止めるな幾人! 動きを制限出来ている可能性は高い」
「可能性って――ちっ」
大体、常世神とは虫の神だ。
吾妻の揚羽の紋がそれだ。
『常世神への祝詞は効果がないんじゃないか?』
そんな疑問が浮かんだ。
疑問を持てば祝詞の力は更に弱まる。
「あはっ軽くなったみたい」
「幾人っ!」
「分かってる。分かってるよ――くそっくそっ! 違う違うんだっ!」
ガス欠覚悟の連続放射。
断末魔みたいな轟音を上げてホースから吹き出す炎。
思い出せ、思い出せ、思い出せ。
思い出した上で――火だっ!
「高天原に神留まります 神漏岐神漏美之命以ちて――」
確かこんな感じだったはずだ。
「あらっ――まだ楽しませてくれるのね」
動きが止まる。
間違いない。常世神より効果がある。
「――諸々《もろもろ》の禍事罪穢れを 燃やし給え焦がし給えと白す事の由を、八百万の神等共に聞食せと恐み恐み白す」
完全に思いつきだった。
普段祈りを捧げている常世神に頼れない。
かといって特定の別の神も行き成り振られても無理筋。
なら全部って感じで、頼み事ついでに火も出して貰う。
運否天賦って奴だったが――
「おっしゃ! 計算通りっ!」
俺の伸ばした大幣の先に炎が沸いた。
ぶわっと音を立てて風を発して、亜麻子ちゃんの顔面に突然叩きつけられたように炎が現れた。
「あぁっ! んん、熱い熱い熱い熱い熱い熱いわっっ!」
「よくやった。幾人こっちはガス欠だ。頼むぞ」
「もう一丁。焼き尽くし給え焦滅せし給えと白す事、八百万の神等共に聞食せと恐み恐み白ーす!」
オリジナルファイアー祝詞を唱えると、現れた炎の壁、完全にイメージ通りだ。
「よっしゃ、大体かしこめばなんとかしてくれるな」
「ふふっ、やっぱり嫌いよ、辰巳」
「残念。俺は何とかしたかったんだぜ。君のことも」
大幣を払う。壁はそのまま前に進んで蟲を焼き払う。
「やだやだやだやだやだーっ」
声を上げ、蟲を盾に壁を防ごうとする。
悪あがきだ。蟲は焼けていく。
「助け助け助け助け――なさいよっ!」
鳥居からも続々と蟲を呼び寄せ身に纏う。
炎の壁に対抗するように真っ黒な壁が出来上がり――ぶつかる。
音を上げ燃え広がる炎。
壁から羽根を震わし、焼け落ちる蟲たち。
「そんなことも――出来るのかよ」
その下は期待した戦果はなかった。蟲が燃え尽き、火が消え、下から現れるのは土の壁。鳥居の手前に亜麻子ちゃんを覆うように半球型の壁が出来上がっていた。
「なら、ぶっつ潰してやる」
「やっちゃえ兄ちゃん!」
「おう! 潰し給え、砕き給えと申す事、八百万の神等共に聞食せと恐み恐み白す」
潰し砕く。
それを叶えるためにイメージしたのは球だ。
それに応えるために集ったのは玉砂利だった。
かつかつと無機質で高い音を立てながら集まる玉砂利。
土壁の上、集まった大玉砂利の球が俺の大幣に合わせて振り下ろされる。
「ミンチにしてやるぜ!」
宣言通りだ土壁は粉微塵に潰れ、割れた。
砂と蟲の死骸に戻って風に消えていく。
土煙の中、まだ人影が残っていた。
「もう一度だ幾人!」
「あいよ!」
もう一発――振り下ろす大幣。
合わせて上って落ちていく球。
だが、崩れかかった土壁の中からそれを受け止める手。
――大幣が止まった
「な――」
「幾人! 何故止めた」
「だって――あれは――」
その手を知っていた。
球を受け止めた大きな手。鍛えて太くなった前腕。
煙が晴れる。土壁が崩れ落ちると、俺は膝をついた。
「――なんで。無理だ」
「お兄ちゃん」
「あれは公子君でも、運戒君ではない。ただの怨霊だ!」
「違うっ!」
「そうだ。幾ら記憶があろうが。それは蟲の見た記憶。再現しているに過ぎん」
「でも――でもっ!」
完全に言っている戒兄だった。
眼鏡を抑えた立ち姿も。
感情を殺した表情も。
自分を捨てる立ち位置も。
球を受けた衝撃で腕からヒビが入っているのに。
背後にいるみこを庇って一歩に動かない。
違うのは目だけ。
蟲の複眼みたいな目以外は完全に戒兄なんだ。
記憶を再現しただけで、ああなるはずが――ない。
「すまない」
「違うっ、悪いのは俺だよ。戒兄。俺は結局何も出来なかった。戒兄を止められた。けどやらなかった。みこだって、何があっても境内で守っていれば良かった。ごめんごめんよ。何も戒兄に何も返せない――」
そう昔からそうだった。
戒兄には何もかも守って貰った。
いつも、いつだって盾になって貰った。
俺には戒兄の前で土下座して頼むことしか出来ない。
「連れてかれるのは俺と親父だけにしてくれ! 妹たちは――許してくれ」
そう、あの時のように――
「――おい、何、気分出してんだ?」
突然の声。聞き覚えのない男の声。
「えっ」
顔を上げるとそこに戒兄は居なかった。
眩しい――青い空の下、一人の若い男が立っていた。
本当にただの若い男だ。
黄とベージュの2トーンのマウンテンパーカーに黒いロングパンツの、登山に来た
だけの大学生。本当にただの人間。
目さえ普通だ。
「悲劇のヒロインのつもりか? ――虫けら共がっ」
ただ、怒っていた。有り得ないくらい怒っている。
その若き身のどこに湛えていたのか――溢れんばかりの恨みがましい表情で。
「若利――君か?」
何故か名前を呼ぶ親父の声。
それに応えたのだろうか、無言のまま更に全身に力を入れた。
雲一つない青空の下だというのに、どす黒い怨念によって――先が見えない。




